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秋田発 演劇で人生を変えるような感動を

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秋田の竿灯や男鹿のナマハゲなど民俗芸能が豊かな。田んぼの中の劇場から、劇団わらび座は日本の民俗芸能を世界へ発信する。

(月刊『潮』2025年4月号より転載。本文中の表現はすべて雑誌掲載時のままとしています)

人の命をつなぐ力になりたい


わらび座が設立されたのは1951年。当初は東京・新宿を拠点にし、その2年後の53年に秋田に拠点を移しました。秋田は日本で重要無形民俗文化財の件数が最も多い場所であり、その多彩な文化を育む土地柄に大きな魅力を感じたからだそうです。以来、私どもは70年以上にわたって秋田に根を張ってまいりました。


実は、設立当初の劇団名は現在とは異なり、「海つばめ」でした。戦後の復興事業に携わる日雇い労働者のもとにアコーディオン一つで出向き、彼らの休憩中に演奏するところからのスタートだったようです。そのなかで、最も喜ばれた演目が日本の民謡でした。

劇団創設者の原太郎さんは、民謡を皆で歌ったり、踊ったりする姿に"庶民の底力"を見いだし、日本の民俗芸能を世界に誇る芸術にしたいと思ったそうです。そうした経緯があって"民謡の宝庫"とも呼ばれる秋田に拠点を移したのです。劇団名を「わらび座」に改めたのもその時でした。現在もわらび座のミュージカルには、民謡を歌ったり、太鼓や笛を演奏したりといった日本の民俗芸能の要素がちりばめられています。 なぜ劇団名に山菜の「わらび」を用いたのか。私たちは、原さんの次の言葉を大切にしています。 「くれないに花は咲かねどわらびは根っこを誇るもの。山は焼けてもわらびは死なぬ」

東北地方の人々は、かつて大飢饉に襲われた際にわらびなどの山菜を食べて生き長らえたそうです。"たとえ鮮やかな花は咲かなくとも、人の命をつなぐ力になりたい"との思いが、劇団名に込められることになったのです。


原さんは、太平洋戦争の南方戦線に石油技師として徴用され参加しました。多くの人々が命を落とす戦地にあって、仲間とともに歌い、前を向いて生き抜こうとしました。音楽などの文化は、時に食べ物以上に命の糧になる。そのことを自身の体験を通して確信していたのだと思います。

今の社会に必要なメッセージは何か


「わらび座の舞台を観て勇気が湧いてきました」――折々にお客さまからそう言っていただけることが、私たちの何よりの喜びです。


舞台を観てくださる方に、人生を変えるような感動を届けたい。そのためには、どんな舞台にするのか、今の社会に必要なメッセージは何か。作品をつくり上げる際にはいつもそうした議論を劇団内で何度も繰り返します。


役者にとっては、毎回の舞台が真剣勝負です。観劇してくださった方から「こんなに一生懸命な大人の姿を初めて見た」「役者さんの情熱に触れて、私も頑張ろうと思った」といった感想をいただくこともあります。


私個人として特に印象に残っている作品は、2011年3月に起きた東日本大震災のあとに制作したミュージカル「ブッダ」です。同作は、創設者の原さんと親交があった漫画家・手塚治虫さんの同名作品を題材にした舞台であり、不平等や不幸に満ちた世界の中で、主人公のシッダールタが旅を通じて"生きるとは何か"との問いの答えを見つけていく物語です。


私たちはこの作品を2013年からの3年間、全国各地で公演しました。ある時に一人のお客さまから「死ぬことばかり考えていましたが、明日を生きてみようと思います」と綴られたお手紙をいただいたのです。いまも忘れることができません。音楽や演劇などの文化には、人の命をつなぎとめる力がある――。手紙を読んでそんなふうに実感でき、この仕事をしていてよかったと心から思えた瞬間でした。

人間関係が希薄化した時代にあって


わらび座では、40年以上前から修学旅行生などの児童・生徒を受け入れて、ソーラン節の民舞指導を行っています。


「どっこいしょ、どっこいしょ」


との掛け声で知られるソーラン節。もともとは北海道のニシン漁の作業歌だったものに、1980年頃にわらび座が振りを付けたのです。当時の教育現場では、校内暴力による学級崩壊や不登校などが社会問題になっていました。


そうした中で、わらび座の劇団員たちは"民舞を一体になって踊ることで心を結べないか"と考えたのです。その後、ソーラン節は「南中ソーラン」や「よさこいソーラン」など、各地で発展を遂げ、仲間意識を育む演舞として、今では学校行事でもお馴染みとなっています。


わらび座では現在、年間に150校から約2万人の児童・生徒を受け入れています。初めは興味がなさそうな目で見ている子どもでも、一緒に汗を流す中で次第に打ち解け、最後には一体となってソーラン節を踊るようになります。そうした光景は、いつ見ても感動するものです。


私たちは、児童・生徒の受け入れ以外にも、シニア世代の市民を公募して行うミュージカルや、企業の社員研修も行っています。秋田は高齢化率が日本で最も高い地域であり、高齢期に人間関係が希薄化する「社会的フレイル」が大きな課題です。一方で、現役世代はリモートワークが増え、対面でのコミュニケーションが少なくなったという人がいます。


嬉しい時には歌い、悲しい時には涙を流す。そんなふうに感情を表に出すことが本来の人間のあるべき姿だと思うのですが、人間関係が希薄化するなかで、心を許して自身の感情を率直に伝えることができない人や、孤独を感じる人が増えているのが今の社会の現状だと思います。ならば、演劇によって他者と心を通わせることの素晴らしさを再認識してもらおう。私たちはそう考えています。


社員研修では、数人のグループに分かれ即興劇などを行います。互いに職場とは異なる姿を見せ合うことで、同僚の新たな一面を発見できます。また"こんな自分も受け入れてくれるんだ"と感じると心が軽くなるものです。研修を行ったある企業では、一緒に演劇をした人同士で悩みの相談ができるようになったりして、離職率が下がったという話を聞きました。


どこにも劣らない心の温かさがある


わらび座は、70年余にわたって地元やファンの方々に支えられて活動をしてきました。忘れられないのは、2021年に経営が立ち行かなくなった時のことです。リーマン・ショックや東日本大震災の打撃を受けていた中で、新型コロナウイルスの感染拡大が決定打となりました。


倒産も覚悟していた時に、地元のファンの方々や、全国各地の皆さまから数えきれないほどの励ましのお手紙をいただきました。わらび劇場がある、あきた芸術村(仙北市)の近隣住民のなかには「これで何とか続けてほしい」と小銭がたくさん入った貯金箱を持って来てくださった方もいます。


多くの人々に愛され、その真心に支えられてきたことを改めて実感し、「絶対に潰してはいけない」と、皆で誓い合ったことを今も鮮明に覚えています。その後、民事再生手続きを進める一方で、チケット収入に依拠する従来の収益構造を見直す中で、なんとか劇団を続けることができています。


秋田の人々はよく自虐的に「秋田は何もない」とおっしゃいますが、私はそうは思いません。どの地域にも劣らない心の温かさがあると信じています。そうでなければ重要無形民俗文化財を、未来の人たちのためにこんなにも多く残すことはできないはずです。


秋田を拠点とする誇りを胸に、わらび座はこれからも観劇してくださる方々に希望と勇気を届けていきたいと、決意しています。


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