• 社会

「核なき世界」の実現を愚直に信じて行動したい【平和をつなぐ次世代の語り手たち】

  • 潮

被爆三世の山西咲和さんが、平和学習への恐怖を乗り越え、高校生平和大使として祖母の被爆体験に向き合った歩みをお聞きしました。米国での交流から感じた、立場を超える対話の希望。身近な「小さな平和」を世界の平和につなげる学びを子どもたちに届けながら、「核なき世界」の実現を信じ、託された平和のバトンを次世代へつないでいく決意を語られています。

(月刊『潮』2026年9月号より転載)

おばあちゃんの被爆体験

私の名前は「咲さ和わ」といいます。春を迎えて美しい花が咲くように、人々の心に平和の花を咲かせる人になってほしい――そんな願いを込めて親がつけてくれた、大好きな名前です。 私のおばあちゃんは13歳のときに長崎で被爆しました。小学生の頃の私は、自分が被爆三世であるという自覚がまだ薄く、学校で行われる平和学習は、「怖い」という気持ちが先行するあまり、心を閉ざしてしまう時間でもありました。 そんな私が原爆の歴史に向き合おうと踏み出すきっかけをくれたのは、小学4年生のときの担任の先生でした。平和学習に苦手意識がある私を気遣い、「咲和ちゃんは、未来の平和のために活動している人に焦点を当ててみたら?」と勧めてくださったのです。そこで出会ったのが「高校生平和大使」の存在でした。 高校生のお兄さんやお姉さんたちが、世界の舞台でキラキラと輝きながら、自分の言葉で平和の大切さを発信している姿を見て、「過去の恐ろしい出来事」だと思っていた原爆の歴史が、「自分にも関係のある未来の課題」へと変化していきました。

高校生になった私は、憧れていた平和大使の選考会に挑戦し、念願叶って選ばれることになりました。そのとき、私にはどうしても向き合わなければならない大切な人がいました。被爆者である、私のおばあちゃんです。


私の中でのおばあちゃんはいつも笑顔でパワフルな存在でした。けれど私が小学生だったとき、テレビの原爆特集を見ながら「原爆の日だ」と顔を歪めたおばあちゃんの姿が、ずっと心に残っていました。


「当時の体験を聞けば、おばあちゃんを傷つけてしまうかもしれない」と、怖くてずっと勇気を出せずにいたのです。しかし、自分が平和を訴えるうえで、一番身近な人の思いを知らないままではいけないと、ようやく向き合う覚悟ができました。


離島に住むおばあちゃんのもとへ会いに行き、「高校生平和大使として活動することになったから、おばあちゃんの思いをちゃんと聞きたい」とお願いしました。当時、おばあちゃんはすでに認知症が進んでおり、当時の記憶を順序立てて語ることは難しくなっていました。それでも、何度も何度も繰り返し語っていたことは、「中学校のクラスの半分の友達が死んでしまった。毎日追悼式のありようだった」ということでした。


おばあちゃんは外傷こそなかったものの、何年経っても大切な友人たちを失った心の傷に苦しんでいたのです。いつもパワフルなおばあちゃんから笑顔を奪ってしまう原爆の恐ろしさを改めて深く受け止めました。

「大きな平和」と「小さな平和」

私は今、小学校などを訪れて子どもたちに原爆について伝える活動を続けています。


子どもたちに話をするときは、かつての私のように「怖い」という印象を受けるだけで終わってしまわないよう、ショッキングな写真や映像は基本的に見せないようにしています。言葉だけでも、子どもたちは十分に想像力を働かせて真剣に話を聴いてくれます。被害の実情は、自ら向き合いたいと思ったタイミングで、自発的に学ぶことが大切だと思っています。


私はいつも子どもたちに、「大きな平和」と「小さな平和」の話をしています。地球規模の課題や国際情勢が大きな平和なら、小さな平和とは、自分の身の回りの半径数メートルの日常のことです。


目の前のゴミを拾う、誰かを思って行動する、そういった小さく地道な積み重ねこそが、巡り巡って大きな平和につながっています。ゴミを拾うことから「なぜここにゴミが落ちているんだろう?」と疑問を持ち、社会や政治に関心が広がるように、小さな行動が自分のアンテナを広げ、世界について考える視野を育ててくれるのです。

核なき世界の実現を信じ続けたい

2045年には、直接体験を語れる被爆者の方がいなくなると言われています。その歴史の重さを自分が本当に引き受けられるだろうかという不安は、今でもずっと消えません。けれど、それは持ち続けなければならない大切な不安だと思っています。


これまで、「核兵器廃絶なんて理想論だ。お花畑だ」と言われることもありました。それでも私は、どんな言葉をぶつけられても、最後に一番大切なのは「核なき世界は実現できる」と愚直に信じ続けることだと思っています。


日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞も、被爆者の方々が「核なき世界」を誰よりも信じ、長い年月をかけて行動し続けてこられた証しにほかなりません。


被爆者の皆さんから託された「平和のバトン」を、次の世代へつないでいく一人として。その願いを決して途絶えさせることなく、子どもたち一人ひとりが平和の尊さを自ら考え、行動できる勇気を育めるよう、私はこれからも平和教育の力を信じ、歩み続けていきます。


\この記事が読める商品はこちら/

この記事をシェアしませんか?

1か月から利用できる

雑誌の定期購読

毎号ご自宅に雑誌が届く、
便利な定期購読を
ご利用いただけます。