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「一人からできる外交」が平和につながる【平和をつなぐ次世代の語り手たち】

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「日本中学生新聞」を創刊した現役高校生記者の川中だいじさんが、被爆者の方との出会いや政治家への取材を通じて培ってきた平和への思いとは。戦争を繰り返させないために、近現代史と人権を学ぶ大切さ、身近な対話からスタートする「一人からできる外交」について語っていただきました。

(月刊『潮』2026年9月号より転載)

戦争体験を聞ける最後の世代

ぼくはSNS上で「日本中学生新聞」というメディアを2023年春に立ち上げ、記者として取材・発信活動をしています。高校1年生の現在まで、首長選挙や国政選挙、大阪・関西万博、IRカジノなどを取材してきました。


政治や選挙にかかわるようになったのは小学4年生のとき、「大阪都構想」の住民投票がきっかけです。そして、政治にハマるなかで、戦争についても関心が広がっていきました。政治と戦争は切っても切れない関係にありますから、自然な流れだったと思います。

小学6年生の修学旅行では広島を訪れ、平和記念資料館に行き、被爆者の近藤康子さんに話を伺いました。その時に感じたのは、「戦争は本当に恐ろしい」ということです。近藤さんは、地獄絵図のようだった、思い出したくないような出来事だったとおっしゃっていました。今年2月には沖縄戦を経験された島袋文子さんに取材しました。島袋さんの「戦争体験を語った日の夜は眠れない」という言葉が強く印象に残っています。全身で戦争を体験した人にとって、その記憶は決して消えてくれないのです。


まもなく戦後81年(掲載当時)を迎えますが、戦争を「過去」だと感じているのは恐らく、戦後に生まれた世代です。体験した人にとって戦争は、今もなお「つづいている」のです。そのことを真摯に受け止めなければなりません。


ぼくたちは、戦争体験者から直接話を聞ける最後の世代です。直接話を聞けない次の世代へ、この悲惨な出来事をいかに伝えていくか。それを考え、実行することこそが、今を生きる若者としての使命だと思っています。

子どもも人権を有した一個の人間

選挙戦を取材するとき、ぼくはアポなしで直接話を聞きに行く「突撃取材」を基本としています。選挙用につくられた人物像ではなく、素の姿が見たいからです。2025年の参議院選挙の際には、候補者の皆さんに「あなたが考える民主主義とは何ですか」と問いかけました。選挙という民主主義のプロセスを経て国民を代表することになる政治家だからこそ、その哲学や価値観が浮き彫りになると思ったからです。実際、国民目線で真摯に考えている方もいれば、権威主義的な考えを持つ方もいることが見えてきました。


ぼくが民主主義について真剣に考え始めたのは、小学4年生のときです。先述した大阪都構想の住民投票を機に自分なりに調べ、「自分は反対だ」と考えました。そして今度は、都構想についてどう思うか学校の友だちと話したり、関心度を調べるアンケートを取ったりしました。すると、先生に呼び出されてこう言われたのです。「いろんな意見があるから、学校で政治の話をしてはいけません」と。


しかし、いろいろな意見があるからこそ、政治の話をするべきではないでしょうか。自分の意見を話し、互いに認め合う議論を学校で行えば、民主主義は将来より良い形になっていくはずです。にもかかわらず、議論を排除しようとした先生の姿勢にぼくは強く憤りました。そして反抗心から子どもの権利について調べ、「子どもの権利条約」の存在を知ったのです。そこには、子どもが自分の意見を自由に表明する権利が明確に記されていました。


子どもは未熟な保護対象であり、政治的判断力はないとみなす大人は少なくありません。しかし、子どもは大人と同じ人権を持った一個の人間です。教育にかかわる大人たちも、そして子ども自身も、この事実を学ぶ必要があると考えています。


また、人権について知れば知るほど、戦争の危険性も強く実感するようになります。ひとたび戦争が起きれば、私たちが持つ基本的人権は容易に侵されてしまうからです。たとえば、健康で文化的な最低限度の生活を送る「生存権」も保てなくなるでしょう。


ところが最近、SNSの動画で、終戦記念日や原爆投下の日付すら答えられない若者の姿を目にしました。これは単に関心が低下したからではなく、近現代史や人権について学ぶ機会が乏しいという、教育そのものの問題が大きいと感じています。


小中学校の日本史の授業では、縄文時代から習い始めますが、近現代に差し掛かるのは受験や卒業が近づいた頃です。教科書には、歴史を学ぶ意義について、過去の過ちを繰り返さないためなどと書かれています。しかし、そのために重要なはずの近現代の扱いがとても薄い。若者のあいだで戦争への関心が薄いのは、教育の帰結だと考えられます。

近現代史と人権の教育 一人からできる外交

平和のために何ができるかを考えるとき、ぼくは2つのことが大切だと思います。

 

一つは、先述した「近現代史」と、「人権」の教育を拡充することです。憲法が保障する人権について、単に名称を覚えるのではなく、自分が持つ権利なのだと実感できる学びが必要です。


ぼくは「議会政治の父」と称される尾崎行雄を尊敬しています。尾崎は日本国憲法について次のような言葉を残しています。


「この憲法は数百万の人の命と、数千億の戦費と、台湾、朝鮮、樺太、千島等の領土と、無条件降伏という最大の不名誉を代償にして、やっと手に入れた宝である」「世界中にこんな高い代償をはらった憲法はないだろう。ただでもらったなどと思ったらバチがあたる」――。


ぼくは護憲派でも改憲派でもありません。より良い形を目指して改正を議論することも重要です。そのうえで、ぼくたちの権利を保障する憲法が、どんな過ちと代償を経て生まれたのか、その歴史を顧みる教育こそが必要です。

もう一つは、「一人からできる外交」です。ぼくは中学2年生の頃から、駅などで困っている外国人観光客を見かけると、率先して英語で道案内をしています。中国人やアメリカ人、フランス人など国籍を問わず多くの方を案内してきました。

 

どうしてそんなことをするのかというと、国同士が対立していても人間として対話しつづけることが大事だと思うからです。国家と国民とを同一視する人もいますが、ぼくはそのようには考えません。現在、日中関係の冷え込みが言われますが、旅行中に日本人から親切にされれば、「日本人は自分たちを嫌っているわけではない」と感じてくれるかもしれません。

 

いまや小学校でも英語が必修化されましたが、テストの点数を競うだけになっている気がします。本来、言語は他者とつながるためのものです。一人でも多くの人に、英語を通じて海外の人々と対話する「一人からできる外交」にぜひ挑戦してみてほしいです。

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