直木賞受賞の澤田瞳子さんが描いた歴史小説『梧桐に眠る』。本作は、言葉の通じない唐人と、戸籍のない子どもたちの出会いを通じて、"寄る辺なき者たち"の葛藤と生きざまを描いている。なぜこの時代を選んで執筆したのか。本作に込めた思いとは。澤田瞳子さんへの特別インタビューを実施した。 (パンプキン2025年11月号を転載。取材・文=鈴出智里、撮影=富本真之)
これを小説にできないかなと考えたことが本作を書いたきっかけです
これまであらゆる時代や人物、出来事に焦点を当てた歴史小説を執筆してきた澤田瞳子さん。本作はデビュー作の『孤鷹の天』に続き、平城京が舞台。今回、主人公として描いたのは、8世紀に唐の長安から来朝した、袁晋卿という人物だ。 「もともと奈良時代を専門に研究するなかで、渡来人全般にすごく興味がありました。日本は鎖国も行われ、島国でもあるので閉ざされたイメージをもたれがちですが、実は古い時代のほうが広く開かれていて、海外との精神的な距離がとても近かったんですよね。 そんななか、晋卿は20代で日本を訪れ、その生涯を過ごしました。語学の発音の先生として活躍しましたが、資料も全然残っていませんし、若くして日本に来た理由や、何を思ってとどまったのかを知りたくなりました。実は本作の約30年後を舞台にした『孤鷹の天』にも一瞬だけ、スパルタ教師になった晩年の晋卿が出ているんです」 遣唐使として唐を訪れていた玄昉と吉備真備に半ば強引に誘われ、海を渡り、故郷を離れて日本に来ることになった晋卿。 言葉も通じず、知らない土地で孤独な生活を強いられ、不安と後悔の念に駆られながら、平城京に住む浮浪児の狭虫、駒女、狗尾に出会う。
3人の子どもたちは、生きていくために盗みを働いて生きていた。その被害に遭い、到着早々に身分を証明する位記をなくしてしまった晋卿は、最初は「えらいところに来てしまった」と怒りと憎しみに包まれる。しかし翌日、盗んだはずの位記を持って、浮浪児3人のうちの1人である狭虫が、訪ねてきたのだ。
この子どもたちとの出会いをはじめ、多くの人との出会いややりとりを通して、晋卿が自分自身のもつ「相手を見る視点」について反省し、考えを改めて心を通わせていく姿が印象的だ。
人間を凸凹のある存在として描き続けたい
「私の小説は完璧に正しい人とか、完璧な悪人っていないんですね。すごい悪人でもどこかいいところはあるし、いい人にもやっぱり邪悪なところもある。
私は人間を凸凹のある存在として描き続けたいと思っていて、晋卿も日本に無理やり連れてこられたわけですから、腹を立てることもあるだろうし、自分より貧しい、醜いものに出会ったときは嫌だなと思うだろうと。
でも、そういった自分の気持ちから目を背けずに、まっすぐに向き合ったからこそ、自分の過ちに気づくことができる人物として描きました」
渡来人の晋卿はもちろん、世話役で晋卿に仕えることになった志邑が、唐の商人である父と日本人の母との子どもとして、批判や差別の壁にぶつかるシーンも見どころのひとつだ。
本を読むことは、世界を知ること
「日本という国自身が、決して純然たる島国ではなく、海外の刺激を受けながら文化を作り上げています。だから海外の人への批判や差別をすることは、実は批判や差別をしているその方自身のアイデンティティを否定することになるんです。
私はそういう言動を見るたびに、国語で書かれているものを読む力や、歴史を学ぶ力が弱くなっているなと感じます。その力をつけるには、本屋さんで知らない本を手に取って、世界が広がっていく経験が大切なのではないかと思います。自分のアンテナを高く立てることが大切です。
小説を書いていても、わかりやすく感動的で、いい人がすっきりして、悪い人が嫌な目に遭うような、そういう感動的な物語のほうが、恐らく喜ばれます。
でも、現実はそんな簡単なものではなくて。歴史も現実の出来事も、感動的で心地よいものばかりではないのが人間社会だと思うので、私の小説ではそういったことも伝えていきたいですね」