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月刊『潮』が見た60年 1981-1985

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1960(昭和35)年7月2日、月刊『潮』は産声をあげました。 以来六十星霜、通巻740号を超える歴史の中から、これまで誌面を彩った有識者、文学者、ジャーナリスト、芸能、スポーツなど、各界の豪華な顔ぶれに再度ご登場いただきます。

※本記事は2020年に刊行した創刊60周年記念特別冊子より抜粋しております。

山と文学と人生


植村直己(登山家)


みんなそれぞれ経験をもっておりまして、本当に山に登るために自分のすべてを賭けているようなメンバーです。山が終わったときに、仲間の絆が途絶えてしまうような山登りだけはしたくないと思っているんです。たとえ山に失敗しても、仲間の関係は死ぬまでずっと続くんですから、山に行ってよかったというものが、終わってからみんなに少しずつ残っていけば、ありがたいです。よく山が終わると、もうあの顔は見たくない、という気持ちになるという話があるんです(笑)。だんだん上に行くに従って自制心がきかなくなってきますから。


※作家・井上靖氏との対談のなかで。(『潮』1981年1月号より抜粋)

差別と偏見をなくすと心が軽くなる


C・W・ニコル(作家) 谷川雁(詩人)


谷川 いつか君は、黒姫山には大グマがいなくなってから、子グマのしつけができてない、と言っていたね。


ニコル 僕の勘ですけど、大グマはいろいろなことを教えるはずです。


谷川 じゃ、黒姫のクマはどういうところが悪い?


ニコル 危険を知らなすぎる。畑にはエサがあるから食べに来るのは当然として、昼間でも下りて来るんです。昨年、メスグマが二匹の子グマを連れて来たんですが、その母グマが間違ってオリに入った。それで怒ってオリを壊して出たら、また違うオリに入っちゃった(笑)。やはり、大グマの教育がないからですよ。


谷川 最近の人間の母親に似ているじゃないか(笑)。(『潮』1982年4月号より抜粋)

柔道に賭けた青春


井上靖(作家) 山下泰裕(東海大学大学院生)


井上 考えてみると、日本のものでこれほど外国に普及しているのは柔道のほかにはなにもない。その意味でも日本はもっとこの柔道というものを大切にしなくてはいけません。このままいくと柔道は日本のものだという〝国籍〟すら失いかねない。そうじゃないですか。


山下 その傾向はもう実際に出てきています。今、柔道は世界110ヵ国以上に広まっているわけですけれど、場所によってはコーチがフランス人だったり韓国の人だったりする。そのために柔道はフランスから生まれたものだとか、韓国のものだとか、本当にそう思っている人もいるんです。(『潮』1982年6月号より抜粋)

中国残留日本人妻の望郷


岸田鉄也(ルポライター)


1982年2月、東京代々木にあるオリンピックセンターは、戦後37年の時間を埋めるドラマがくり返される舞台となった。ソ連参戦と同時に敗走を開始した日本人たちは、さまざまな理由で、わが子を中国の人々に託した。そうして育てられた日本人孤児たちは、37年の歳月を越えて、祖国に帰ってきたのだった。目的はただひとつ。自分の肉親に会いたいということだけであった。肉親と会いたいと願い、そう訴える顔が連日、テレビの画面にクローズアップされたことは記憶に新しい。/なぜ、中国の大地に今もなお残留孤児が、そして日本人妻たちが存在するのか。その根源を探ることは、かつての日本人が犯した中国侵略の歴史をひもとくことになる。

(『潮』1983年1月号より抜粋)

青函トンネルを掘った人たち


岩川隆(作家)


――最高の科学、技術を駆使したプロジェクトですね。という私の問いかけにも、持田さんはいつも謙虚だった。「一寸先は闇ですよ。手さぐりなんですよ。なにがおきるかわからない。ヤマは放っておくと動かないが、こちらが手を出したり刺激すると反応して動き始める。その反応は不連続のところがあって、なかなか科学的に研究したり分析したり、予測することが難しい。しかし、私たちが頼るのはやはり、先人たちが研究したこと、私たちが学んできた学問、科学しかありませんのでね。暗中模索といったところでしょう」/――工事の完成に最も必要なことは。「教育かな ……組織、集団が活きて動いてこないと、なにごとも完成しないでしょう。それに、指導者、管理者の決断力のようなものも必要でしょうね」

(『潮』1983年4月号より抜粋)

井伏鱒二聞き書き


構成・萩原得司(文芸評論家)


『黒い雨』はね、当時ベトナム戦争でアメリカ出兵、出兵……と新聞に毎日出ているだろう。はらはらして、その気持ちがあったんだよ。こまったもんだなと思っても、アメリカがどんどん出兵していくので、こっちの気持ちもだんだんエスカレートして、大 真面目になってね。それが普通の真面目さになったんだ。被爆の状況もすさまじいものだったから、作品を書く真面目さとはちがう、別の真面目さになるから、疲れてしまってね。うんざりしていた。……死人を焼いたりするところは、いやになっちゃった。ぼくはしようがないからピノキオを出したんだ。木でこさえた人間をこさえてね。そうじゃないとたまらないから……。

(『潮』1984年7月号より抜粋)

「昭和の60年」をどうとらえるか


加藤周一(上智大学教授)


明治以後に天皇が大事な役割を演じるようになるわけだけれども、明治天皇と大正天皇と昭和天皇は、大変違うと思う。私たちの親父の世代では、明治天皇が実際にどれだけの大きな役割を演じたかは別として、明治という時代と明治天皇とを結びつけて考えていた。夏目漱石も乃木希典将軍も、明治天皇が亡くなると、明治という時代、自分たちの時代が終わったと思ったのでしょう。明治は、日本が世界に自分自身の存在証明をした時代ですから、明治の人にとっては、国と天皇と時代は一体だった。自分たちの天皇という感じが積極的にあったと思います。大正天皇は病気だったので、本人の意見とか性格とかに関係なく、完全な象徴だった。ところが今の天皇が、1945年に人間宣言をする前に、「神聖な天皇」になった。「天皇は神だ」という感じは、昭和時代に始まったんじゃないですか。今の天皇が初代の神がかり天皇でしょう。そして、一度天皇が神聖になれば、天皇の名のもとに何でもできるということになったんですね。


※京都精華大学教員・日高六郎氏との対談のなかで。(『潮』1985年2月号より抜粋)

橋田家のスポーツは夫婦喧嘩


橋田壽賀子(脚本家)


何でもないホームドラマを書かせてもらえるというのは、テレビでしかできません。それに、テレビだといろんな方がたくさん見てくださいますでしょう。/田舎のおばあちゃんなんかで一所懸命見てくださっている方がいるというのが、地方に講演なんかに行きますとわかるんですね。それは小説を読むクラスじゃないんです。そういう方たちが見てくださっていることが、私にとっては非常に魅力なんです。


※放送タレント・三國一朗氏との対談のなかで。(『潮』1985年5月号より抜粋)

日航ジャンボ機墜落の教訓


鍛治壯一(航空評論家)


いままでの大きな飛行機事故の原因の7割はパイロットのミスですけれども、今度の場合は機材関係のメカニックのトラブルということが明らかになってきています。その点だけでもいままでと全然違いますね。それも単に日本航空の整備の問題だけではなくて、ボーイングという世界最大の民間航空機メーカーの機体設計も含めて、安全性が改めて取り上げられている。そういう点で、いままで日本で起きた事故の中でも、ちょっと違うケースです。


※医学博士の黒田勲氏、元日本航空機長の野間聖明氏との座談会のなかで。(『潮』1985年10月号より抜粋)

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