【潮3月号の読みどころ】民衆こそ王者――池田大作とその時代

｢地図を開げて いづこの島かと｣ 第1回離島本部総会――一番乗りは瀬戸内海からやってきた。直島の22人である。夜行列車で朝の8時に東京に着き、会場の最前列に座った。中心者は宮本松司だった。それまで2度、経済的な窮地に陥った。2度とも、自分の"生命の癖"が招いた危機だった。〈結婚当初、夫（宮本松司）は写真店を営みながら、カメラマンを志していた。少しばかり蓄えができると、商売は妻（澄子）に任せっきりで、撮影旅行へ出掛ける。そのため資金繰りが安定せず、家計はいつも"火の車"だった。生活に行き詰まった2人は、1958年、とうとう夜逃げ同然に直島を飛び出した。転居先の岡山市西大寺で、知人から仏法の話を聞く〉 これが1度目の危機だった。創価学会に入り、7年が経った。松司の旧友から「任せたい仕事がある。そろそろ直島に戻らないか？」と声がかかった。直島は三菱金属鈜業の精錬所が主な産業だった。松司は思いがけない縁で精錬会社を興し、社長になった。会社は順調に成長した。学会では地区部長になった。朝晩の勤行は欠かさなかったが、仕事を理由にして、学会活動は妻の澄子に任せっきりに。仕事の付き合いで始めたゴルフにのめり込むようになった。気づけば会社が倒れかけていた。〈あちこちの銀行に日参し、ようやく100人の従業員の給料を支払ったが……。会社設立から10年。多額の累積赤字は、もう限度に来ていた〉。いつしか〈自らの姿勢を棚に上げ、17年も信心をしてきたのに、と不信を起こしました〉（宮本松司の手記）。 池田が四国を訪れたのは、そんな時だった（1978年1月）。1月16日に愛媛に入り、8日間にわたって連日連夜、会合や懇談が続いた。全国からリーダーが集う本部幹部会も、この月は香川で行われた。松司は"前々から取引先とゴルフの約束も入っているし"……と、高松まで出かけた（1月22日）。会社が傾き、「ゴルフもこれが最後か」と心も荒れていた。その帰り道のことだった。交差点の信号待ちで、ゆっくり左折してきた車を何気なく見た。乗っていたのは池田だった。〈窓に大きく浮かんだ先生の気力にあふれた姿に触れた時、何とも言えない衝撃が貫いた〉〈そのときの池田先生のお顔が、いまだに私の脳裏に焼き付いて離れません〉（同） 池田はこの日、香川の四国研修道場で4000人の会合に出席し、その後、家庭訪問に走っていた。自分はいったい、何をしているのか。〈頭の先から足の先まで電流が走り、私は金しばりにあったように身動きできなくなっていました。ドアを開けて飛び出し、頭を下げたいと思うのですが、体がいうことをききません。信号が変わり、後ろの車からクラクションを鳴らされるまで、化石のようになっていました〉（同）。 このころ、ゴルフの後はパチンコに行っていたが、それどころではない。〈私は船を待ちかねるようにして家に帰り、ものもいわずに仏間に入ると3時間題目を唱えました。それから妻と娘に今日あったことを話し、これからは信心一筋に頑張るぞと宣言したのです〉（同）。 一度は人生の師匠と定めた人と、目が合ったわけではない。しかし、信号待ちの一瞬で生命が変わった。本当は自分も変わりたい、と埋み火のように秘め続けていた思いが弾けた。その後、直島の地区は支部になった。松司は初代の支部長に任命された。〈私が変わったとたん、それまでどんよりして、会合に出てくる人も少なく、折伏もできなかった支部が、ガラリと変わってしまったのです〉（同）。 直島の組織は、会合に集まる人の数も、弘教の数も伸び始めた。いっぽう仕事の姿勢も、人が変わったようだと部下から噂された。松司は〈（組織が）発展できなかったのは、私が（皆の）頭を押さえていたからだ〉（同）と気づいた。会社の赤字が消え、経理の担当者は自分の目を疑った。「長の一念」の重さを、とことん痛感する出来事が続いた。支部長になり、見違えるような結果が出るようになってしばらく経ったころ、池田から一首の和歌が届いた。 直島の 友の幸をば 祈りつつ 地図を開げて いづこの島かと 泣きながら、何度も読み返した。あの一瞬のすれちがいに、気づかれたはずはない。しかし松司にとっては、中心者である自分の生命の底まで見抜かれているとしか思えない一首だった。直島に第1回離島本部総会の知らせが来たのは、それから間もなくのことだった。妻の澄子は後年、周囲から推され、直島の町議会で初めての女性議員になった。（P154-157） 「おかあさんは負けないからね」 道下ハナは太平洋戦争が終わった直後、夫を失った。次女である智恵子の病に悩んだ。高校生の時、馬力（荷馬車）にはねられ頭を打った。それ以来、強い痙攣を起こすようになった。智恵子を連れて岡山や大阪の病院をまわった。治療法は見つからない。東京に行った時、知人から学会の座談会に誘われた。ハナは54歳だった。故郷の島に戻り、たった1人の信心が始まった。 近所からは「道下のかあちゃんは、気がちごうたそうじゃもん」と嗤われた。親族会議が開かれ、皆から反対された。近くに相談する同志はいない。東京の幹部に、月に3通、4通と手紙を書いた。「宿命転換」とは。「変毒為薬」とは。必ず戻ってきた丁寧な返事と、郵送の聖教新聞が頼りだった。 1年後、東京から派遣の幹部が来て、自宅で座談会を開いてくれた。ハナの知り合いが100人、入れ替わり立ち替わり、顔を出した。3日間で10人が学会に入った。初めての折伏が実り、島で会合が開けるようになった。豊田トシコ、大野久枝の姉妹らとともに、弘教に歩いた。 やがて学会員が50人ほどになった時だった。じつは、ハナにとってそのころが「一番つらい時」だった。ある日の座談会。終わった後、1人の婦人から遠慮がちに質問された。「島じゃ一番信心が古い道下さんじゃが、『あの人は、生活も、娘さんの病気も相変わらずじゃ』、こう言う人がおるんじゃが、私もどう答えていいか、いっぺん聞いてみたかったんじゃが……」 ハナは目のくらむような衝撃を受けた。折伏に行って塩をかけられ、ときには熱湯をかけられたこともあった。そんなことよりも、この質問のほうがはるかに鋭く心に突き刺さった。胸の奥からしぼり出すように「功徳はナ、モノ（おでき）が出たり治ったりいうもんじゃないんが、今に必ず、わかってくれる時がくる」と答えた。〈家路を急ぐ夜道。娘の姿を思うと、心がうずいた。"でも、おかあさんは負けないからね。本当に負けないからね！"……港の灯があふれる涙のむこうに揺れて見えた〉 智恵子の発作はいつしか治まり、新聞配達に歩けるまでに回復した。その後、長男を交通事故で失う悲劇もあった。智恵子も後年、島の多くの人に見守られ、安らかに息を引き取った。〈こうした出来事も、信仰をとがめる因とはならなかった。いな、むしろすべてを乗り越えて初志を貫く姿は人々の胸を強く打った〉（同） 小豆島に班が生まれ、地区になった。ハナが信心を始めてから20年後、地区は支部になり、やがて小豆島本部が誕生した。ハナは84歳で生涯を終えるまで信心を貫いた。「信心に対しては厳しく、男性に対しても、自分より年配の人にも『池田先生が言われることをきちっと実践していたら、幸せになる』『今はつらくても、〝冬は必ず春となる〟やから、この信心だけは絶対に間違いないんや』と言い切るんです。向かいに住むお医者さんにも『0時に座談会やるから、来なされ』と声をかけていました」「信心の厳しさ以外は可愛いおばあちゃんでした。会合に行く時に迎えに行ったら、向こうから歩いてきて、手に花を二輪ほど持っているんですよ。『お花、途中で摘んできたじゃ』って」（前田ますみ）（P.162-165） 功徳とは「信ずる力」 功徳とは何か。当時も問われ、今も問われ、これからも問われる、大きな問いである。 1つの問答がある。 大久保直彦は民音（民主音楽協会）の初代事務局長を経て、公明党から出馬し、党の書記長などを歴任した。早稲田大学3年生の夏、先に入会していた弟に誘われ、信濃町の学会本部を訪れた。髪は流行りのGIカット、アロハシャツにサンダル履きである。本部は木造モルタルの2階建てだった。白い開襟シャツを着た青年が応対してくれた。「この宗教は良いと言いますが、なぜそんな良い宗教をやっても、罰があるんですか」 その青年は、罰論ではなく、仏法で説く「業」について譬え話をした。「使っていなかったホースに水を流すと、初めは汚れた水が出ます。しばらく水を流すときれいな水が出ます。信心も続けていけば、やがてきれいな生命になっていくのです」 その日はたまたま他に来る人がいなかった。いろいろ尋ねてやろう、と大久保が仕込んできた質問に、開襟シャツの青年は1時間かけて、すべて応じた。聞くことがなくなると「またおいで。しっかり功徳を受けるんだよ」。そう言って見送ってくれた。帰り際、大久保は「功徳って何ですか？」と返した。青年は、「功徳とは、信ずる力です」と即答した。 暑い日だったが、外に出ると、大久保は風呂上がりのようにさっぱりした心持ちだった。弟に「あの人、いい人相だね？」と言うと、「あの人が池田参謀室長だよ」と言われた。大久保は、あの人の年は50歳くらいか、と問うた。弟から「29歳だよ」と言われ、仰天した。とてもそうは思えない威厳だった。この時、池田は「大阪事件」での投獄、そして法廷で戦う決意を固めて出獄してから、間もないころだった。 功徳とは、「難信難解」と説かれる法華経を信ずる力そのものであり、病や経済苦の克服も、迫害も、大小さまざまな体験は、すべて「信」を深め、強くするための方便である──この真理を「色読」した先人は数多い。小豆島の道下ハナもまた、その先駆者の1人だった。 池田は小豆島を訪れた際、〈小豆島／天下の福運／今日よりは〉〈小豆島／ここにも天下の／創価あり／広宣流布の／理想の島あり〉などの句や和歌を詠み、代表に贈っている。ハナには次の一首を贈った。 オリーブの 香りの如く 妙法に 仕えいそしむ 老母うるわしハナは人知れず返歌を詠んだ。 阿づき島（小豆島） 旗をかかげし 身の使命 同志と共に 我はひとすじ そして、こう語り残している。「私はネ、こう思うてきたんです。私が死んだのちでもいい、1人でもいい、"ああ、あの人の言うとったことは間違うとらんやった、この宗教は正しかった"と、こう言うてくれる人が1人でもいたら、それがもう私の全財産や、すべてやと思うてますんや」（P.165-167）

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