〝与えた人の喜び〞のほうが「幸福力」は長続きする
2024/06/10心療内科医・海原純子さんと、放送作家・脚本家の小山薫堂さんによる対談。
海原さんは「現状にいつまでも満足できず、ひたすら上ばかり目指して焦燥感にかられている状態は、決して幸せとは言えません」と語ります。
(月刊『潮』2024年7月号より転載。サムネイル画像=adobe stock)
梅雨の時こそ幸福力をアップさせましょう【海原純子】
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幸せが当たり前で幸せを感じられない
海原 今年3月に、2024年版の「世界幸福度ランキング」が発表されました。これまでずっと日本は順位が低いのですが、今回も第51位と先進7カ国のなかで最下位です。小山さん、この結果をどうご覧になりますか?
小山 僕は、日本人の「幸福の閾値」が高いのではないかと思っています。閾値とは、ある反応を起こさせる刺激の最小値のことです。
たとえば同じ匂いを嗅ぎ続けると、人はその匂いを感じなくなりますよね。それは匂いの閾値が上昇したからです。同じように、現代の日本人は豊かで安全な暮らしに慣れすぎたことで、幸福の閾値が上がっている。つまり幸福を感じる感性が麻痺しているのではないかと思います。
海原 たしかにそうですね。人は災害で断水になって初めて、水が当たり前に使えることのありがたさに気づきます。現代の日本人は途上国などと比べれば、とても恵まれた幸せな生活を送っている。それゆえ、それが当たり前になっていて幸せだと感じられない人が多いのだと思います。
小山 幸せって、どこか遠くで探したり、追い求めたりするものではないと思うんですよ。身近な日常の中にあるものの尊さに気づくことこそ、幸せを手に入れる最良の方法ではないでしょうか。
海原 日本人の幸福度が低いのは、何ごとも他人と自分を比較する傾向が強いことも影響していると思います。
でも他者と比較している限り、上には上がいるので、いつまでたっても幸せは感じられません。今の日本には「現状に満足してはいけない」といった社会的圧力も強くて、自分が幸せだと思うことにブレーキをかけてしまっている人が多い気がします。
小山 なるほど。たしかに日本社会には、高度経済成長期から今日にいたるまで「日本は成長しなくてはならない」「もっと頑張らなくてはいけない」っていう風潮が根強くありますよね。それが日本人の幸福度に悪影響を及ぼしているのかもしれません。
海原 一度は自分の現状に満足して、そのうえでさらに目標に向かうというほうがいいと思います。現状にいつまでも満足できず、ひたすら上ばかり目指して焦燥感にかられている状態は、決して幸せとは言えません。
小山 経済界では、前年比でどれだけプラス成長しているかで経営者が評価されます。もちろん赤字経営を続けていては経営者として失格です。でもその会社に勤めている人がどれだけ幸せなのかとは関係なく、成長率だけで会社の価値が語られる風潮はいかがなものかと思いますね。
海原 私は産業医をしていますが、今、日本の景気がいいなんていう実感はまったくありません。企業で働いている方は上司から業績を上げるようプレッシャーをかけられながら、働き方改革の名のもとに時間外労働ができなくなって、隠れてサービス残業をしていたりします。
その結果、心身が疲弊し、うつ病になる人もいます。企業のトップはもっと、社員の幸福度を考えて会社を経営する必要があります。
ロールモデルとなる「幸福な大人」が必要
海原 「幸福度」の問題でもう一つ私が思うのは、日本は何ごとも「こうあるべきだ」と型にはめて、そこから外れるものを叩く傾向があるということです。それが、この国の幸福感の低さや生きづらさにつながっているのではないかと……。
小山 同感です。教育の影響も大きいと思います。日本の中学・高校では、校則で頭髪や服装まで細かく規定する理不尽がいまだまかり通っています。教育を「子どもの幸福度を高める」という方針のもとで改革するだけで、日本社会は大きく変わるはずです。
海原 本来、子どもの幸せのために存在している先生自身が、過重労働で疲弊しているのも大問題ですよ。子どもって、幸せそうに生きている大人が身近にいれば、生き方を真似するものです。子どものロールモデルとして、まずは幸福度の高い大人がもっと増える必要があります。
小山 ただ、幸福感って年を重ねると少し変わってきますよね……。若い頃はお金を稼ぎ、たくさんモノを所有することが幸せだと考えがちですが、年をとるとそんなものは死ぬときには何の意味もないと感じるようになります。僕も40代を過ぎた頃から、自分は死んでいく時にこの世に何を残せるのか、ということを強く意識するようになりました。
幸福にとって重要な「ウェルビーイング」
小山 今回、海原さんが刊行された『幸福力 幸せを生み出す方法』(潮文庫)を興味深く拝読しましたが、その中に、心と体、さらに社会的に満たされた状態である「ウェルビーイング」が、私たちの幸福にとって重要な要素だと書かれていますね。
海原 そうですね。
幸福を科学的に研究するポジティブサイコロジー医学は、ウェルビーイングを追究する学問です。ウェルビーイングに必要な要素はポジティブな感情、何かに熱中していること、人とのいいつながり、人生の意味や目的、達成感だと言われます。ポジティブな感情には前向きな気持ちだけでなく、安らかさや優しさ、感謝の気持ちなども含まれます。達成感とは、自分の努力によって少しずつ進歩していると感じられることです。
小山 僕なりに言い換えると、ウェルビーイングとは「質のいい時間を生きること」と言えるかもしれません。
時間はすべての人に平等に与えられているけれど、雑に過ごす人もいれば丁寧に過ごす人もいる。それは、他人から見て価値がある過ごし方かどうかなんてまったく関係ないし、逆に言えば、人からなんと言われようと、自分にとって価値があると思える時間を生きることが大切だと思います。
海原 一番無駄な時間は、人と比較したり、他人の足を引っ張ったりする時間ですよね。(笑)
小山 僕は、何か企画を考えている時はめちゃくちゃ苦しい時もあるけれど、苦労して生み出した企画によって笑顔になった人を見た時はこの上ない幸せを感じます。
“楽をする”と“楽しい”は同じ漢字を書きますが、“楽”だから“楽しい”とは限りません。楽しいけど苦しいこともあれば、苦しみの先に楽しみがあったりもします。
海原 結局のところ、幸福感は自分の内面から湧き上がってくるもので、外部から与えられるものではないんですよね。
どんなに大変な状況でも、それを乗り越えることを楽しんでいる人がいるかと思えば、逆にどんなに恵まれた環境にいても幸福感を感じられない人もいる。幸福って、自分の心の持ち方や行動によって、自ら勝ち取っていくものなんだと思います。
幸せな人の周りには幸せな人が多い
小山 海原さんが、自分にとって価値ある時間を過ごしていると感じられるのは、どんなことをしている時ですか?
海原 研究をしているとき、誰かの相談にのって集中して話を聴いているときは、もちろん価値あるウェルビーイングな時間ですが、でもそれだけが自分のすべてではありません。
私にとって、自分の中にある要素をすべて活かすのは、歌手活動です。充実に順位づけすることはできませんが、あえて言うなら、すべてを活かした時間を過ごしていると感じるときが最も充実した瞬間なんです。私は医師になる前、生計を立てるためにジャズシンガーとして活動していたのですが、医師になってから多忙になり、大好きな歌を封印しました。でもハードでストレスの多い仕事を続けているうちにある時、顔面神経麻痺になり、声も出せなくなりました。
その時、自分がいかに本来の自分を押し殺していたかを自覚しました。それから医師と並行して、ジャズシンガーとしての活動も始めることにしたんです。
小山 僕にとっては、料亭(京都「下鴨茶寮」)の経営がそれに当たるかもしれません。正直、飲食店の経営は真面目にやればやるほど儲かりません。でも美味しい料理を提供できる場を自分がつくり、そこに集まった人の笑顔を見ることが僕は大好きで、それだけで嬉しいんですよ。
海原 小山さんが様々な企画でたくさんの人を幸せな気持ちにできるのは、小山さん自身がそれを喜んでやっていらっしゃるからだと思います。実際、幸せな気分の人の周りには、幸せな気分の人が多いという研究報告もあります。
今回、『幸福力』の中で、ギリシャ哲学に由来する「ユーダイモニア」という言葉を紹介していますが、それは人から評価されなくても、見返りがなくても、その活動自体に喜びや満足が得られるような幸福感を意味する言葉なんです。私がジャズを歌っている時の幸福感も、小山さんが料亭の経営を通して感じていらっしゃる幸福感も、まさにこの「ユーダイモニア」なんだと思います。
小山 僕が2010年に「くまモン」(熊本県のPRキャラクター)をプロデュースしたのも、同じ発想からです。
普通は、ある県をPRしようと思うと、その県の名産とかを一生懸命全国に向けて宣伝しようとするじゃないですか。でも僕は「それは違う」と思ったんです。まず熊本の皆さんが元気になったり、幸せになってもらうために何をすればいいんだろう、と考えました。
熊本の皆さんが幸せになれば、全国から熊本に行ってみたいと思う人が自然に増えるはずだ……そう考えて辿り着いた答えが「くまモン」でした。
海原 素敵な発想ですね!
人に親切にすると幸福度が上がる
海原 私たちの幸福を考えるうえで、見返りを求めずに他人のために行動する「利他」の心も、とても重要です。
実際に人に親切な行動をとると、相手だけでなく自分の幸福度も上がるという研究データが世界で報告されているんです。
小山 昔、銭湯のおばあちゃんから「仕事は大変だけど、いい湯だったとお客さんから言われたときは本当に幸せ」と言われたことが、すごく印象に残っています。僕もみなさんが理屈なしに「幸せだ」と言ってくれるような場所をつくることに喜びを感じます。
海原 人が喜んでいるのを見るのは、素直に嬉しいですよね。
小山 それは人間としての本能だと思います。自分がやったことで人が幸せになり、喜んでいる姿を見て、腹を立てる人はいないでしょうからね。(笑)
海原 人間は本来、困った人が目の前にいれば自然と手助けをする「利他の心」をもっているのだと思います。先日もスーパーで高齢女性がカゴに積んだ荷物をひっくり返してしまったら、周囲の人が即座にカゴに戻してあげていました。そんな自然でささやかな行動も、立派な「利他」です。
小山 僕は「与えられた人」より「与えた人の喜び」のほうが長続きすると思っています。それを教えてくれたのが、青森県弘前市にある、大好きなワインバーのおじいさんです。
この店は料理もワインもとてもおいしくて安い。そこで「こんな値段で出したら儲からないでしょう?」と聞くと「儲からないけどこれで十分。少しずつ貯めて孫に小遣いをあげるとすごく喜んでくれるからね。孫はそのことをすぐ忘れちゃうけど、与えた俺はいつまでも忘れない。小遣いをあげた嬉しさをずっと覚えてる」。そんなすごい名言を吐かれたんですよ。(笑)
海原 すばらしいですね!『幸福力』のなかで、今の若い人は「自分は小さな幸せでいい」という人が多いけれど、その自分の小さな幸せを守るために、誰かが休みの日に病院を開けたり、深夜に交番で働いていたりすることに気づいていない、といったことを書きました。
人からいつも何かを与えられている人は、その有難さに気づいていないことがよくあります。でも自分に恩恵を与えてくれている人への感謝の気持ちをもっているほうが、人は心が豊かになり、幸福度も増すはずです。
人生に苦難や試練はつきもの
海原 「幸福な人」の条件のもう一つは、人生において予期しない困難や試練に遭った時、それらを乗り越える力をもっているかどうかです。
東日本大震災の後、私は家や家族を失った方々のメンタル面の調査をさせていただきました。その時に驚いたのが、周りの人とのつながりや信頼関係がある人は、生活満足度があまり落ちていなかったことです。東北の方々の地域のつながりの強さが、あの試練を乗り越えるうえで最大の力になったことは間違いありません。
小山 2016年に私の故郷である熊本を大地震が襲った際、東日本大震災で被災した人たちがボランティアでたくさん来てくれたんです。困難や試練を経験した人は、他の人の苦しみ、悲しみにも強く共感でき、その人のためにと自然に行動できるものです。
地震で多くの方々が亡くなったことは大変悲しいことですが、僕は、生き残った者には悲劇をよりよい未来への転機にする責任があると痛感しました。そこで「あの地震があったからこそ、熊本はこれだけ素晴らしい場所になった」と、いつか言えるようになろうという思いで、復興支援や熊本を盛り上げる活動に取り組んだんです。
海原 人生に苦難や試練はつきものです。世界を見れば戦争や飢餓、災害に苦しんでいる人のほうが多いとさえ言えます。
どんな人にとっても、「生きることは大変なこと」です。だからこそ苦境をチャンスととらえ、ポジティブに生きることが大事だと思います。
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心療内科医・昭和女子大学客員教授
海原純子(うみはら・じゅんこ)
東京慈恵会医科大学卒業。同大学講師を経て、日本初の女性クリニックを開設。ハーバード大学客員研究員、日本医科大学特任教授を経て現職。日本ポジティブサイコロジー医学会理事。読売新聞「人生案内」回答者。毎日新聞「新・心のサプリ」連載中。著書多数。ジャズ歌手として「Then and Now」など3枚のジャズアルバムをリリース。
放送作家・脚本家
小山薫堂(こやま・くんどう)
1964年熊本県生まれ。日本大学芸術学部放送学科在籍中に放送作家としての活動を開始。 「料理の鉄人」「カノッサの屈辱」など斬新なテレビ番組を数多く企画。映画「おくりびと」で第32回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第81回米アカデミー賞外国語部門賞を獲得。
執筆活動の他、京都芸術大学副学長、下鴨茶寮主人、2025年大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーなどを務める。「くまモン」の生みの親でもある。