• 社会

ダンボール・アートが繋いだ励ましの連鎖――東日本大震災からの復興

震災前に味わった人生のどん底

避難所でダンボール・アートを始めたころのことです。県外から慰問のために避難所を訪れてくださったある方からこんなふうに言われました。「避難所には暗い顔をした人が多いなかで、遠藤さんは違う。ニコニコしているのは遠藤さんだけだ」と。そう言って、大変ななかで前向きに頑張ろうとしていた私のことを励ましてくださったのです。


確かに当時の私は、ダンボール・アートの制作に励むだけでなく、避難所で顔を合わせる人に積極的に挨拶をしたり、知り合った人たちに新聞を届けたりと、与えられた環境のなかで、自分なりの取り組みを行っていました。なかには意地悪な反応をする人もいましたが、相手にどう思われるかは関係ない。あくまで自分自身の挑戦のつもりだったのです。そんな私の心がけが、表情に出ていたのでしょう。


とはいえ、私は何も以前から周囲のことを思いやって何かをするような人間ではありませんでした。むしろ、震災前は人生のどん底にいて、自ら命を絶とうとしたこともあったのです。

震災前の私は原発内にあった食堂で働いていたのですが、上司からの酷いパワハラに悩んでいました。なんとか耐えていたものの、ハラスメントは延々と続き、とうとううつ病と十二指腸潰瘍を発症してしまいました。さらには、「うつ病の人間は使えないから」との理由で雇い止めをされてしまいます。その頃、妻は葛尾かつらお村にある実家と富岡町を行ったり来たりの生活をしており、長いときには、1週間ほど家を空けることもありました。ですから私はまともに話をする相手もいなかったのです。

うつ病と十二指腸潰瘍を発症し、仕事もクビになった。もう生きていても仕方ないと思い、あるときに妻が服用していた処方薬を大量に飲んでしまったのです。病院に運ばれ、3日間は意識がなかったようですが、何とか一命はとりとめました。妻には本当に悲しい思いをさせてしまいましたし、いま思えばなんて馬鹿な真似をしてしまったんだろうと思います。


周囲の支えもあり、何とか持ち直して就職活動を始めたころに震災が起きました。職業安定所に行った帰りに、海辺を散歩し、自宅への帰路で地震が発生したのです。自殺未遂をしながら死にきれなかった自分には、生きる意味があるのかもしれない。そんなことを考えるようになった矢先の避難生活だったからこそ、ダンボール・アートが生まれたのかもしれません。


特に福島の浜通りは、地震と津波だけでなく原発事故という複合災害に見舞われた地域です。多くの人が大変な思いをしたわけですが、私個人としては震災前の地獄のような日々を思えば、避難生活を大変だとは思いませんでした。むしろ、これほど大変な出来事が起きたのだから、これを機に大きく変わろうと思えたのです。

  • 富岡町の砂浜にて。東日本大震災の津波によって海沿いの町は壊滅した(写真=編集部)

誰かを励ましたい災害を伝えたい

この13年間を振り返って思うのは、本当に楽しかったということです。全国各地での展示など、震災以前には想像もしなかったことを経験できたのは、何よりの財産です。震災があったからこそ巡り会えた人たちがたくさんいますし、13年間ずっと応援し続けてくださった方も少なくありません。人生はかくも変わるものかと実感しています。


応援し続けてくださった方々には感謝の思いしかありません。いまも震災のことを思い出すと、ときどき涙が出るのですが、それは悲しみの涙ではなく、周囲の人々への感謝の涙です。


2019年からは語り部としての活動も始めました。ダンボール・アートにしろ、語り部の活動にしろ、自分自身が周囲を励ますために始めた取り組みですが、むしろこちらが励まされることのほうが多いような気がします。


ダンボール・アートの展示会を行う際には、常に私が会場にいられるわけではありませんので、来場者に感想を書き込んでいただくノートを置くようにしています。そのノートに書いてくださった感想を見ると、私のほうこそ心が動かされることがあるのです。また、直接お話をした方のなかには、涙を流しながら感想を言ってくださる人も少なくありません。来場者のそうした反応を見るたびに、今後もダンボール・アートを続けなければならないと強く思います。


制作を始めたころには、まだまだ私のスキルも未熟で、まったく見向きもされなかったときもあります。とても辛かったですが、「今度は立ち止まらせてやろう」という思いで、技術を磨いてきました。


震災直後はさまざまな取材を受けましたが、時間の経過とともにそうした機会は減っていきました。


でも、私はアートがやりたくてやっているわけではなく、自己満足や自分の利益のためにやっているわけでもありません。目立ちたいわけでもない。ただ、誰かを励ましたい、未曽有の災害を伝えたい、といった思いで制作に励んできました。その思いが皆さんに伝わっていくのだと思います。

  • 仮設住宅に移り、初めての結婚記念日を記念して作成した作品。右のキャラクターが「まけんニャー」(写真=筆者提供)

何があっても困難に負けない

元日に起きた能登半島地震の犠牲者の方々のご冥福と、いまなお避難生活を余儀なくされている方々の1日も早い生活再建を日々祈っています。


被災者の皆さんはきっと、先行きが見えず、未来に対しての大きな不安に苛まれていると思います。13年前の私もそうでしたが、先のことを考えれば考えるほど、不安は大きくなってしまいます。振り返ってみると、未来のことではなくいま目の前のことに一生懸命に生きようとすればおのずと未来は開けていくものです。必要以上に先のことを考えてしまうと、どうしても諦めが先立ってしまうような気がします。


諦めないためにも、いま目の前のことに懸命になる。生かされた命を大切にして、決して諦めることなく、まわりにあるものや人を大事にしながら、一歩ずつでよいので前に進んでいただきたいと思います。決して「自分は一人だ」なんて思わないでください。


数年前に葛尾村にある妻の実家を解体し、そこに一面のヒマワリを植えました。今年も植えようと思っていたのですが、じつは先日、前立腺腫の宣告を受けてしまい、これから手術や治療をしなければなりません。私自身も決して諦めることなく、なんとか乗り越えてもう一度ヒマワリを植えたいと思っています。


生まれてきたからには諦めてはいけない。何があっても困難に負けてはいけない。ダンボール・アートや語り部の活動では、そんな思いも伝えてきました。そうしたメッセージを発している以上は、私自身も、がん患者や被災者としてではなく、挑戦者としてこの人生を最後まで生き切っていきたいと思っています。

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