依頼がないのに書くのは難しい
中江 上田さんは『水の月』の文庫の解説で、発表するあてがあるわけでもない新人賞応募作を書いていた時の心境を綴られています。私も最初の脚本は、本当に形になるのかどうか、さっぱりわからないまま書いていました。
上田 デビュー作は基本的に、何の依頼もない状態で書くものです。依頼がないものを書くことは、実はすごく難しいものです。
中江 普通の仕事は依頼されてから行うものですからね。小説は手順通りに作業をすればできあがるものではないし、ものすごく労力も時間もかかります。精神的な負担も大きい。誰でも挑戦はできるけど、一つの作品を完成させることは本当に難しい。それが本となり、人々に読んでもらえることは、ほとんど奇跡に近いと思います。
上田 ぼくは今小説の新人賞の選考委員も行っているのですが、その賞には毎回、3000作品ほどの応募があります。そのなかから賞に選ばれるのは至難の業です。落選するのが普通です。落選し続けても書き続けられる人しか、作家にはなれません。
中江 上田さんは何回くらい新人賞に応募されたのですか。
上田 8回から10回くらいだったと思います。
中江 小説を書き続けるモチベーションは、どこから生まれていたのですか。
上田 若さゆえの勘違いかもしれませんが、自分は絶対に作家にならなくてはいけないとの妙な使命感がありました。(笑)
書くことで癒される
中江 私の場合、文章による創作は子どもの頃からの夢でしたが、俳優をしていた私に誰もそんなことを期待していません。それでも書きたい、書かざるをえなかったんですね。
上田 ぼくも文筆業以外にも収入を得る仕事は他にあるのですが、書きたい、書かずにいられないといった思いは今もあります。
中江 先ほど北條民雄の話をしましたが、私も文章を書くことで癒されることは多いです。たとえば母親が亡な くなった後、「今、なくなっているもの」をテーマにエッセーを依頼されました。
ちょうどそんな時、母の再婚相手である現在の父から、ロケットペンダントを作って欲しいと言われたんです。母の写真を入れて肌身離さず身につけていたいからと。そのことを題材にエッセーを書きながら、父がこんなに母のことを愛していたのかと嬉しくなり、母を亡くした悲しみから癒されました。
上田 よくわかります。ただぼくは最近、創作活動は自己治癒の行為であるいっぽう、自傷行為でもあると感じることが増えました。
中江 小説を書くことは、自分の内面をえぐるようなところがありますからね。私も『水の月』を書いていて、自分のなかの触れたくない部分を掘り下げていかざるをえず、つらい時期もありました。
上田 そこは気をつけなくてはならないと思います。ぼくも小説を書いていて、たまにすごく疲労することがあります。そんな時は、自傷行為のほうが増えているんだなと思い、バランスを取るよう心がけています。
中江 自分を傷つけながらも、同時に癒していかないといけないわけですね。
上田 そのような行為によってできあがったワクチンを読者に届けることこそが、ものを書くということなのではないか。最近、そう思うようになりました。