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わが故郷・京都の魅力を語ります! 杉本 彩

俳優、タレント、動物愛護活動家として幅広く活躍する、京都出身の杉本彩さん。小学校の同級生との友情も永く大切にされており、「一度仲良くなった人とは、ずっと人間関係を継続するのが京都人のよさ」と、幼い頃からあたたかく育まれた京都への愛を語ってくださいました。(『潮』2024年5月号より転載。撮影=富本真之)
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花街のど真ん中で育った少女時代

 京都は祇園で生まれ育った私にとって、桜並木で有名な祇園白川のあたりは、まるで自分の庭のような遊び場でした。花街のど真ん中で、通りは石畳。いまでこそ観光地になっていますが、私が子どものころはほとんど観光客がいませんでした。その一方で、ドラマや映画の撮影は頻繁に行われており、いま思えば私は幼心に芸能の世界を身近に感じていたのかもしれません。当時住んでいた自宅の隣は、大島渚監督の定宿でした。

 小学校は、かつては三条大橋の南東、三条京阪駅のすぐ近くにあった有済小学校(当時)に通いました。校内には茶室があり、火の見櫓みやぐらとして使われていた木造の太鼓望楼は、この地域のシンボルです。望楼が作られたのは明治9年と聞いています。

 中学校は、祇園石段下の向かいにある弥栄中学校(当時)に通い、バレーボール部に所属しました。バレーコートは四条通沿いにあり、金網のフェンスを越えて、ときどきボールが道路に出てしまいます。観光地化され、人と車の往来が激しい現在の京都では考えられませんが、私が子どものころはそのくらい静かでゆったりとした時間が流れていたのです。

 土曜日は午前中で授業が終わるので、老舗パン屋の志津屋で買ったパンを、部活の仲間と円山公園で食べ、それからバレーボールの練習に臨んだのもいい思い出です。

 子どものころは、祇園祭の時期になると必ず浴衣を着て花火をするのが恒例でした。いまでも祇園界隈を歩けば、さまざまな当時の記憶が脳裏に蘇ってきます。

東京で感じた規模の大きさ

 モデルの仕事を始めたのは15歳で、毎日のように開催されていた西陣織会館での着物ショーにもよく出演していました。17歳のときに、仕事で訪れた大阪で東京の芸能プロダクションの方にスカウトされ、そこからは京都と東京を往復する日々が始まります。そして徐々に仕事が忙しくなり、いよいよ東京に移り住むことになったのは20歳のときでした。

 東京に移り住んで感じたのは、都市部としての規模の大きさです。ひとことで東京と言っても、いろいろな街があり、機能としては分散されています。狭いエリアにすべての機能を集約している京都の中心部とはまるで異なるので、〝ザ・東京〟とも言える六本木や青山は、私の肌には合いませんでした。どちらかと言えば、近くに緑があり、商店街があり、利便性も悪くないといった、どことなく京都を思わせる地域に住むことが多かったですね。

 若いころは、東京では仕事をして、京都にときどき帰ったときに地元の友だちと遊ぶといった感じでした。ディスコ全盛期のバブルの時期によく遊んだのは、地元にある「MAHARAJA祇園」です。祇園のマハラジャは、お立ち台で舞妓さんが踊っている光景が見られるなど、東京や大阪とは異なる独特の雰囲気がありました。

 東京で生活していたころは、プライベートで出歩くこともほとんどありませんでした。だからテレビ局などの仕事にかかわる場所のほかには、本当に最低限しか東京を知らないのです。

京都へ戻ることを決めた理由

 比較的早い時期から「いつかは京都に戻りたい」と漠然と考えていました。そのビジョンの輪郭がぼんやりと見えたのは、30代の終わりごろだったと記憶しています。テレビ番組のロケで祇園を訪れた際に偶然、小学校のころの同級生に再会し、そこから同級生たちとの交流が始まったのです。そのなかで、「いつかは」と思っていたのが「60歳くらいには」と京都へのUターンに少しだけ現実味が帯びてきました。

 ところが、決断のときは自分が思っていた以上に早く訪れることになります。それは2011年に起きた東日本大震災でした。震災を受けて、経営していた会社のリスク分散などの観点から、生活の拠点を京都に移すことにしたのです。当時の私はまだ40代前半でした。

 ただし、仕事の都合もあって、当初の生活は、7割を東京で過ごし、残りの3割を京都で過ごすといった感じでした。その割合がガラッと変わったのは、2019年ごろです。ちょうどインバウンドも勢いを増していた時期で、東京オリンピックでさらに多くの人々が東京を訪れることになる。もちろんそれは喜ばしいことですが、生活をするには少し不便になるかもしれない――。そんなことを思って、京都での生活の時間を長くしようと決めたのです。

 ちょうどそのころに起きたのがコロナ禍でした。大変な時期ではありましたが、全国区で芸能の仕事をしながら京都に生活の拠点を置く私にとって、コロナ禍は後押しになった部分があります。リモートワークなどが一気に普及したことで、京都にいてもとても働きやすくなったのです。いまでは東京が1割程度で、残りの9割程度は京都で過ごしています。

 

一度仲良くなれば人間関係を継続する

 言うまでもなく、観光客の波は京都にも押し寄せますので、以前の京都は大変な賑わいでした。コロナ禍で海外からのお客さまの姿が消えたときに、多くの京都の人々が「コロナで京都が『京都らしさ』を取り戻した」と言っていたのをよく覚えています。観光地化される前の祇園で生まれ育った私としても、その言葉には共感を覚えます。

 京都の中心部は狭いエリアであり、移動にはタクシーを使うことが多いのです。コロナ禍が明けて再び観光客の波が押し寄せたいま、地元の人々はなかなかタクシーをつかまえることができずに、不便さを感じているようです。

 とはいえ、京都の街の〝狭さ〟も魅力のひとつです。大概のものは歩いて手に入りますし、タクシーも使えば全てが事足りるサイズ感は本当に楽です。私も京都で住居を探した際、四条の大丸(大丸京都店)に歩いて行ける距離というのが条件でしたから。

〝狭い〟のは空間だけの話ではなく、人間関係においても同じです。長い歴史のある街ですので、親戚や友人を辿れば、必ずどこかでつながっているのが京都の人々です。例えば、思ったことを率直に言わない京都人らしさは、揉め事を避けるための一種の知恵だと私は感じています。

 ときどき、他府県の方々が「京都人のコミュニケーションは分かりにくくて怖い」「京都は閉鎖的だ」といったことを言われますが、私はそんなことはないと思っています。

 京都には、人間関係をとても大切にする文化があり、だからこそ揉め事を避けようとする。確かに入口は少し狭いかもしれませんが、京都の町家のようにいざ中に入ってみると奥行きがある。一度仲良くなった人とは、ずっと人間関係を継続するのが、京都のよさなのでしょう。

古さと新しさが融合する街

 小学校のころの同級生とは、いまも交流を続けています。少なくない同級生が地元に残り続けているというのも、京都らしさの表れかもしれません。

 例えば私の同級生には、祇園で芸妓をやっている桶屋の娘や、京風広東料理屋の娘などがいます。祇園という土地柄もあり、サラリーマン世帯の家庭よりも、家業で商売をしている人が多いのです。その分、子どもや孫が残りやすく、人間関係も濃くなっていくのでしょう。本当に数多くの老舗があり、「創業100年なんてまだ新しい」といった地元の人たちの言葉をよく耳にします。

 老舗の人々は、しばしば「常に変化しなければ持続はできない」といったことをおっしゃっています。伝統を重んじながらも革新的である――。これもまた京都の魅力だと思います。

 個人的には、次々と京都に新たに建てられている外資系ホテルが素敵だと思います。同じ外資系ホテルでも、京都に建てられたものは東京や大阪にあるホテルとは一味違っていて、ゆったりとして落ち着いた雰囲気なのです。他府県から京都にお越しになるときには、古いものと新しいものの融合を存分に満喫してほしいですね。

京都に移って肩の力が抜けて楽に

 私は長らく動物愛護の活動も続けており、2015年からは京都動物愛護センターの名誉センター長も務めています。自宅では以前から保護施設などから引き取った猫や犬と暮らしており、現在は4匹の猫と生活しています。

 ペットにとっても、私自身にとっても、住環境で特に大事にしているのは日当たりです。日当たりのよい部屋に住んでいると、いかに太陽光が動物や人の心身の健康にとって重要であるかがよく分かります。施設から引き取った犬や猫も、美味しいフードを与えて愛情を注ぎ、しっかりと日光を浴びれば、すぐに健康を取り戻します。いま、私の自宅の最も日当たりがよい場所は、4匹の猫たちに占領されています。動物は本能的に、居心地のよい場所を知っているのでしょう。

 私自身にとっては、日光に加えて遠くに山々が見えることも、精神衛生をよく保つことに役立っている気がしています。京都に生活の拠点を移してからは、よい意味で肩の力が抜けた気がして、すごく楽になりました。以前よりも視野が広くなった気がしますし、いろいろな物事としっかりと向き合うことができるようになりました。芸能界という特殊な業界であることに加えて、東京という場所での生活に肩の力が入っていたのでしょう。濃い人間関係のなかで育った私としては、隣人の顔が見えにくい東京での生活は合わなかったのかもしれません。

 もちろんいまも芸能界に軸足を置いていますが、特に最近は京都のためにできることはどんどんやっていきたいという気持ちが強くなっています。今後は1人の京都人として、仲間たちと連帯して、地元に恩返しをしていきたいと思います。

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女優、作家、ダンサー、実業家
杉本 彩(すぎもと・あや)
京都市東山区生まれ。1987年、東レ水着キャンペーンガールでデビュー後、テレビや映画への出演、エステサロン経営など幅広く活躍。公益財団法人「動物環境・福祉協会Eva」を設立し理事長を務める。

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