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いわきの元気をお届けするフラガールの使命

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福島県いわき市にあるテーマパーク・スパリゾートハワイアンズ。名物はなんといっても華やかなフラガール。戦後復興、東日本大震災、コロナ禍とどんな困難に直面しても互いに支え合い、草創の精神に立ち返りながら何度でも立ち上がってきた。福島から全国へつながる思いを元トップダンサーの小室美咲に伺った。

(月刊『潮』2024年10月号より転載。本文中の表現はすべて雑誌掲載時のままとしています)

戦後のいわき市を支えたフラガール


私は2012年に「スパリゾートハワイアンズ」(福島県いわき市)のダンスチーム「フラガール」の一員になりました。以来、10年余りのフラガール生活を送り、昨秋に引退したあとはハワイアンズの広報担当の部署に移って、フラガールの魅力などを発信しています。


ハワイの伝統的な踊りである「フラ」は、まだ文字を使っていなかった時代に生まれたとされ、人々が心を通わせる手段として用いられてきました。振り付けの一つ一つに意味があり、「こんにちは」や「愛しています」といった言葉を、まるで手話のように見る人に伝えているのです。


県外の人々のなかには、南国ハワイの文化が日本の東北地方に根付いていることを不思議に思われる方がいらっしゃるかもしれません。じつは、いわき市におけるフラの歴史は古く、フラガールが戦後の同市の発展を支えてきたと言っても過言ではありません。


かつての常磐地域は国内屈指の石炭採掘量を誇っていましたが、昭和30年代になると石炭産業が斜陽化し、炭鉱が次々と閉山してしまいます。主要産業を失い、多くの人々が職を失う中、新たな雇用創出のために、石炭採掘時に湧き出た温泉を活用した観光施設をつくる計画が立てられます。それがハワイアンズの前身となる「常磐ハワイアンセンター」でした。このセンターの目玉が、地元の女性たちを募って結成されたフラガールのチームだったのです。

校内放送を使って同好会を発足


その当時の様子は映画「フラガール」(2006年公開)に描かれています。劇中では、寂れていく地元の復興のために立ち上がった炭鉱地域出身の女性たちが、全国を巡業しながらいわきの魅力を発信していきます。まったくの素人たちが仲間と努力を重ね、プロのダンサーへと成長していく過程は、見る人の胸を打ちました。私も含めて、現役のダンサーらは折に触れてこの映画を観るなどして、草創の人々の心を学び、フラガールの使命を確認しています。


ハワイアンズのフラガールは、本年で結成60周年を迎えました。現在では、高校生がフラの技術を競う「フラガールズ甲子園」が毎年いわき市で開催されるなど、フラは地域の伝統になっています。


私はこのフラガールズ甲子園の第1回大会で、いわき総合高校の代表として選手宣誓を行いました。大会が開催されることを知ったのは2010年のこと。当時の私は高校2年生でした。通っていたフラ教室の先生から「来年3月に大会があるから出てみないか」と言われたのがきっかけでした。


エントリーは高校ごとに行わなければならなかったため、私は、校内放送で呼びかけ、同好会を発足させて大会への出場を目指しました。ところが、皆で懸命に練習を重ねたものの、大会が開催される少し前に東日本大震災が起きてしまいます。


地震が起きたのは、フラの練習を終えて茨城県北茨城市の自宅に帰る途中のことでした。私の地元は震度6弱の揺れで、自宅に戻ると倒れた家具や割れたガラスが散乱していました。ガスや水道が止まってしまったので、いわき市の祖母の家に避難し、1週間ほど過ごしました。その間に、大会が中止されることを聞きました。

福島に元気を届けたいとのチーム全員の思い


学校の授業は1カ月ほどで再開したものの、震災の影響で同好会の後輩二人が県外の高校に転校しなければならなくなり、一緒に努力を重ねてきただけに悔しい思いもありましたが、前を向くしかありませんでした。


震災から3カ月が経った頃に、中止になったはずの大会が開催されることが決まったと知りました。時期はその年の9月、場所は東京・秋葉原です。すると、転校した二人から「私も一緒に踊らせてください」と、それぞれ連絡をくれたのです。転校先の高校も応援してくれることになり、そこからはビデオ通話を使っての練習でした。メンバー全員が揃って練習できたのは大会前日だけでしたが、皆で心を合わせて大会に臨めたことが何よりも嬉しかったです。


選手宣誓では"福島に元気を届けたい"とのチーム全員の思いを込めて「復興への願いを込めて精いっぱい演舞します!」と述べました。演舞ではすべての力を発揮し、準優勝にあたる優秀賞を獲得することができました。来場者から送っていただいた喝采は、いまも忘れられません。一緒に踊る仲間や、来場者の皆さまとフラによって心を通わせられた経験が、後にフラガールとして働くことになる私の原点になりました。


震災時に私はまだ入社していませんでしたが、ハワイアンズのフラガールもまた"福島に元気を届けたい"との思いで全国を巡業しました。あのとき、ハワイアンズは地震の被害によって長期休業を余儀なくされました。そこでフラガールの先輩たちは、結成当初に行った全国巡業を46年ぶりに再開したのです。「フラガール全国きずなキャラバン」と銘打たれ、2011年の5月から10月までに247公演を行いました。

いわきに根付く「一山一家」の精神

東京での公演の際に当時のキャプテンは来場者に対してこう語ったそうです。「いまから46年前、私たちの先輩である当時のフラガールが、地域や仲間との絆の力で、炭鉱が閉山になる危機に向かって果敢に立ち上がったように、今度は、私たちが立ち上がります」と。

ダンサーのなかには、自身が被災した人や、原発事故の影響で故郷ふるさとに帰れない人もいましたが、ひとたびステージに立つと笑顔になります。踊れることに心から喜びを感じていたのです。巡回公演には、東北から各地へ避難していた方々も足を運んでくださいました。先輩方は、涙を流してステージを見てくださった人々の様子を通し、口々に「フラガールで良かった」と語っていました。その姿に、私もフラガールの使命を教えていただきました。 私たちの地域には、炭鉱で栄えていた時代から「一山一家いちざんいっか」という言葉があります。一つの炭鉱にかかわる人々は一つの家族なのだから、ともに支え合っていこう――。そんな精神を表した言葉です。炭鉱が閉山するときも、震災のときも、この地域には家族のようにフラガールを応援してくださる人々がいました。そうした皆さんに恩返しをしようとする思いが、度重なる困難に立ち向かう力になったのだと思います。

私がフラガールのキャプテンを務めた時期は、コロナ禍のただ中でした。皆で踊れない悔しさや、誰もいないスタンドに向かって演技をするむなしさを味わいましたが、私たちのパフォーマンスを楽しみにしてくれる人々の存在が大きな励みとなりました。いわきをはじめとした福島には、どんな困難に直面しても、ともに支え合い、何度でも立ち上がる力があります。その力を信じ、草創の精神を継承することで、パフォーマンスに深みが生まれると確信しています。


現在、ハワイアンズでは、震災の記憶を継承するために、フラガールによる小学校への出前授業「フラガールきずなスクール2024」を行っています。ダンサー自身の震災からの復興の体験などを話しながら、今ある毎日が当たり前のようで、じつは当たり前ではないこと、だからこそ1日1日を大切に生きよう!と心を込めて伝えています。こうした取り組みを通して、これからも皆さんと力を合わせて、地域の未来のために力を注いでいきたいと決意しています。

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