“潤日”が進む今こそ、恐れや排外論ではなく事実で語ろう。コロナ禍以降に日本にやってきた中国新移民と日本社会が長期視点で共生の道を共に設計するための土台を示す。
(月刊『潮』2025年9月号より転載)
******
記事のポイント
●コロナ禍以降、旧移民(新華僑)とは出自が明確に異なっている中国人富裕層が、日本へ移住する"潤日"という動きがみられる。
●首都圏の私立有名校では中国人が増えているが、新移民の子弟が日本社会などに与える影響は、中長期的視点で慎重に注視すべきだ。
●SNSでは中国人をはじめとする外国人への排外主義的な言説が目立っているが、ファクトを冷静に押さえたうえでの議論が必要だ。
富裕層の大移動 中国人の国外脱出
コロナ禍の2022年、中国で「潤(ルン)」という言葉が流行語になったことをご存じだろうか。中国語の「潤」の発音記号「rùn」と英語の「run」(走る、逃げる)を引っかけて「移民する」「国外脱出」という造語に転じたものだ。特に、コロナ禍で中国政府が行った「上海ロックダウン」をはじめ、大都市における厳しいコロナ対策が敷かれたことなどをきっかけに、中国から国外に出る「潤」が急速に増えていった。私はこうした動きについて取材を重ね、今年初頭に『潤日 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う』という新刊を上梓した。
1980年代から2010年代にかけて来日した旧移民(新華僑)と、2020年代に入ってから日本に"潤"するようになった新移民の出自は明確に異なる。
一昔前の旧移民(新華僑)は、福建省や東北三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省)の地方出身者が多かった。留学生や外国人技能実習生、出稼ぎ労働者としてやってきた中国人は、豊かな資産をもつ富裕層ではない。彼らは日本にやってきた後、地方都市の農村や漁村へ移り住んだ。首都圏では同胞が多く暮らす新宿区高田馬場や豊島区池袋、埼玉県西川口エリアに移住した。家族や親族、同郷の知り合いなど、地縁血縁を頼って来日するのも旧移民の特徴だった。
2020年代に入ってから"潤"するようになった新移民は、北京や上海、香港など都市部出身者が多い。多くの資産をもつ富裕層の彼らは、起業家や投資家、学者やメディア人として日本でバリバリ仕事をする。居住地は東京都心(中央区、江東区、港区)やベイエリアのタワーマンション、あるいは郊外の一軒家が定番だ。
コロナ禍が引いた日本移住の引き金
新移民の"潤"が一気に加速したきっかけは、コロナ禍にともなう2022年の上海ロックダウンだった。旧移民(新華僑)は母国に対して親政府的な傾向があるが、新移民はそうではない。もともとどちらかというと反政府的な傾向が強いうえに、強権的に上から力で抑えつける中国政府のやり方に、彼らはほとほと嫌気が差した。
中国人富裕層が"潤"する行き先として、どこが適切なのだろう。長期的に円安が続く日本は、先進諸国の中で突出して生活コストが安い。中国も日本も同じ漢字圏だから、日本語がまったくわからなくても当面のあいだ生活には困らなそうだ。
中国人は家族とのつながりを非常に重視するから、できれば家族と遠く離れていない場所で暮らしたい。上海・東京間は、飛行機に乗れば約2時間半で行き来できる。いつでも家族に会いに行ける地理的近さは魅力だ。日本と同様に"潤"する場所に選ばれている熱帯のシンガポールと違って、日本には四季があって過ごしやすい。また、中華系移民が多いアメリカも、反中感情が広がり、アジア人へのヘイトクライム(特定の人種や民族などを標的とした犯罪)が起きており、中国人にとって日本のほうが治安ははるかに良いのだ。
中国社会科学院はつい最近、中国人の日本への旅行に関するリポートを公表した。そこには「一部の観光客が日本の生活コスト、教育資源および社会秩序に一定の魅力があると考えており、短期間の旅行考察は徐々に家族の長期計画の一部となっている」という分析が書かれている。
インバウンド(外国人観光客)として過去に日本を訪れたことがある彼らには「日本は過ごしやすい」という記憶がある。中華料理は当然として、日本には各国のおいしいレストランが勢揃いしている。食中毒は基本的になく、安全と安心が担保されていて食事は何でもおいしい。東京にはエンタメもたくさん揃っている。
こうした点を総合的に勘案した結果、日本に"潤"する中国人がここ数年一気に増えた。
資本金500万円 緩いビザ取得条件
日本以外の先進諸国は外国人投資家向けのビザ発給を縮小している。さらに、第2次トランプ政権のアメリカでは就労ビザ審査のさらなる厳格化も進む。そんな中、日本だけは外国人経営者や労働者への就労ビザを拡大してきた。
日本における「経営・管理ビザ」の取得条件は比較的緩い。500万円以上の資本金か2人以上の常勤職員を用意すれば、あとは日本国内に事業所を構える必要があるのみだ。
「高度専門職ビザ」を取得する場合は、日本語の習熟度や学歴、収入などさまざまな角度から点数がつけられて判断される。一方で「経営・管理ビザ」は年齢も日本語の習熟度も厳しく問われない。しかも家族を帯同して最長5年間日本に滞在できる。"潤"したい中国人は「ビザ取得条件が緩い日本にすぐにでも行こう」となるのだ。
〈2024年6月時点で、中国人による取得者は15年の2倍超となる2万551人で、同ビザで在留する外国人全体の半数以上を占める。大阪府などではビザ取得のために民泊の運営法人を設立し、移住するケースが目立つ。〉
〈中国の富裕層らが日本の教育や社会保障制度に魅力を感じて来日するケースもあるとみられる。韓国では同様のビザ取得に必要な資本金は3億ウォン(約3000万円)以上で、日本は格安だ。〉(6月10日付、読売新聞)
彼らにとって、日本円で500万円程度の資本金はまったく負担ではない。他国と比べてあまりにもビザ取得のハードルが低すぎるため、現在日本政府は「資本金500万円以上」という基準を引き上げる方向で検討している。
名門小学校「3S1K」
一人っ子政策が敷かれてきた中国の保護者は、日本人以上に教育熱心だ。子どもの教育のためなら、彼らは投資をまったく惜しまない。首都圏の有名進学塾には、旧移民(新華僑)の子どもが従来たくさん在籍している。最近では"潤"してきた新移民の子どもも増えてきた。
首都圏に集中する私立の有名校では、中国にルーツをもつ子どもが増えている。千葉県のある高校では、中国人の在籍率が50%達しているところがあるほどだ。さらに、PTAの幹部に、日本人ではなく中国人の保護者が就くケースもある。
新移民の中には、地縁血縁の伝手がまったくなくても日本にやってくる人がいる。中国で使われている「レッドノート」(小紅書)というSNSで情報を得て、中国人向けの不動産仲介会社にアクセスするのだ。こうしたサービスを利用すれば、日本で暮らすための物件探しもそれほど困難ではない。
日本にやってきた瞬間、名門小中学校の学区内にある不動産(通称「学区房」)を購入する親もいる。子どもを受験戦争で勝利させて進学校に送りこむため、立地を選別するのだ。
彼らの中では、名門小学校の「3S1K」が人気だ(文京区立の誠之小学校、千駄木小学校、昭和小学校、窪町小学校の頭文字)。「3S1K」の周辺には、このところ中国人の家族連れがどんどん引っ越してきている。
私もつい最近「3S1K」の小学校のうちの一つに足を運んだ。学校に出かけると、校門の前で顔見知りの中国人のお母さんが子どもを迎えに来ていた。家族は2024年に日本に引っ越してきたばかりなので、お母さんは日本語がまったく話せない。そこで私が通訳をしながら、しばらく学校側とのやり取りを仲介した。
日本語が得意でない新移民は、WeChat(微信=中国のSNS)やLINEでグループを作り、独自のコミュニティを形成して情報交換している。東京都文京区や港区、あるいはベイエリアのタワーマンションで暮らしている中国人富裕層は、今のところ日本人コミュニティにうまく溶けこんでいるようには見えない。
しかし、中国人の子どもが日本の私立中学校や高校へ進学すれば、次世代へ向けて日本人コミュニティに溶けこむ動きがおのずと進むと思う。
富裕層の彼らにとっては、高い学費を払うことに痛痒感はない。子どもを日本の大学ではなく、欧米の大学に進学させる動きも進むかもしれない。新移民の子弟が日本社会と日本経済に今後どのような影響を及ぼすかは、中長期的視点で慎重な注視が必要だ。
中国人留学生向けの塾の看板が多数みられる高田馬場駅
東京で増える中国語の専門書店
先ほど私は「旧移民(新華僑)は母国に対してどちらかというと親政府的だが、新移民は反政府的な傾向が強い」と記した。人数としてはそれほど多いわけではないと思われるが、政治的な理由で言論統制を忌避して日本に来ている中国人も一部にいる。リベラル系知識人の中国人コミュニティが、日本で徐々に厚みを増しているのだ。
興味深いことに、中国の書籍を扱う専門書店が東京で次々にできている。中国語の書籍を出す出版社も出現したほどだ。日本では憲法で言論・表現の自由が保障されているから、中国人の知識人がいかなる言論活動を展開しても、日本政府から弾圧される心配はない。
このように中国知識人の集結が目立つ都市は、世界を見渡してみても東京だけだ。
清朝末期には、革命を志す孫文や魯迅といった知識人が日本に留学したり亡命したりして集まってきた。当時は宮崎滔天や梅屋庄吉といった民間人が陰に陽に彼らを支援していた。
日本に"潤"する中国の知識人が企業経営者や富裕層とつながりをもち、中国本土に影響を与える政治勢力になっていくのか。それともそうはならないのか。清朝末期と現代では時代背景がまったく異なるので、現段階では「こうなる」とはなかなか言いにくい。
いずれにせよ、中国政府の言論統制に息苦しさを覚える知識人にとって、東京が新たな居場所になっていることは事実だ。
不動産の保全とAI企業の海外進出
アリババグループやアントグループを創業したジャック・マーをはじめ、中国人起業家や資産家の多くが日本に不動産を所有しているのは公知の事実だ。
中国共産党による一党独裁体制の中国では、今良い政策が出ていても、明日になったら政策がどちらに転ぶかわからない不確実性がある。
日本政府は経済政策を性急に動かさず、良くも悪くも少しずつゆっくり変えていく傾向がある。中国人資産家にとっては、そんな日本に不動産を保全しておくことは格好の安全策だ。
第2次トランプ政権が発足して以降、アメリカは中国に関税のプレッシャーをガンガンかけ続けている。現在アメリカに住んでいる中国人への締めつけは強まっており、外国人留学生をアメリカ国外に締め出す動きも顕著だ。
そこで彼らは、トランプ旋風を避けるため次なる行き先を考え始めている。かつてアメリカに"潤"した中国人が「二潤」(アールン=2度目の国外脱出)をするのだ。トランプ政権下で、現在アメリカに住んでいる中国人が日本に脱出する動きが始まるかもしれない。私はその動きを注視して取材を続けていこうと思う。
中国のAI(人工知能)企業が海外に進出する「出海」の動きも最近盛り上がっている。彼らが日本でどのようなビジネス活動を展開するかも注目だ。
いずれにせよ、多くの中国人は「日本はバッファゾーン(緩衝地帯)であってほしい」と願っている。もちろん、日本はアメリカとの同盟国家。だが、中国人にとって日本はアメリカ一辺倒であってほしくない。中国と日本の間に政治的対立があったとしても、経済面では中国との関係を重視してほしい、というのが大方の見方だろう。日本が門戸を閉ざさず寛容に開放していてくれれば、「出海」したい中国企業にとってビジネスチャンスが生じるからだ。
外国人排斥に抗してファクトで議論せよ
このところユーチューブやSNSで、中国人をはじめとする外国人への排外主義的な言説が目立つ。「国民皆保険制度にタダ乗りして医療費を食いつぶしている」といった類の言説だ。
これらの言説の中には、ファクト(事実)と数字に基づかない主張も数多く含まれる。感情的反発が先行し、排外主義と反移民の言説に与することは日本を長期的に利するだろうか。ファクトを冷静に押さえたうえでの議論が必要だ。
2023年、東京23区の新築マンションの平均価格は1億1483万円と、初めて1億円の大台を突破した。2024年の新築マンションの平均価格を見ると、東京23区は1億1181万円、神奈川県が6432万円、千葉県が5689万円、埼玉県が5542万円と高止まりの状況が続く。(不動産経済研究所による)
不動産の局地的な価格上昇に、中国人の存在が影響している可能性はある。投資目的でタワーマンションを買う外国人が局地的な不動産価格の高騰に一定程度寄与しているのはたしかだ。
国民の不安を払拭するため、国土交通省は東京都内におけるマンション価格の高騰と外国人投資の実態について、初めての調査を実施する意向を表明した。
まずは政府がデータと数字を正確に把握することが重要だ。そのうえで、今ある制度に不備があるのなら、ビザの取得要件を変更するなど制度設計に少しずつ手を加えていけばいい。
中国からやってきた人々の日本における経済活動を尊重しながら、"潤"してきた中国人と日本人が手を携え、どう共生していけるのか。他国の事例も参考にしながら、私たちはその道を長期的な視点から模索していくべきだ。
******
中国・東南アジア専門ジャーナリスト
舛友雄大(ますとも・たけひろ)
1985年福岡県生まれ。カリフォルニア大学国際関係修士。2010年に中国の経済メディアに入社後、国際報道を担当。14年から16年まで、シンガポール国立大学で研究員。早稲田大学日本グローバル経済研究所招聘研究員。初の著書『潤日 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う』が増刷を重ねて話題。