刑務所という終の棲家――再犯者のたどり着く先
2024/02/02累犯者、という言葉をご存知だろうか。
刑期を終えて出所したものの再び犯罪をおかし、それが3回以上繰り返されることを「累犯」と呼ぶ。
現在、高齢者の累犯者が増えているという。
年老いてなお、犯罪に手を染め刑務所に服役する彼らは、何を思い日々を過ごしているのか。
ノンフィクション作家・石井光太が“無縁高齢化”社会に生きる人々をおった書籍『無縁老人 高齢者福祉の最前線』から一部を抜粋して紹介する。
黒い黄昏
著作者:mb-photoarts/出典:Freepik
再犯者のたどり着く先
鳥取県の山陰道の鳥取インターを降りると、黄金色の稲穂が揺れる田園風景が広がっている。田んぼの中の一本道を車で進んでいくと、牧歌的な光景には似つかわしくない、コンクリートの塀に囲まれた要塞のような建物が現れる。正門には日の丸の旗がはためき、制服を着た警備員が厳しい顔をして立っている。
ここは鳥取刑務所。全国に存在する60を超える刑務所のうちの一つだ。
現在、刑務所が抱えている問題に、受刑者の高齢化がある。建前の上では、刑務所は罪を犯した者を一定期間収容して反省を促し、出所後に真っ当な道に進ませるための施設である。
だが、現実的にはそうはなっていない。受刑者の社会復帰は容易ではなく、出所したところで二人に一人は再犯を起こしている。特に前科のある高齢者は就労が困難であるため、違法行為をくり返す率が高い。
かつて私が取材した前科11犯の70代の受刑者はこう語っていた。
「社会復帰しても金も友達もなく、何をやるにしてもすごく大変なんだ。その点、刑務所にいれば医療も受けられるし、ご飯も無料で食べさせてもらえる。だからシャバにもどっても、何か不便なことがあれば、ムショで生活していた方がマシだって思って、わざとつまらない犯罪をしてしまうんだ」
一部の受刑者にとって、刑務所は社会で暮らすより居心地のいい場所になっているのだ。
2017年12月、国はこうした現状を受けて「再犯防止推進計画」をまとめた。受刑者たちが、再び罪を犯さないように居場所を見つけたり、福祉につなげたりする仕組みを作ったのだ。
そんな中、高齢者を多く収容する鳥取刑務所のある鳥取県ではどのような取り組みが行われているのか。塀の中に足を踏み入れてみることにした。
日本全国に数ある刑務所は、それぞれ特徴を有している。重大事件を起こした受刑者が主に集められる刑務所、心身の治療が必要な受刑者が集められる刑務所、犯罪傾向が軽く更生が期待される受刑者が集められる刑務所などだ。
鳥取刑務所は、実刑期が10年未満で、犯罪傾向の進んでいる男性を収容することになっている。端的に言えば、犯罪の内容は窃盗などで軽いが、長期間にわたって何度もそれをくり返す受刑者が多いということである。
鳥取刑務所に赴いた私に話を聞かせてくれたのは、庶務課長の梶山勉氏(仮名、52歳)だ。梶山氏は受刑者の特徴について次のように語る。
「うちは鳥取県にある唯一の刑務所ですが、受刑者の出身地でいえば、県外の方が多数なんです。大阪、兵庫、岡山といった地域で罪を犯してこちらに送られてくる。施設は古いですし、冬には雪が降りつもって気温がかなり下がるので、高齢の受刑者たちの身心にはかなりこたえるようで、『鳥取刑務所はつらい』という声をよく聞きます。それでも、累犯者は性懲りもなく罪を犯しては何度もこの刑務所にもどってくるのです」
刑務所の仕組みを簡単に説明しておこう。裁判で刑が確定し、鳥取刑務所に受刑者が送られてくると、まず「刑執行開始時調査」にかけられ、2週間にわたって犯罪の動機や本人の特性などが細かく調べられる。その後、「処遇審査会」で収監中の指導内容や作業内容(木工、洋裁、炊事など)が決められ、受刑生活がスタートするのだ。
先述のように刑期は10年未満の者が大半だが、刑期を満了まで務める者と、仮釈放で刑期を少し残して出所できる者とに分かれる。
仮釈放が出るかどうかは、刑務所内での生活態度が評価の対象となる。刑務所で規則を守って正しい生活をし、再犯の可能性が低いとされた者たちには仮釈放が与えられる。だが、規則を何度も破ったり、出所後の引受人がいなかったり、暴力団に属していたりする人の場合は、満期まで務めなければならない。鳥取刑務所の出所者は、おおよそ半数くらいが仮釈放の対象になっているという。
梶山氏は話す。
「全国的に、受刑者の数は減ってきています。ピークは2006年でした。鳥取刑務所でも、当時の定員705人に対して760人くらいの受刑者がいて、入りきらないような状況だったんです。それ以降は受刑者の人数が徐々に減っていって、今は380人ほどになった。でも、高齢者の受刑者の割合は、それに反比例するように増えていて、年間の受刑者の1割強が65歳以上になっています」
65歳以上の高齢者は、バブルの恩恵を受けてきた世代だ。若い頃は良い生活をしていたが、バブル崩壊後はリストラに遭うなどして生活苦に陥り、その一部が窃盗や無銭飲食などといった犯罪に走った。2006年は、そうした人たちの犯罪がピークに達した時期といえる。
受刑者は刑期を終えて社会復帰したところで、安定した職業に就けるわけではない。差別にさらされたり、親族や友人と疎遠になっていたりすることもある。そのため自暴自棄になって再び犯罪に手を染める。これを3回以上くり返すことを「累犯」と呼ぶが、現在増えているのは高齢者の累犯なのだ。
梶山氏は言う。
「現在、うちの受刑者の9割が累犯です。一人平均4.7回入所していて、一番多いのは19回になります。私は転勤を挟んで合計10年以上ここで勤務していますから、転勤前の十数年前から何度も出たり入ったりしている受刑者もたくさんいます」
刑期の平均が3年半なので、単純計算で累犯者一人あたり16年以上は刑務所で過ごしている計算になる。彼らの犯した罪を示しておこう。
覚醒剤 34.9%
窃盗 32%
詐欺 7%
交通法 4.1%
傷害 3.4%
強盗 2.8%
その他 15.8%
ここで言う詐欺とは、特殊詐欺や投資詐欺のような高度なスキルを必要とするものではなく、レストランや居酒屋などでの無銭飲食がほとんどだ。無銭飲食は、当初から料金を払う意思もなく、食事をだまし取ったということで詐欺罪が適用される。
高齢累犯者は、どんな人生を送り、何を思って受刑生活を送っているのか。実際に、受刑者に話を聞いてみることにした。
受刑者の足跡
○森 篤弘(仮名、61歳、前科4犯)
九州で建設会社を経営する父のもとで、篤弘は長男として生まれ育った。地方の私大を中退後に、専門学校を経て、地元のガソリンスタンドに就職した。
彼は若い頃から何をするにも不真面目で中途半端なタイプだった。そのくせその場限りの調子の良いことばかり口にするので、職場でも、プライベートでも誰からも信頼を得られない。ガソリンスタンドの仕事を数年で辞めた後、彼は親族の紹介で何度か転職したが、どれもつづかず数カ月から数年で辞めてしまった。
安定した収入がないのに、篤弘はスナックやキャバクラが好きで通ってばかりいた。店へ行くと、見栄を張って高額な酒を注文し、ホステスに気前良くプレゼントを贈る。金を貸してくれと言われれば、いくらでも貸す。実家暮らしでも、そんな生活がいつまでもつづくわけがない。
最初の逮捕は、20代の終わりだった。ある日、篤弘は昔の職場の女性に連絡をすると、彼女からうつ病で仕事ができず生活に困っていると相談を受けた。彼は良いところを見せようとして、その女性に金を貢ぎはじめた。女性が喜ぶと、頼まれてもいないのにどんどん金を渡すので、あっという間に貯金が底をついた。それでも彼は貢ぐことをやめず、勤めていた会社の機材を盗んで転売したところ、それが露見して逮捕されたのである。
この時は初犯だったために執行猶予がついた。だが、その後も性懲りもなく同じようなことをする。盗みが癖になったのだろう。そうして彼は刑務所と一般社会(シャバ)を行き来する生活に突入するのだ。
篤弘は話す。
「僕は女の人がいるとダメになるんですよ。普段は趣味も何もない静かな人間なんです。女の人の前じゃなければ、酒も飲まないし、ギャンブルもやらないので、まったくお金を使わない。けど、女の人を前にすると、どうしても格好つけたくなって、たくさんお金を浪費して、最後には困って会社の物を盗んじゃう。やっちゃいけないってわかっていても、自分を抑えられずくり返してしまうんです」
金のためと言いながら、彼が行う窃盗は無思慮で浅はかだ。
たとえば、ある日、彼はキャバクラで知り合った女性に入れ揚げ、会社にあったトランジット(道路工事などで角度を調べる測量機器)を盗んだことがあった。この時、彼は「地元で売ったらバレる」と考えてレンタカーを借り、九州から山口県まで行って、それを数万円で売った。だが、レンタカー代、ガソリン代、高速代を払えば、窃盗と転売で得られる額など雀の涙だ。つまり、思いつきで犯罪をしているだけなのだ。
こうした人生は四半世紀以上もつづき、複数回にわたって刑務所に入ることになった。そんな彼も61歳。出所後に就職することは簡単ではないだろう。どうするつもりなのか。その問いに対する答えも篤弘らしい。
「今僕が信用できるのは、逮捕時にお世話になった山口県の警察官です。調書を取られている時、僕の将来を心配してくれたんですよ。立派な人です。だから、ここを出たら、その人のところへ行こうと思っています」
この警官とは逮捕と取り調べの時に話しただけだという。その警官にしたって、出所した彼にいきなり訪ねてこられても困るだけだろう。だが、彼はそのことすらわかっていないのである。
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○広岡 一郎(仮名、67歳、前科15犯)
一郎は端整な顔をしており、体格もスマートだ。頭の回転も悪くなく、受け答えもはっきりしている。塀の外で、「スポーツ好きで会社の役員です」と言われれば、信じてしまいそうな雰囲気がある。
だが、彼はこれまで社会で真っ当な仕事をしたことがなく、17歳の頃から空き巣をして生きてきた。前科は15犯。人生の大半を刑務所で過ごしてきた、自称「プロの空き巣」である。
関西の田舎町で、一郎は育った。父親は製材所で働きながら、自宅の土地で農業を営んでいた。経済的にはそこそこ裕福だったが、14歳の時に母親が他界。そこから家族がバラバラになった。
一郎は中学を卒業して間もなく、ギャンブルにのめり込んだ。競輪やオートレースに足繁く通いはじめたのだ。最初に逮捕されたのは、ギャンブルをする金欲しさにした空き巣だった。少年院に1年間収容され、18歳で出たものの、ギャンブル癖が治らず、保護観察中に再び窃盗をして逮捕。次は少年刑務所へ送られた。
20歳で社会復帰したが、実家の親からは勘当された。一郎は家族からも見捨てられたことで、誰に気を遣うわけでもなく自堕落な生活をはじめる。空き巣で稼いではサウナやビジネスホテルに泊まり、ギャンブルで散財する。驚くことに、その生活は67歳になる今に至るまでつづくことになる。全国を転々としながら窃盗をしていたため、アパートなど一つの場所に住居を持ったことは一度もないそうだ。
一郎の言葉である。
「この年になるまでギャンブルから離れることができませんでした。各地を回って民家や店に入って盗みをして生きてきたので、職に就いたことがありません。金がない時は、ホームレスみたいに公園で野宿をして過ごしていました。こんな生活をしてきたので、昔から親しくしている友人もいませんし、結婚したこともありません。話をする相手は、サウナや競輪場なんかで出会う人です。何度も顔を合わせているうちに言葉を交わすようになって、一緒にお酒を飲みに行ったり、パチンコに行ったりするんです」
30年以上の刑務所生活については、次のように語る。
「ちゃんと生きていこうと思ったことはありますよ。でも、僕の意志が弱かったんでしょうね、うまくいきませんでした。ギャンブルから離れられなかったんです。全部ギャンブルのせいですよ」
頭の中がギャンブルでいっぱいだったので、働こうという意思が生まれなかったらしい。さらに、10代から刑務所生活がつづいていたので、それに対する抵抗感がなくなっていたという。そのことが長きにわたる刑務所生活につながったのである。
将来的に一郎はどうしたいと思っているのか。彼は次のように答えた。
「次にここを出る時は、70歳くらいになっています。生活保護を受けてNPOが運営している施設に入ろうかなと思っています。施設に入っていろんな人に支えてもらえば、ギャンブルも窃盗もしなくなるかもしれません」
彼は前回逮捕された時もまったく同じことを語っていたらしい。いったんはNPOに身を寄せたものの、また窃盗で逮捕されて懲役刑を受けたのだ。それを聞く限り、更生の道はほど遠いだろう。
鳥取刑務所で篤弘と一郎へのインタビューを終えた後、私は何とも言えない複雑な気持ちになった。二人の人生をいくら聞いても、そこに反省の気持ちも見られなければ、更生への意思も感じられない。当たり前のように犯罪をし、刑務所に入るという生活を送っているだけなのだ。
庶務課長の梶山氏は、そんな私の気持ちを読んでか、次のように言った。
「篤弘にしても、一郎にしても、決して極悪人ではないんです。でも、女性やギャンブルを前にすると、自分の力では犯罪への衝動が止められなくなってしまう。欲望を制御できないのです。そして彼らには、それを止めてくれるような環境や支援者がいなかった。それでずっと犯罪をくり返し、高齢者と呼ばれる年齢に差し掛かってしまっているんです」
二人が自分を律する気持ちを持っていないのは明らかだ。実を言えば、インタビューの最中、彼らは知的障害や精神疾患があるのではないかと思った。だが、裁判や刑務所で調べた限り、そうした事実はなかったという。
梶山氏は言う。
「彼らは若い時は、もう少しうまく逃げ回っていたと思います。けど、年を取ると、逮捕されることも増え、だんだんと刑務所が居場所になってしまう。そして認知症になったり、車椅子生活になったりする。累犯者の高齢化問題は非常に深刻です。鳥取刑務所では介護福祉士が1名いますが、他の刑務所では募集をかけても集まらないと聞いています。介護福祉士は売り手市場なので、なかなか刑務所に来たがらないのが現状なのです」
(2018年取材)
刑務所という終の棲家――介護と出所
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“無縁高齢化”社会に生きる――
「安心した老後を過ごしたい」
誰もがそう願っている。誰もが懸命にそれぞれの「時代」を生きてきた。そのはずなのに……。
なぜ、高齢者は刑務所に入りたがるのか。
なぜ、遺族は遺骨を引き取ろうとしないのか。
なぜ、廃墟の島に一人残ろうとするのか。
なぜ、ドヤ街に高齢者が溢れるのか。
いったい彼らは、どこで社会から切り離されてしまったのか……。
誰ひとり取り残さない――。福祉の最前線で立ち向かう人々の奮闘に迫る!
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第1章 黒い黄昏
刑務所という終の棲家――累犯者
暴力化する介護――高齢者虐待
腐朽する肉体――孤独死
第2章 過ぎし日の記憶
海の怪物との戦記――捕鯨
黒いダイヤの孤島――炭鉱
第3章 日本最大のドヤ街の今
ドヤ街の盛衰――就労支援
命の牙城――LGBTQ高齢者介護
名のない墓碑――葬儀
第4章 忘れられた日本人
隔離と爆撃――ハンセン病
闇に花を咲かせる――ハンセン病
祖国は幻か――中国残留日本人
第5章 高齢者大国の桃源郷へ
死の淵の傾聴――自殺
もう一つの実家――介護
村はなぜ、女性長寿日本一なのか――寿命
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ノンフィクション作家
石井 光太(いしい・こうた)
1977年東京都生まれ。2005年にアジア諸国の障害者や物乞いをルポした『物乞う仏陀』でデビュー。ノンフィクションを中心に、小説や児童書など幅広く執筆活動を行う。
主な著書に『漂流児童』『遺体』『浮浪児 1945-』『「鬼畜」の家』『こどもホスピスの奇跡』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『ぼくたちは なぜ、学校へ行くのか。』『教育虐待』『世界と比べてわかる 日本の貧困のリアル』など多数。