• 社会

ダンボール・アートが繋いだ励ましの連鎖――東日本大震災からの復興

東日本大震災・原子力災害伝承館で語り部として活動する遠藤昭三さん。東日本大震災直後、避難生活を送る中でダンボールを使って"こいのぼり"を作ったことがきっかけとなり、ダンボール・アートが大きな話題を呼んだ。いじめ、病気、自殺未遂、そして大きな転機となった3.11――遠藤さんにお話しを伺った。

(『潮』2024年4月号より転載、表記は当時のまま)


  • 富岡町は桜の名所。津波の記憶と名所の桜を描いたダンボール・アートの作品(写真=筆者提供)

仕切りの壁に貼った"こいのぼり"

ダンボール・アートを始めたのは、「ビッグパレットふくしま」(福島県郡山市)での避難生活をしていたときでした。東日本大震災が起きたとき、私は双葉郡富岡町に住んでいました。東京電力福島第一原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされ、福島市の親戚の家に少しだけ住まわせてもらったあとに、郡山市での避難生活がスタートしたのです。


私たちが避難所に着いたときには、すでに約2500名の方々がそこで生活していました。私たち夫婦が確保できたのは廊下の脇のわずか2畳ほどのスペース。段ボールで仕切って、そこで寝泊まりする生活が始まりました。


ダンボールの仕切りには屋根がありませんので、プライベートの空間が一切確保できません。しかも、私たちのスペースは吹き抜けになっていて、2階や3階から丸見えなのです。せめて通行人の視線を避けようと自分で仕切りを高くしたところ、他の避難者から「邪魔だ」と苦情を言われました。被災直後だったので、避難所の雰囲気はとても殺伐としていたのです。


「邪魔だ」と言われても、プライベートは何とか確保したい。そこで考え付いたのがダンボール・アートでした。皆の心が和むのではないかと思い、ちょうど五月の端午の節句の時期だったので、廃棄用のダンボールを使って赤と青の"こいのぼり"を作り、仕切りの壁の外側に貼ってみたのです。すると、私が予想していた以上に多くの方が足を止め、大変に喜んでくださいました。


避難所では、仕切りだけでなく食事のトレーにも毛布の代わりにもダンボールが使われていました。どこを見てもダンボールの茶色なのです。私のダンボール・アートは彩色しますので、色が付けられたことで皆さんの目に留まり、喜んでくださったのです。その日から、夜9時の消灯後に黙々と制作する日々が始まりました。

全国各地で展覧会を開催

あるときに、一人の避難者から「猫の絵を描いてほしい」と頼まれました。話を聞くと、数日のうちに自宅に戻るつもりだったから、家に飼い猫を置いてきてしまったというのです。多くの避難者がその方と同じようにペットを自宅に置いたままの長期避難となっていました。猫を描いたことはなかったので、決して上手ではありませんでしたが、その方はとても喜んでくださいました。 しばらくすると、インターネット上に迷い猫の情報が出回ります。なんと、その方の猫が家から脱走して保護されていたのです。その情報は奇跡的に飼い主に伝わり、その方はまた飼い猫との生活を再開することができたのです。このエピソードに着想を得て、私のオリジナルキャラクター「まけんニャー」が誕生します。 私自身も自宅で金魚を1匹飼っていました。一時帰宅をすると、金魚鉢の水はほとんどなくなっており、金魚は死にかけていました。何とか薬缶やかんに水を張って連れ出し、避難所での3カ月の生活を終えて復興住宅に住み始めたときから、再び飼うことができました。人間以外にも生命があり、それらは同じように大切にされなければならない。そんな思いを込めて、猫や金魚をはじめとした動物の作品も数多く手がけました。 そのほかにも、津波で流されてしまった富岡駅の駅舎や、震災前から観光地として有名だった「夜の森桜トンネル」など、地元の風景などもダンボールで描きました。2011年6月に避難所を出たあとも制作を続け、ありがたいことに、これまでに全国各地で展覧会を開催することができました。また、震災翌年にはニューヨークでも作品を展示していただきました。

  1. 1
  2. 2

この記事をシェアしませんか?

1か月から利用できる

雑誌の定期購読

毎号ご自宅に雑誌が届く、
便利な定期購読を
ご利用いただけます。