• 創価学会

昭和の左右対立のはざまで――貧困と戦争を越える対話

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令和のいま、世代も左右も越えて、人生を交差させるような対話はもう不可能なのかーー。

評論家・與那覇潤さんによる連載「平成の回廊ーー創価学会と日本社会」第5回では、1975年に実現したひとつの対談から、昭和世代の保革を超えた対話の姿勢を再考する。

(月刊『潮』2026年10月号より転載)

法華経の「宝塔」と中南米『解放の神学』

小雨が降る住宅街の一角に、「昭和」が残っていた。 2026年6月7日、取材を兼ねて創価学会の新宿池田文化会館に「任用試験」を受けに行った。入口を埋め尽くす人山の熱気に驚いたが、なんと彼らは受験するのではなく、家族や友人を励ますための見送り。ちょうど中学入試がいちばん激しかったころ、学校や塾まで子どもに付き添った保護者の姿を思わせる。 任用試験とは学会の教学試験のうち最も簡易なもので、会員の紹介により誰でも無料で受けられる。会場は旅館の大広間を3つ合わせたほどの畳敷きに、机と椅子が並んでいた。見渡せば中高生から、介助されて席に着く高齢者まで、文字どおりの老若男女が集う。 出題内容を告知する『大白蓮華』(4月号)を開くと、「ぶつぼう御書」の頁が目に入る。佐渡で流罪中に得た門下から、法華経にいう「宝塔の涌現」とはなにを指すのかと問われて、日蓮が与えた返書である。 「末法まっぽうって法華経をたも男女なんにょすがた姿よりほかには宝塔なきなり。もししからば、せん上下じょうげえらばず、みょうほうれんきょうとなうるものは、宝塔にして我が身またほうにょらいなり」 宝石で飾られた塔が地中から現れるのではなく、法華経の教えを守る信徒の存在こそが「宝塔」だとの趣旨だ。初めて一読したとき、とっさに私の脳裏をよぎった、異なる宗教書の一節がある。 「キリストは、物質的な神殿を必要としない『霊と真理の祈り』を唱えるだけでなく、自らを神の神殿として示される。……キリスト教の共同体とは生きている石(信者)からなる神殿であり、そのメンバーであるキリスト者一人ひとりが『聖霊の住まう神殿』なのである」(関望・山田経三訳、岩波書店) ペルーのカトリック司祭グティエレスが1971年に刊行した『解放の神学』は、まだ多くが軍事独裁下にあった中南米を揺るがす書物となった。キリスト教が説く兄弟愛の本義を「敵をつくらないという問題ではなく、むしろ、敵を自分の愛から除外しない、という問題」だとして、マルクス主義の階級闘争と両立可能にしたためだ。保守的なバチカンには否定され、反共主義の諸政権から迫害も受けたが、人口の9割をクリスチャンが占めるラテンアメリカの民主化に貢献したとされる。 同じ時期の日本でも、創価学会を震源に重なる動きが起きている。74年の年末に調印され、翌年夏に公表された「創共協定」だ。対立してきた創価学会と共産党とが、10年間の期限を切った上で、互いに敵視をやめ共存すると定めていた。

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