冤罪で5カ月勾留された村木厚子氏が、拘置所で読んだ一冊に鎌田實氏の本があった――。逆境のただ中でも「悩み」は力に変えられるのか。理不尽を経験してなお拘置所職員に感謝を向けた理由、そして女性初の厚労省事務次官へ。
医師・鎌田實氏が、村木厚子氏に話を聞き、彼女の原動力に迫る!
この記事は、書籍『女の"変さ値"』(鎌田實・著)から一部を抜粋してご紹介します。
拘置所で読んだカマタの本
思い出深いことがある。あれは確か2012年11月のことだったと記憶している。厚生労働省は、毎年11月11日を「介護の日」として定めており、12年は都内で記念のセミナーが開催された。そのイベントで、厚生労働事務次官に就任する直前の村木厚子さんとご一緒した際に、こんな言葉をかけていただいたのだ。
「拘置所にいたときにたくさん本を読んだんですけど、そのなかに鎌田先生の本もあったんですよ」
村木さんは厚労省の雇用均等・児童家庭局長を務めていた2009年6月に虚偽公文書の作成・行使の容疑で逮捕され、5カ月間にわたって拘置所に勾留された。ところが、翌10年9月に裁判で無罪となる。担当検事による証拠改竄が明らかになり、冤罪だったことが認められたのだ。
僕がイベントで村木さんとご一緒したのはその冤罪事件のあとのこと。セミナーの翌年には、女性としては二人目の事務次官に就任された。「ガラスの天井」をテーマにしたこの対談を始めた当初から、いつかは村木さんにもご登場いただこうと考えており、その念願を叶えることができた。
村木さんにはこれまでの来し方を中心にお話をうかがった──。
1955年に高知県でお生まれになった村木さんは、私立の一貫校である土佐中学校・高等学校に進学する。高校入学が1971年になるわけだが、その頃から大学に進学して、将来はバリバリ働くつもりでいたのだろうか。
「土佐中学校は進学校なので、ぼんやりと県外の大学に行ってみたいという思いはありました。ただ、私が中学2年生のときに父親が失業してしまって、家計的には大学どころか高校の進学も考え直さないといけなくなったんです。それでも、教育熱心だった父親はなんとか一貫校の高校に進学させてくれました。
大学は半ば諦めていたのですが、父親も社会保険労務士として再起し、高校3年生の冬休みになって地元の国立大学なら進学してもいいという話になったんです。それで高知大学に進学し、せっかく大学に通わせてもらったのだから、ちゃんと仕事に就つ いて、自分で食べていけるようになろうと決めたんです」
――中略――
拘置所職員への共感と感謝
村木さんの優れた人格をよく表しているエピソードがある。
厚生労働事務次官になる約2年前の2011年に、彼女は『あきらめない──働くあなたに贈る真実のメッセージ』(日経BP社)という本を発表した。そのなかで村木さんは保釈の際のこんな話を綴っている。「拘置所の職員さんたちにお礼を言わないまま出てきてしまったことが今も心残りだ」と。
これには驚いた。冤罪被害で5カ月も不当に勾留された身である。拘置所の職員には何の落ち度もないことは分かっていたとしても、そうした気持ちになるものだろうか。自分を勾留した側の人間として、ネガティブな感情を向けたって仕方がない。このことについては、ぜひとも直接話を聞いてみたかった。
「同じ公務員としての共感があったのかもしれませんね。彼女たちはかなりハードワークで、本当に一生懸命に働いていたんです。交代制とはいえ、24時間体制で各フロアの廊下に職員が一人立っていましたしね。多くの人は刑務所のすぐ近くの官舎に住んでいますし、どれだけ受刑者のために働いても犯罪を繰り返してしまう人だっているわけです」
この話には後日談がある。職場に復帰した村木さんは、あるときに法務省の人にお礼を言う機会がなかった旨を話した。すると、しばらく経ってから、近畿地方女子刑務職員研修会なる会合に講師として呼ばれたのだ。会場に足を運んでみると、拘置所でお世話になった職員が参加していた。
「面会に来てくれた娘と馬鹿話をしている最中、ずっと笑いを堪こらえていた職員の方とかもおられたりしてね。法務省ってとてもお堅かたいイメージがありますけど、粋いきなこともしてくれるんだということが分かりました。本当にありがたかったです」
僕の見方は少し違う。お堅い法務省に粋なことをさせたのは、村木さんの優れた人格だと思うのだ。村木さんには、人々の善性を引き出す力があるのではないだろうか。

