米露中欧の行動原理から読み解く緊迫の国際情勢
2024/01/10特別企画【2024年世界と日本が直面する難問】では、池上彰さんに2024年に大きな動きが予測される国際情勢について解説いただきました。
(『潮』2024年2月号より転載。サムネイル画像=著作者:natanaelginting/出典:Freepik)
【記事のポイント】
- ガザ危機において、ヨーロッパはユダヤ人への贖罪意識から、アメリカはロビー団体や福音派の影響力からイスラエルを支持している。
- 中国が近いうちに台湾を侵攻するとは考えにくい。二段構えで統一を目論む中国には中長期的なスパンで戦略をつくる必要がある。
- もしトランプがアメリカ大統領に再選すれば、国際的な枠組みからの脱退や在韓米軍の撤退を行い、大混乱を及ぼす可能性がある。
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イスラエルを批判できない欧州諸国
本稿では、不透明さを増している2024年の世界情勢を展望していきます。
2023年10月、イスラム武装組織ハマスがイスラエルに奇襲攻撃を行いました。大きな被害を出したイスラエルはガザ地区に侵攻。戦闘は現在もつづいています。
イスラエルの侵攻が始まったとき、アメリカもヨーロッパの主要国も一斉にイスラエル支持を表明しました。この姿勢は、パレスチナに同情的な傾向がある若い世代とは大きく異なっています。各国政府が一貫してイスラエルを支持している背景にはどんな理由があるのでしょうか。
まず、ヨーロッパ主要国の脳裏には、ユダヤ人への贖罪意識が色濃く残っています。ナチスによって約600万人のユダヤ人が犠牲となった「ホロコースト」を、ヨーロッパの人々は傍観していたのです。もちろん、虐殺の詳細は知らなかったでしょうが、ナチスがユダヤ人を鉄道に載せてヨーロッパ中の占領地からどこかへ――アウシュヴィッツをはじめとする収容所へと移送していたこと。そこで何か大変なことが行われていることには気づいていたはずです。にもかかわらず、本気になって彼らを助けようとしなかった。
戦後、そうした罪の意識を西欧の主要国がもつようになりました。それもあって、ユダヤ人が「パレスチナに自分たちの国を建てたい」と求めると、ヨーロッパ各国は反対することなく、国連でパレスチナ分割決議が採択されました。『アンネの日記』が世界的ベストセラーになったことでも、ユダヤ人への贖罪意識、同情心が広がっていきます。
また、戦後ドイツは謝罪、賠償をつづけることで国際社会における立場を認められてきました。そのため、イスラエルの行動を一分(いちぶ)も批判することができない自縄自縛の状態に陥っているのです。
イスラエルも巧みに外交を展開してきました。現在、反ユダヤ主義を絶対に許容しないことは国際的なコンセンサスとなっており、ヨーロッパの政治家にとって「反ユダヤ主義者」のレッテルを貼られることは政治生命を失うことに等しい意味をもちます。と同時に「イスラエル批判はすなわち反ユダヤ主義だ」という構図も広めてきました。その結果、反ユダヤ主義のレッテルを恐れて政治家はイスラエルに対して沈黙せざるを得なくなっているのです。
一方、若い世代は別の見方をもっています。いまはスマートフォンで撮影した戦地の映像が、リアルタイムでSNSに発信されます。死んだ我が子を抱いて泣き叫ぶ親、白い布袋に包まれた遺体がズラリと並んで埋葬されていく様子……。パレスチナの映像を見たZ世代の若者が「いくらなんでもイスラエルのやり方は酷すぎる」と反発するようになっています。
かたやイスラエル国内では、奇襲時にハマスの戦闘員が撮影した映像が公開され、憎しみが募っています。家に押し入って親子を殺害する戦闘員。子どもたちの目の前で父親を殺害し、血まみれで逃げ惑う兄弟を追って家に入り、その家の冷蔵庫から炭酸飲料を取り出して飲む戦闘員。赤ちゃんが殺害される映像も流されました。
イスラエルのなかにも多様な意見はあるのですが、それでも残虐な映像を目の前にして「ハマスは許せない」という世論で一致するわけです。こうした状況下で戦闘はますます泥沼化しています。
イスラエル・ロビーと福音派
アメリカもイスラエル支持で一貫していますが、その背景はヨーロッパと異なっています。アメリカにはイスラエルを上回る750万人のユダヤ人が暮らしているともいわれます。なかにはビジネスで成功した人も多く、歴史的に金融業界を牛耳ってきました。
そうした超富裕層の人々を背景に、ユダヤ人団体(イスラエル・ロビー)は親イスラエルの政治家に莫大な政治献金を行っています。反対に、少しでも批判的な政治家に対しては、その議員の選挙区で対立候補を支援するわけです。アメリカ議会は小選挙区制度のため、イスラエル・ロビーの支持が当落を左右することになります。こうした政治的な構造がアメリカのイスラエル支持の大きな要因になっているのです。
もう一つ、アメリカが親イスラエル国になっている理由に、全米人口の4分の1を占めるキリスト教福音派(エヴァンジェリカル)の存在があります。福音派は「聖書に書かれていることは一字一句すべて真実だ」と信仰している人々です。旧約聖書には、神がユダヤ人に土地を与えると書いてあります。それがパレスチナ地方です。そのため福音派は、イスラエルへの支援を信仰の一環として強力に推進しているのです。
私は大統領選挙のたびに現地を取材していますが、共和党大会でも民主党大会でも必ず、「We Stand With Israel」(われわれはイスラエルとともに立つ)と記され、アメリカとイスラエル双方の国旗をかたどったバッジを胸につけた支持者が集まっています。24年の選挙で誰が勝利しようが、政府がイスラエルを支持する姿勢に変わりはないでしょう。
Freepik
台湾統一を目指す中国の二段構え
選挙といえば、1月に台湾で総統選挙が行われます。本稿で選挙の結果を予測することはしませんが、いわゆる台湾有事のリスクについて考えたいと思います。
2023年、アメリカCIA(中央情報局)の長官が大学の講演で次のような情報を発表しました。すなわち、習近平が27年までに台湾侵攻を成功させるための準備を人民解放軍に指示した、と。27年といえば、習近平の国家主席3期目の最終年に当たります。台湾統一という悲願を成就できれば4期目も見えてくる。そうした意味で、習近平は台湾侵攻を真剣に検討しているといえます。
ただ、逆に「現時点で中国には台湾を占領する戦力はない」ともいえます。台湾有事の可能性はまったくないとは言い切れませんが、少なくとも24年に情勢が大きく動くことは考えにくい。
現在、中国が行っているのは、「戦わずして勝つ」という戦略です。たとえば、人民解放軍の軍機が台湾の防空識別圏を頻繁に侵犯しており、そのたびに台湾空軍機は緊急発進(スクランブル)を余儀なくされています。中国は台湾軍を疲弊させ、中国への抵抗を諦めさせようとしているのです。また、反中意識の強い民進党を批判し、中国寄りの国民党を後押しするような言説やフェイクニュースを台湾内で流し、世論操作を目論んでいます。そうして国民党に政権を奪取させ、中台関係を改善し、最終的には平和裏に台湾を統一しようというわけです。
まずは「戦わずして勝つ」を目指しながらも、27年までに事態が進展しなければ軍事侵攻も辞さない。こうした二段構えの中国に対しては、あくまで中長期的なスパンで戦略をつくっていかなければならないでしょう。
プーチンを支える農村部の庶民
目下ウクライナ戦争を継続しているロシアでも、24年3月に大統領選挙が控えており、5選を目指すプーチンも出馬する見通しです。私の友人である佐藤優さんは、ロシアの大統領選挙について次のように説明しています。
「①悪い候補者②とてつもなく悪い候補者③信じられないくらい悪い候補者、このうち一番マシな①を選ぶのがロシア大統領選挙だ」
独裁者と評されるプーチンですが、彼は「国民から民主的に選ばれた」という形式を重視しています。これまでも②や③のような対立候補を用意し、形だけでも民主的に争う選挙を行ってきました。今回も同様の手続きを経て、圧勝するのではないかと思います。
当選した暁に、プーチンはウクライナの大統領ゼレンスキーを非難するかもしれません。というのも、ウクライナでは本来24年春に予定されていた大統領選挙の延期が示唆されています。国土が戦地となっているのですから致し方のないことですが、そうなった場合に、プーチンが「自分は民主的な選挙によって国民から選ばれた。ゼレンスキーは選挙をせずに権力に居座る独裁者だ」と言うこともありえるでしょう。
日本のニュースを見ていると、「ロシア国民はプーチンに反発しており、プーチン政権は揺らいでいるはずだ」と考えてしまいがちです。しかし、国土の大半を占める地方・農村部は圧倒的にプーチン支持なのです。農村部の民衆、とくに年配層はソ連崩壊後の経済の大混乱を覚えています。当時は、社会主義を捨てて急激に資本主義化したことで庶民が貧困に苦しむようになっていた。それが、エリツィンが退陣してプーチン政権が誕生すると、ロシア経済は見事に立ち直りました。直接の要因は中国やインドが急成長してエネルギー価格が上昇したことにあります。資源輸出国のロシアの財政は改善し、社会保障は充実しました。
知識人ならロシア経済の復活が別にプーチンの手腕によるものではないとわかっています。ですが、農村部で暮らす庶民の肌感覚では「プーチンが大統領になった途端、暮らしが豊かになった。プーチンのおかげだ」となるわけです。
また、「ソ連」に対して郷愁や憧憬の念を抱いているロシア人も少なくありません。かつてのロシアはアメリカと対等に争っていた「偉大な大帝国」なのだ、と。しかし、冷戦の終結とソ連の崩壊によってロシア人のプライドは大きく傷ついてしまいました。そこで、皇帝のように振る舞い、再びアメリカと堂々とわたり合っているように見えるプーチンの姿に、人々は自信を取り戻すような思いになっているのです。
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トランプ再選後に激変する世界
ガザ危機はアメリカ大統領選挙の情勢に大きな影響を与えています。前回の選挙でバイデンに投票したZ世代の若者たちがバイデン離れを起こしているのです。先述した通り、Z世代はパレスチナの人々に同情的でイスラエルに反発心を抱いており、頑なにイスラエルを支持するバイデンに失望しています。彼らがトランプに投票することはないでしょうが、選挙を棄権するといった行動はとるかもしれません。すると、岩盤支持層を維持しているトランプの得票率が相対的に浮上して、再選を果たすシナリオが見えてくるのです。
もしトランプが再選したら、アメリカは現代版「モンロー主義」(不干渉主義)へと急速に傾いていくはずです。たとえば、彼は「もし自分が大統領だったらロシアとウクライナの戦争を一日で終わらせてみせる」と豪語していました。要するに、ウクライナへの武器支援を打ち切るのです。アメリカの支援がなくなればウクライナは戦闘を継続できなくなり、否が応でも戦争は終結に向かいます。
また、ほかの国際的な枠組みからも離脱していく可能性があります。バイデン政権になって再加入したパリ協定からは確実に再脱退するだろうし、場合によっては、NATO(北大西洋条約機構)からも脱退するかもしれません。
日本、アジア地域も重大な影響を被るでしょう。トランプ政権時代に国防長官を務めたマーク・エスパーの回想録によると、トランプは「在韓米軍を撤退させる」と意気込んでいたそうです。あわてた国務長官のポンペオが「それは2期目にやったらどうですか」と押し止とどめたところ、トランプはニヤリと笑って「よし、2期目にな」と答えたそうです。これを真に受けるならば、朝鮮半島情勢に激震が走るかもしれません。さすがに在日米軍撤退まではしないにせよ、「在日米軍の駐留経費をもっと負担しろ」と迫るぐらいのことはする。また、対立はしつつも何とか改善に向かっていた米中関係もひっくり返し、バイデン政権の努力は水の泡となるでしょう。
トランプ再選時のアメリカは、世界の安全保障状況や国際協調、国際秩序に対して甚大な混乱を及ぼすことは十分に考えられます。そのとき日本はいったいどうやって対応していけばいいのか。不安に思う気持ちは否めません。
見通しが暗いガザ危機の行方
最後にガザの行く末について触れたいと思います。前提として、イスラエルによる掃討作戦が、ハマスが壊滅するまでつづく可能性があります。
そのうえで、仮にハマスの組織壊滅までいったとして、その後の展望がまったく描けていないのです。強いて言うなら、パレスチナ問題の帰結には3つのシナリオが考えられます。
第1に、イスラエルがガザ地区を占領するというケース。ただ、ガザの各種インフラは大きく破壊されています。そこから復旧、復興までイスラエルが責任をもって統治するとはとても思えません。また、ハマスの戦闘員を根絶やしにしたところで、その恨みによって必ず別の過激派が生まれます。結局、イスラエルと過激派との戦いは終わりません。
第2に、ヨルダン川西岸地区を統治している穏健派の「ファタハ」にガザ地区の統治を任せるケース。しかし、ファタハは腐敗しきっていてガザの民衆から信用されていない。統治能力のないファタハが安定的な統治や復興を実現できる公算はありません。
第3に、ガザ地区の住民220万人をエジプトのシナイ半島に移住させる計画がイスラエルで議論されています。この計画はエジプトが断固として拒否しているため履行される見込みは薄いでしょう。また、シナイ半島にはIS(イスラム国)系の過激派がいますから、ハマスの残党が紛れこんでISと手を結ぶリスクもあります。
事程(ことほど)左様に、パレスチナ問題の解決、ガザ地区の復興や安定に向けた青写真を世界の誰も描けていないのが現状なのです。
新年早々、暗い見通しばかりとなって申し訳ない思いです。ただ、そのうえで私はなお、Z世代をはじめとした若い人たちに希望を見出したい。彼らは「戦争や争いは良くない」という当たり前の感覚を大切にし、自分の価値観に基づいて投票行動をする傾向があります。デジタルネイティブのZ世代なら、戦争の惨状を先入観なしに受け止めるでしょう。彼らが社会で影響力をもつ時期が来たら、指導者に愚かな戦争をやめさせ、平和な世界を築いていただきたい。闇の中に暁の光を見出す思いで、世界の若者に期待しています。
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ジャーナリスト
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県生まれ。73年にNHK入局。記者として、さまざまな事件、社会問題等を担当する。「週刊こどもニュース」のお父さん役としても活躍。2005年に独立。「知らないと恥をかく世界の大問題」シリーズ、「池上彰の世界の見方」シリーズ等、著書多数。名城大学教授、東京工業大学特命教授等も務める。