2024年7月29日、作家の古川智映子さんがご逝去されました。ひたぶるな祈りで困難や逆境に"負けない人生"を貫いた古川さん。そんな古川さんの著書は、今も多くの読者に励ましを贈っています。
(月刊『パンプキン』2024年11月号より転載。文=増沢京子 撮影=後藤さくら)
聖教新聞で大反響を呼んだ連載エッセイを単行本化し、30万部の大ヒットとなった『負けない人生』。
そこには次々襲い来る困難や逆境を「負けない、負けない、頑張れ」と自らに言い聞かせ、一つひとつ乗り越えてきた古川さんの"自分に負けない人生"が赤裸々に綴られている。
生きる勇気をくれる『負けない人生』
青森県弘前市の旧家の一人 娘で愛情深く育てられ、大学卒業と同時に結婚。だれもがうらやむ幸せな結婚生活に、思いもかけない試練が襲う。最愛の夫が貯金一切をもって愛人の元に走ったのだ。
お金も食べ物もなく、自殺も考える絶望のなかで、古川さんは知り合いの母娘(おやこ)から仏法の話を聞く。「必ず幸せになれます。幸せになりましょう」という言葉を胸に抱き締め、"日本一不幸な女"だった自分が"幸せの朝"をつかむまでの珠玉のエッセイだ。
そしてそんな人生のどん底で生まれたのが『小説 土佐堀川』だった。離婚して高校教師となった古川さんは、作家になる夢を抱き、「私以上の困難に打ち勝って生きた女性の人生を書いてみたい」という強い思いをもつ。
日本の女性史に関する本を読みあさるなかで、京都の豪商三井家に生まれ、17歳で大坂の両替商・加島屋(かじまや)に嫁いだ広岡浅子に強くひかれた。浅子は明治維新で家運が傾くと石炭の需要を見込んで鉱山経営を思いつく。良家に生まれ、苦労知らずに育てられたであろう女性が荒くれ男と一緒に鉱山に入り、護身用のピストルを懐中(かいちゅう)して働く。古川さんは「この劇的な行動に驚き、ぜひ書いてみたいと思った」という。
女性の強い生き方を描き、読者を励まし続けて
だがそんな矢先、緑内障が古川さんを襲う。最悪の場合、失明するかもしれない病だ。絶望の淵で古川さんを救ったのは、恩師・池田大作先生の"祈って祈って祈り抜きなさい。病気に負けないだけでなく、あなたの境涯をすっかり変えることができる"という確信の言葉だった。
「"負けない"とは、病気や不幸な運命にではなく、自分自身に負けないことなのだと気づきました」。
病を克服するなかで、『小説 土佐堀川』は完成。死力を尽くして働き、手に入れた富を独占せず、後に大同生命を興し、女性教育にも心血を注いで日本女子大学の創立にも関わった女性実業家・広岡浅子の生涯は、出版から27年を経てNHK連続テレビ小説の原案に決まり、ドラマと共に小説も大ヒットを記録した。
その後も女性の強い生き方を描いた連作として、『家康の養女 満天姫(まてひめ)の戦い』と『赤き心を おんな勤王志士・松尾多勢子』を執筆。前者は、家康の命で津軽藩主に嫁ぎ、江戸と津軽のために戦った満天姫を、後者は勤王の志を胸に52歳にして単身上洛し、国事に奔走、幕末の動乱期に信念を貫いた松尾多勢子を描いた。
そんな古川さんの元には、読者から膨大な数の感想や相談事の手紙が寄せられた。その一通一通に丁寧に目を通し、92歳で亡くなる直前まで返事を書くために筆を執っていた。受け取った一人ひとりに負けない人生を歩んでもらいたい! 何としても幸せになってもらいたい! との願いを込めて。
かつて「私の小説は文学じゃないの。作品も少なく、作家として名乗るのも恥ずかしいくらいです。文学ではなく、人を励ます文なんです」と語った古川さん。それは自らが幸福になるだけでなく、悩み苦しむ多くの"ひとりのために"心を尽くすという古川さんの生き方を象徴するような言葉だった。人生の師と仰ぐ池田先生から学んだ"負けない人生"を貫いた古川さんの作品は、今もそれぞれの立場で奮闘する読者の最大の友となり、温かな励ましを贈り続けている。