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厳しい冬を乗り越えてねぶたの夏はいのち輝く

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毎年8月2日~7日に開催される青森ねぶた祭。熱狂する人々の前には夜空を彩る圧巻のねぶた山車。女性初のねぶた師の思いに迫る。

(月刊『潮』2025年1月号より転載。本文中の表現はすべて雑誌掲載時のままとしています)

ねぶた師は男性の仕事?


青森ねぶた祭は、日本三大灯籠祭りの一つに数えられます。青森では、毎年開催される夏が近づくと心が高揚する人が多いはずです。私自身も例外ではなく、幼いころからねぶた祭が大好きでした。青森は厳しい冬の季節が長い分、夏の一大イベントを思い切り楽しめます。

祭りが始まると、さまざまな企業や団体が、ねぶた山車だしを引いて街中を練り歩きます。祭りの見どころの一つは、どのねぶたが最も優れているかを決めるコンテストです。私は大変光栄なことに、2024年のねぶた祭において「最優秀制作者賞」を受賞することができました。また、私の作品「鬼子母神きしぼじん」を運行してくださった「あおもり市民ねぶた実行委員会」にも「ねぶた大賞」が贈られました。ダブル受賞は、ねぶた師にとって、最高の栄誉です。

前年の2023年は、どの賞も受賞することができず、2012年に女性初のねぶた師としてデビューして以来、最も自信を失ってしまいました。なので、この1年間は「失った自信は、自分自身の努力でしか取り戻すことはできない」と自らに言い聞かせて、作品に向き合ってきました。そうした経緯があったので、2024年に最高の賞をいただけることになった時には、思わず涙が溢れました。


ねぶた制作は、力強い造形が評価の対象となるため、「男性の仕事」という強い固定観念があります。ではなぜ私は、ねぶた師を目指すことにしたのか。実は幼いころの私は、ねぶた師になりたいといったことをまったく考えていませんでした。私の場合、父親がねぶた師だったので、幼いころからねぶたを身近には感じていました。ただし、やはり「ねぶた師は男性の仕事」と思い込んでいたのです。

ねぶたの伝統を終わらせたくない


転機となったのは2007年のねぶた祭です。父の作品「聖人聖徳太子」を見た時に、心が大きく動かされました。当時は不況の煽りを受けて父の仕事がなくなり、収入も大きく減った時期でした。先行きの見えない苛立ちからか、些細なことで口論になるなど、家庭の雰囲気は最悪でした。


そうしたなかで足を運んだねぶた祭。父の作品は電飾を大胆に用い、煌々と闇夜を照らしていました。そのねぶたの姿に、どん底から這い上がろうとする父の決意がにじみ出ているように思えたのです。直感的に、父が何十年もかけて守ってきた"ねぶたの伝統"を終わらせたくないと思いました。そして、自分もねぶた師になろうと決意したのです。


ただし、父には自分の思いを伝えることはできませんでした。絶対に反対されると思ったからです。意を決して母に相談すると、「大丈夫、できる。お父さんもきっと喜んでくれるわよ」と――。その言葉に背中を押されて、私は父に弟子入りして父の制作小屋に通い始めたのです。


ねぶた作りは、誰かに手取り足取りで教えてもらえるものではありません。師匠の技を盗み見て覚え、自分のものにする職人の世界です。父の作業を見たらすぐにメモに書き留め、作品の制作過程はつぶさに写真に収めました。こうしてメモと写真によってできたノートは何冊にも及びました。それまでの私は何に対しても中途半端なところがあり、自分がこれほどまでに情熱を注げるものに出合えたことがとにかくうれしくて、必死に技の習得に努めました。

母親として成長できたからこそ


先述のとおり、私は2012年に女性初のねぶた師としてデビューし、その年のねぶた祭では思いがけず「優秀制作者賞」を受賞することができました。心の底からありがたかったのですが、1年目で受賞したことで「女だから贔屓された」「本当は親父が作っているんじゃないか」と陰口を叩かれ、本当に悔しい思いをしました。


生来の負けん気もあって、それから2、3年は私の制作小屋に父を立ち入らせずに作業を行いました。今思えば、当時は男性に負けないようにという思いが強すぎたのかもしれません。男性と同じように"荒々しさ"や"勇ましさ"を表現しようとして、余計な力が入っていたように思います。


そんな私も、経験を重ねるうちに心情が変化してきました。なかでも大きかったのは、2015年に出産して、子どもと一緒に自分自身が母親として成長してきた経験でした。子育てをしながらのねぶた制作は悩みの連続です。仕事に没頭するなかで、子どもにきちんと愛情を注げているのだろうかと、不安になる時もあります。


仕事と育児の両立なんて、とても言える状況ではありません。周囲の人たちの支えがあって、崖っぷちのところでギリギリ耐えられているという感じです。そんななかで「ねぶたに求められている"強さ"とは何か」と考えた時に、「それは決して表面的な荒々しさだけじゃない」と思うようになったのです。


本当に強い人は感情を表に出しません。私は、作品の登場人物が持つ"芯の強さ"を表現したいと思うようになりました。そこに男性や女性といった性別は関係ありません。そうした考え方をありのままに作品にぶつけることで、私にしか作ることができない作品が生まれるのだと信じています。

伝統を守るための新たな挑戦を


私自身が受け継いできたねぶたを未来につなげるためには何が必要か。まずは先人への感謝と敬意を忘れないことです。その上で、伝統を守るためには新たな挑戦をし続けることが重要だと思います。


ねぶた祭の開催期間はたったの1週間です。ねぶた師は1年かけて作品を完成させ、祭りのあとには速やかにねぶたを解体して、翌年の作品作りを始めます。「今年はどんなねぶたが登場するのか」という、皆さんの興味や関心を裏切らないこと。そして、運行するねぶたを見られるほんの数秒のあいだに、観客の皆さんの印象に強く訴えかける作品を作ること。そのためには、絶えず新しいことに挑戦する勇気が欠かせません。


私は、まだまだ開拓されていないねぶたの可能性があると思っています。私がねぶた師になることを決めた2007年の父の作品は、千手観音の腕の一本一本に蛍光灯が仕込まれていました。往年のねぶたファンからは「こんなもの、ねぶたじゃない」との批判の声もあったそうですが、今ではねぶた表現の手法として主流になっています。その時代における新たな挑戦が、ねぶたの伝統を築いていくのです。


伝統とは、師匠から受け継いだものをそのまま次代に伝承していくということではありません。時代に応じて形を変化させ、その時代に受け入れられるものを作って初めて、未来につなげられるのだと思います。新たな挑戦をするよりも、守りに入ったほうが楽なのかもしれません。しかし、守りに入るのではなく、大変なことからは逃げたいという自分の弱さに立ち向かう。そのなかでしか、人を惹きつける作品は作れません。


私は自分のねぶたが街を練り歩く姿よりも、ねぶたの明かりに照らされる来場者の表情を見るのが好きです。お一人お一人の笑顔に"命の輝き"があると感じられるからです。もしも1年中、祭りができる環境にいたとしたら、こんなことは感じないでしょう。冬の厳しい寒さを知っているからこそ、青森の人は夏の楽しさやありがたさを心から味わえる。そして、今という瞬間を一生懸命に生きることができる。それが、青森のチカラであり、ひいては東北のチカラなのではないでしょうか。

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