"私も1日に何百回、「ありがとう」と言っているかわからない"
福岡ドームで知恵をしぼる4年前――鈴木智雄には忘れられない経験があった。日蓮正宗(以下、宗門)の大石寺で行われた文化祭である(1990年9月2日、「大石寺開創七百年慶祝記念文化祭」)。「第二次宗門事件」が起こる直前だった。すでに宗門は「C作戦」――池田と学会を「切る(カット)」謀略を進めていた。
「あの坊主どもの太々しい態度を見たら、誰だって『こいつら、変だ』と思いますよ。どう言えばいいんだろう……」。少し考えて鈴木は「学会員があれだけ一生懸命やっていることに対して、感謝の気持ちとか、感動を示すとか……たとえ嫌いな相手でも、何かやってもらったら『ありがとう』って言うじゃないですか。あの聖職者たちには、そういう心がまったく感じられなかった」と語った。
村上一壽は当時、静岡県青年部長だった。文化祭の運営委員長として、来賓席に池田を迎えた。その隣に、宗門の管長である日顕が座った。二人の後ろに控えていた村上は、信じがたい一言を耳にする。
「東京から来られた芸術部の方々が、見事な日本舞踊を披露されたのですが、日顕は『この人たち、謗法(=正法の誹謗)でしょ』と言ったんです」
まず、こんな見事な演技は学会員にできるはずがない、外部のプロを連れてきたんだろう、という偏見。そして、信心していない人は全員、謗法を犯している、という偏見。一言に、二重の偏見が露わになっていた。
池田は「全部、うち(創価学会)のメンバーです」と応じた。
「最初は『方々』、つまりあちこちから来た人たちでしょ、という意味かと思いました。でも違った。
そもそも、自分たちの記念行事のために駆けつけてくれたんです。たくさん練習して、たくさん折伏も決めて、集われました。海外からの参加者も67カ国・地域から400人。坊主たちは、境内で文化祭の参加者があいさつしても無視する。『お疲れさま』も『ありがとう』も一切ない。ただ『見ているだけ』です」(村上一壽)
池田は"人の振る舞い"について、シンプルな基準を示している。
池田 「自分中心」であれば、人が支えてくれて当然という傲慢さが出てくる。しかし「法中心」であるゆえに、「法のために、ありがたいことだ」と感謝の心がわく。
感謝と感謝の心で結ばれるのが、広宣流布の世界なのです。私も、1日に、何十回、否、何百回、「ありがとう」「ありがとう」と言っているか、わからない。
斉藤 そういう美しい気持ちをなくした人間が、学会にいられなくなってしまうんだと思います。
(普及版『法華経の智慧〔下〕』432ページ)
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〈仏法を名聞名利のための「くいもの」にしていく「食法餓鬼」の姿〉(「法主退座要求書」)――そうした宗門の実態に、第2章で触れた。 〈それにしても、"僧が上で、信徒が下"との貴殿(日顕)らの主張が、真の意味で現実であったならば、むしろ私どもは、どれほどうれしかったことでしょう。真に、僧侶が、信行学、人格、識見、殉難の振る舞いにおいて、信徒より"上"であったら! しかし、事実は、金儲けの算段以外、何ひとつ"上"のものはなかったではありませんか〉(同) 〈御書とは無縁の極端な僧侶中心主義、信徒蔑視の思想〉は、抜きがたいものだった。退座要求書は、釈尊を亡き者にしようとした提婆達多に言及する。 〈提婆達多は、自分よりも尊敬されている釈尊の存在が妬ましく、「我は仏を殺して新仏となるべし」(法華経題目抄、御書944ページ、新538ページ)、「今日よりは生々世々に大怨敵となるべし」(開目抄、御書205ページ、新77ページ)と破和合僧の大罪へと突っ走ったのであります。 仏勅の学会を憎嫉する貴殿としては、心理上、深い共感を覚えるのではないでしょうか。まことに御書は一切の鏡であります。速やかに退座した後、虚心に、信心をもって御書全編を拝したほうがよいであろうと勧告するものであります〉
※当記事は『民衆こそ王者 池田大作とその時代』23巻から抜粋をしたものです。
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宗門の弾圧に抵抗し、人間主義の宗教を確立した師弟の激闘録。
「第九」がつないだ歓喜の連帯と民衆の勝利を描く。
『民衆こそ王者 池田大作とその時代 23 魂の独立宣言――第九篇』「池田大作とその時代」編纂委員会・著
定価:1760円、発行年月:2026年10月、判型/頁数:四六並製/304ページ
【目次】
第1章 「一番素晴らしい夕陽だ」――宗教改革の炎
第2章 「池田先生に会いに行くぞ」――徳島の「第九」
第3章 「泉のように滾々と」――大田の「第九」
第4章 「苦悩を突き抜けて歓喜へ」――5万人の「第九」
第5章 「人間」以外に「仏」はない――10万人の「第九」
資料篇
