米露の二国に残る最後の核軍縮条約である戦略核兵器削減条約(新START)が2026年2月5日失効し、中国も交えた制限なき軍拡の時代を懸念する声が高まっています。
新STARTの前身であるSTARTⅠの発効を実現した、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長(当時)と、アメリカのレーガン大統領の教訓を引きながら、朝日新聞編集委員・副島英樹氏が核廃絶への現実的ロードマップを提示します。
(月刊『潮』2025年7月号より転載)
ウクライナ戦争で一変した空気感
私は『潮』の2024年4月号で、ゴルバチョフ元ソ連大統領と池田大作SGI会長の平和闘争を通じて「核兵器廃絶はシニシズム(冷笑主義)との永遠の戦い」だと述べました。
ところが、ウクライナ戦争の影響もあって、国際社会ではますます核兵器による抑止を支持する声が高まっているのが現状です。
日本ではおそらく、ウクライナ戦争を突然始まったものとして受け止めている方がほとんどだと思います。これまで戦争が起きても、それが核戦争にまで発展する可能性など、大半の人は想定していなかった。しかし、一方の当事国であるロシアは核大国です。その現実を受けて、それまで安心しきっていた空気が一変し、核抑止を支持したり、核保有の必要性を訴えたりする人たちが出てきたのが現状だと思います。
広島で被爆体験の伝承活動を行う方に話を聞くと、ウクライナ戦争以降は教育旅行で広島を訪れる生徒・児童や教員らの目の色が変わったそうです。皆、真剣に話を聞き、展示などを観ていると。
私が特に懸念しているのは、ヨーロッパが好戦的になっている点です。象徴的なのは、2025年3月に行われたフランスのマクロン大統領の演説でした。フランスが保有する核兵器の抑止力を、ヨーロッパに拡大する検討を始めると明言したのです。ヨーロッパはこれまでロシアによる核の威嚇などを批判してきたわけですが、マクロン大統領の方針はロシアと同じ土俵に乗ることを意味します。
ロシアと同じ土俵とは何か。そのことを説明するためには歴史的な経緯に触れなければなりません。ソ連のゴルバチョフ共産党書記長(当時)と、アメリカのレーガン大統領(当時)によるジュネーブ会談が行われたのは1985年11月。そこで合意された"核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない"との方針は、中距離核戦力(INF)全廃条約や第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)の発効、さらには89年の冷戦終結や90年の東西ドイツの統一につながっています。
ロシアからすれば、冷戦終結や東西ドイツの統一は"西側の勝利"ではなく、共同作業による結果です。また、当時のベイカー米国務長官はNATO(北大西洋条約機構)を東に拡大しないと発言しましたが、結果的には、その通りにはなっていません。当時は16カ国だった加盟国は、現在は32カ国まで増えているのです。
その最後のレッドラインはジョージアとウクライナだったわけですが、いよいよNATOの東方拡大はウクライナに及びます。ロシアとしてはギリギリまで条約の締結などを模索しましたが、NATO側がレッドラインを超えたと判断してウクライナに侵攻しました。そうしてウクライナ戦争が勃発してしまったわけです。
核抑止論は本当に現実主義なのか
戦争が起きる際には、双方の国が自らの正義を主張しますが、その行き着くところは民衆の死です。だから戦争は起こしてはいけないし、ひとたび起こってしまったならば早期に停戦するべきなのです。
それにもかかわらず、ヨーロッパはむしろ戦争を煽るような方向に進んでしまっています。トランプ大統領はそうしたヨーロッパに警鐘を鳴らしていますが、多くの人々がトランプのほうが間違っていると考えているようです。
巷間には核抑止論は現実主義で、核廃絶は理想主義だとする見方がありますが、果たしてそれは本当でしょうか。そもそも、核抑止は核のボタンを握っている指導者が理性的な行動をすること、あるいは相手方が核を脅威と感じることが前提となっています。それはどちらかというと理想的な話で、現実には指導者が理性を失ったり、相手国の指導者が聖戦と捉えて自らが潰えることも辞さないと考えたりする可能性は十分にあり得るでしょう。
さらに言えば、核抑止は野蛮な発想で非人道的であり、常に事故のリスクと隣り合わせです。互いのこめかみに銃口を押し付けて、引き金に指を掛けた状態で保たれている平和を、果たして本当の平和と呼べるのでしょうか。
また、アメリカのウィリアム・ペリー元国防長官は、過去に誤って核ミサイルが撃たれそうになったことが少なくとも三度あると証言しています。いつ事故や間違ったシグナルによる核の誤使用が起きてもおかしくない状況下で、長崎への原爆投下以降、一度も核兵器が使用されなかったのは、核抑止が働いていたからだとは私は考えていません。一つは、被爆者をはじめとした民衆が、絶えずその悲惨さを訴え続けてきたから。もう一つは、偶然です。
そもそも核抑止の効力については、専門家も立証不能だと言っています。それはウクライナ戦争においても同じです。アメリカがウクライナに必要以上の兵器を提供しなかったのはロシアの核抑止が利いているからだとする見方もできますが、だとしたらなぜウクライナはあそこまでロシアに反転攻勢できたのかという話になります。ロシアの核攻撃を恐れていたら、あそこまでの反撃はできなかっただろうと。
実現されなかったオブザーバー参加
2025年3月には、ニューヨークで核兵器禁止条約の第3回締約国会議が開催されました。過去の会議にオブザーバーとして参加したオランダやベルギーなどが、今回は参加を見送ったのは、やはりヨーロッパの好戦的な流れによるものと私は見ています。
日本では、これまで以上に検討が行われたようですが、最終的には参加しませんでした。これは、核兵器禁止条約から目を逸らしていると、国際社会に見られても仕方のないことだったと思います。
第3回会議の議長国はカザフスタンでした。同国には旧ソ連の核実験場があり、実験段階で多くのヒバクシャを出しています。こうした国が議論をリードしたわけですが、戦争被爆国である日本はオブザーバーとしても参加しなかったわけです。同盟国であるアメリカでトランプ政権が再び誕生し、出方が見通せないという不安定な環境だったことは確かです。それでも、やはりオブザーバー参加はするべきでした。二度も原爆の惨禍を被った戦争被爆国として、自分たちの足で立って考えていくことが必要です。
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