• 文芸

【再掲】井上荒野さん 連載小説「1+1」(ワン プラス ワン) 開始記念インタビュー

  • パンプキン

2023年7月号から2025年6月号まで月刊『パンプキン』で連載した小説「1+1」(ワン プラス ワン)。著者は、直木賞をはじめ、数多くの話題作を発表する井上荒野さん。登場人物のこまやかな心理描写と、心に残る食の風景を描く名手です。井上荒野さんに小説「1+1」(ワン プラス ワン)について伺った特別インタビューを再掲いたします。

(『パンプキン』2023年6月号より転載。取材・文=中島久美子 写真=富本真之)

初めてペアリングをモチーフにした小説

料理や食の風景を鮮やかに描き出す作家、井上荒野さん。新しく始まる連載では、「ペアリング(食べ物と飲み物の組み合わせ)」をモチーフにした掌編小説にチャレンジする。 「"食をテーマに最後にひとさじの希望が残る小説を"という編集の方からの依頼があり、雑談の中で、食べ物と飲み物のペアリングならいろいろお話が書けそうだなと思ったんです。ペアリングはノンアルコールでも、お菓子とお茶でもいい。食べ物のテーマでこれまでいくつも作品を書いてきましたが、ペアリングというのは初めてだから、面白いものができるんじゃないかな、と思いました」 飲食の組み合わせだけでなく、食事をする相手との人間関係も大きな要素になる。 「この人と食べるから、あの場所だったからこのペアリングがおいしいとか。そこに説得力をもたせることができれば、味覚だけでなく小説的にも膨らんでいくのでは、と」 第1回は「きすのフライと白ビール」。物語の中心人物は、東京近郊の街にある俳句結社の同人、瑤子ようこ拓郎たくろうだ。「毎月の連載なので、旬のものは欠かせない要素。7月の旬のものには、私の大好きな鱚があります。天ぷらもおいしいけど、ここはフライで、と」 ペアリングが白ビールに決まるまでに、小さなドラマがある。ある日、俳句結社にふらりと現れた拓郎は、人を惹きつけるチャーミングな男。「ある種の"人たらし"ですね」 瑤子も拓郎も食べることが好きで、料理にもこだわりがあるが、登場するのはグルメなお皿だけでなく幅広い。「ジャンクなものでも今日はこれがおいしいね、ということがある。私が高校生のころはおなかがすいたときに食べるチャルメララーメンが、すごくおいしかった(笑)。ゴクゴク麦茶を飲んだり、牛乳を合わせても。意外な組み合わせだけど、ある種説得力がある。そういうものも入れて」

だれと食べるか、そこでどんな時間を過ごすか

井上さんの作品を読むと、食の風景からさまざまな心模様が浮かび上がる。


「おいしいものを一緒に食べて本当においしかったら、人間関係は大体うまくいくように思います。小説を書くとき、"食べる"ということを切り口にすると、私の場合はキャラクターの造形がしやすいんです。例えばこの人は朝ご飯を何食べるんだろうとか、すごく忙しいときに何を食べているんだろうって考えていると、"この人こういう人だな"っていうのが自分の中でできてくるんです。初めて恋人が来たときに振る舞う料理。レシピを見てピシッと作る人もいれば、買ってくる人も。それだけでも今まで生きてきた様子が見えてきます」


『パンプキン』に連載されたエッセー『荒野の胃袋』では、小説家の父親、料理に精魂込める母親、妹で食卓を囲んだ日々もつづられる。


「うちは昼から赤ワインを飲む家で(笑)。赤ワインとよく合わせていたのは、母が『暮しの手帖』のレシピを見て作る、手打ちのフランスうどん。生地に卵を加えて、うどんみたいにこねて延ばして切って、茹でてバターで炒めて。ミネストローネかコーンスープと共に。夜はお刺身が多かったので日本酒がメイン。我が家のペアリングというと、それを思い出しますね。


父は週末になると泊まりに行って帰ってこないし、やりたい放題でしたけど、母と修羅場になることはなくて。平日のご飯の時間になれば、おいしいものが食卓に出て、タケノコの季節だね、蕗みそだねと、みんなが喜んで食べていた。そういうことができる家だったから、滅茶苦茶な父親でももっていたんだろうなと。全員食べることに関する情熱は一致していたから。そういうところでは夫婦として、すごく相性がよかったのかもしれない」

自然に囲まれた長野での暮らしの中で

コロナ禍をきっかけに井上さんは八ヶ岳の麓に移住した。長野は、食材が肉も鶏も魚も野菜も生産者と近いからおいしいという。 「東京の暮らしも好きでしたが、それを上回って自然が好きになりました。夫と二人で散歩するんですけど、毎日景色が違っていくので、フキノトウが出てきたね、とか話しながらでこぼこ道を歩いて。それだけの会話が妙にいい時間なんです。散歩するようになって夫のことが、前よりもっと好きだなと(笑)。空の色は八ヶ岳ブルーといって、本当に綺麗です。ちなみに夫は前衛俳句をたしなんでいて面白い句を作るから、小説にも登場するかもしれません」 夫の須賀典夫ふみおさんは古書店主。井上さんは、28歳でフェミナ賞を受賞し作家デビューを果たすが、周囲の期待に押しつぶされ、小説が書けなくなる。37歳で大病を患ったあと、本をネットで探しているときに、自作の俳句や映画評を店のホームページに書いていた須賀さんを知る。須賀さんはたまたま井上光晴追悼集を手にしていた。 出会ってから意気投合し、40歳で結婚。古書店の仕事を手伝っていた井上さんに、小説の依頼が来たことが作家としての再起の第一歩だった。次々に書き始めた小説は、人の心の複雑な綾を、磨き抜かれた言葉で描き出し、高い評価を受けている。 これから始める掌編小説では、どんな世界を見せてくれるだろう。 「楽しく読んでいただけるように。おいしそうだな、試してみたいな、と思って実際に試してもらえたら嬉しいですね。ペアリングも物語として楽しんでもらえれば。そして、読者の方にも、自分の記憶に鮮やかに残るペアリングの経験を教えていただきたいですね」

この記事をシェアしませんか?

1か月から利用できる

雑誌の定期購読

毎号ご自宅に雑誌が届く、
便利な定期購読を
ご利用いただけます。