• 社会

「特攻隊」の史実を知ることで、新たにする平和への誓い

特攻隊員の記録を後世につなげたい

知覧特攻平和会館の学芸員として勤務しながら「ここでしかできないありがたい経験だ」と思うのは、特攻隊員の遺族や関係者と直接お話ししながら交流できることです。証言を聞くたびに、貴重な歴史を記録し、ご遺族や関係者の気持ちを預かる責任を痛感します。


甥や姪、孫の世代の遺族から、「特攻隊員だった家族の記録をいつまでも保存することが難しくなりました。知覧特攻平和会館でお預かりしてもらえませんか」と相談を受ける機会が最近増えました。


戦後79年という長い年月が過ぎる中、歴史の記録を決して散失させてはなりません。ご遺族が信頼して預けてくださる遺品を大切に保管しながら、今後の研究と企画展に生かしていきたいと思っています。


学生時代、私はくずし字や古文書を読み解く授業を熱心に受講していました。ちょうどNHKの朝ドラ「あさが来た」で広岡浅子(日本女子大学創立の発起人)の話を放送していた時期でもあり、広岡浅子や成瀬仁蔵(日本女子大学創立者)、新一万円札に採用された渋沢栄一(同、第三代校長)の手紙も原文で読んでいました。


昔の人は、現代人が使わない漢語調の単語を頻繁に使ったり、一読しただけでは読みにくいくずし字も多用しています。特攻隊員の中にも癖字やくずし字を使って手紙や日記を書く人がいるため、学生時代に勉強した知識が今になって生きています。


遺族からお預かりした中に読みにくい書簡があったとしても、展示の補足説明で現代文の読み下しを添えたり、翻訳を併記したりと、国内外問わず一人でも多くの方々に、特攻隊員が遺した書簡の中身を知っていただきたいと思っています。

特攻隊員が暮らした半地下の三角兵舎

小中学生や高校生が修学旅行や平和学習で選ぶ場所は、広島や長崎、沖縄が中心です。世界で唯一原子爆弾が投下された広島と長崎、そして日本列島の中で激しい地上戦が展開された沖縄が、平和学習のために重要な地であることは間違いありません。そのうえで、知覧だからこそ学べる歴史もあります。


前述のように、沖縄戦で亡くなった1036人の特攻隊員のうち、4割に及ぶ439人が知覧飛行場から出撃して戦死しました。隊員たちは出撃する前の最後の時間を知覧で過ごし、「明日出撃せよ」と命令を受けてから大切な人に向けて手紙や遺書を書いている隊員もいます。


手紙のほとんどは、母親への感謝が述べられているものでした。また、妹や弟など、この先を生きていく家族に向けて「ちゃんとお母さんに親孝行して、勉強をがんばって、これからの日本をよろしくお願いします」という遺書が数多く残されています。また、後輩に向けて「あとは君たちに託した」と書かれたお手紙もあります。こうした思いを受け止めて、遺族や関係者は戦後79年を歩んでこられました。


知覧特攻平和会館の敷地内では、特攻隊員が出撃するまでの数日間を過ごしていた三角兵舎(屋根が三角形の兵舎)を見学することができます。三角兵舎は、当時の関係者に話を聞いて復元されたものです。


秘匿性を高くして上空から容易に見つからないように、兵舎は半地下に建設されています。兵舎の中には布団と枕が並び、ここで寝泊まりしながら特攻隊員たちは日の丸に寄せ書きを書き連ねました。気丈に振る舞う特攻隊員ですが、夜になると布団に潜り、声を押し殺しながら涙を流す隊員も多くいたそうです。


八巻聡学芸員が私に「戦争遺跡はモノ言わぬ証言者だよ」と教えてくれたことがあります。戦死していった人たちが、知覧の空気を吸いながら実際にどんな場所で暮らし、どんな気持ちで出撃までの日を送っていたのか。三角兵舎を見学すると、特攻隊員たちの暮らしぶりと気持ちに思いを馳せられると強く感じます。

全国各地に散在する戦争と平和の資料館

戦争と平和を扱う資料館は、全国各地にたくさんあります。知覧特攻平和会館は、知覧のお隣の自治体にある万世特攻平和祈念館(鹿児島県南さつま市)、大刀洗平和記念館(福岡県筑前町)と2019年4月に3館連携協定を締結しました。


東京だと、シベリア抑留を扱った平和祈念展示資料館(東京都新宿区)も有名です。首都圏には桶川飛行学校平和祈念館(埼玉県桶川市)もあります。


若い人は「戦後79年も経ち、戦争は、はるか遠い時代の話だ」と縁遠い感覚をもつかもしれません。しかし戦争や紛争は今も世界各地で進行中です。対岸の火事のように突き放すのではなく、まずはお近くにある資料館に足を運び、戦争の歴史に目を向けていただきたいと思います。人々から忘れられてしまうのが、戦没者と遺族にとって最も悲しいことです。


映画や小説、ノンフィクション作品やドキュメンタリー番組など、私たちが戦争の歴史に触れる機会はたくさんあります。近年ではアニメ映画「風立ちぬ」「この世界の片隅に」など、戦争を扱ったヒット作も話題になりました。


こうした作品をきっかけに「史実についてもっと詳しく知りたい」と関心をもっていただけるとうれしいです。資料館には私のような学芸員やスタッフがいますので、「敷居が高いな」と臆することなく、来館した折には気軽に声をかけて何でも訊ねてください。


現在29歳の私は、多くの若者と同じく戦争を直接知らない世代の一人です。直接の戦争体験がなくても、語り部の証言や映像、手紙や資料に触れることによって、戦争の歴史を学びながら、想像力をめぐらせることができます。


特攻の史実を伝えることによって、戦場で散っていった特攻隊の戦い方を美化したいわけでは決してありません。太平洋戦争末期に亡くなっていった特攻隊員の生き様に目を向けながら「こうした不幸な歴史を二度と繰り返してはならない」と平和への誓いを新たにしたいと思うのです。


戦争の記憶を次世代に継承することは、現代を生きる私たちに課せられた使命ではないでしょうか。来館者の皆さまと一緒に特攻隊の歴史について学びながら、戦争と平和、そして特攻隊員が未来に託した想いについて、共に考えていきたいと思います。


皆さんも、ぜひ鹿児島の知覧特攻平和会館を訪ねてみてください。心からお待ちしています。



母親に宛てた最期の手紙


母様 今何も言ふ

事は有りません

最期の又最初の孝行に

笑って征きます

泣かずによくやったと

佛前にだんごでも具へて下さい

人形は藤夫と思って下さい

兄姉一現(弟の名前)に宜しく

忙がしく此の字を見て下さい

近所の皆様にも宜しく

母様藤夫は

笑って征きます

元気で

さようなら 藤夫


若松藤夫 少尉 鹿児島県出身 19 歳

鹿児島県知覧基地から出撃

1945年6月3日戦死


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