東日本大震災から15年。故郷・東北に"心の復興"を届けたいと、棋士の一力遼(棋聖・本因坊)さんは語ります。河北新報の創業者を高祖父に持ち、師匠である宋光復九段から薫陶を受け、棋士と新聞記者の二刀流で挑戦を続けています。囲碁の力と“つながる力”で被災地に希望を届けます。
(月刊『潮』2023年12月号より転載。本文中の表現はすべて雑誌掲載時のままとしています)
「河北」の二字に込められた思い
7月に囲碁の七大棋戦である「本因坊戦」を勝ち抜き、タイトルを獲得することができました。
リーグ戦と挑戦手合七番勝負で行われる「本因坊戦」は今年が最後でした。第7局は2日間にわたって行われましたが、実は1日目が終わった段階で私は劣勢に立たされていました。
しかし、だからこそ2日目はかえって気持ちが吹っ切れ、雑念なく対局に臨めました。それが良い結果につながったのだと思います。たとえ形勢が悪くても、相手に離されないように粘り強くついていき、最後に逆転できた経験は、大きな自信になりました。
大切にしている言葉があります。それは「負げでたまっか」の東北人の心にも通じる「河北」の二字です。「河北」は、「白河以北一山百文(福島県白河地方から北の土地は、一山に百文の値打ちしかない)」との言葉から取ったもので、私の高祖父・健治郎が創業した新聞社「河北新報」の名前にもなっています。
「河北」との言葉には揶揄されてきたことへの反骨心が込められており、そうした"負けず嫌い"の心意気は勝負の世界にあってとても重要だと感じています。
一方、勝ちを意識しすぎると、優勢な対局でも無難な手を打ちがちで逆転を許してしまうことがあります。感情に流されず、盤面以外のことに意識が向かないほど集中した状態を保てたときに、結果がついてくるというのが私の実感です。その実感から「而今」という言葉も大切にするようになりました。「而今」とは、「今この瞬間を大切にする」という意味です。
道を究めるためには師匠の存在が大事
私が囲碁の道を歩むようになったのは、師匠・宋光復先生(九段)の存在があってのことでした。最近の囲碁界では、師匠から教わらなくても囲碁AIを使えば十分に練習を重ねられる環境が整ってきました。しかし、単に技術を磨くだけでなく、その道を究めるためには、やはり師匠の存在が大事だと私は感じています。
先般、東北創価学会の青年部の皆さんと懇談をする機会がありました。学会員の方々にとっては池田大作名誉会長が師匠であり、その師匠を模範として日々挑戦されている様子がよくわかりました。師弟を軸にした生き方には、強い共感を覚えています。
宋先生には、私が6歳のときに仙台で出会いました。以来、技術だけでなく体調管理の大切さなども教わりました。負けを引きずっているときには食事に誘ってくださるなど、今なおさまざまな面で支えてくださっています。私にとっての師匠は、いかなるときも自分を高めてくれる存在であり、宋先生がいなければ今の自分はないと思います。
自分を高めることは決して簡単ではありません。私はこれまで常にそのことを意識して、挑戦を重ねてきました。大学生の頃には学業と囲碁の両立を自らに課し、現在はプロ棋士の活動だけでなく河北新報の記者として囲碁に関するコラムを執筆しています。
私が知る限り、プロ棋士になってから囲碁以外の仕事を兼ねた人はこれまでにいなかったように思います。
私の場合は、もともと他の人がやっていないことに挑戦したいという好奇心が強かったので、今の働き方を選択しました。
もちろん、学業や仕事との両立は大変な部分もあります。大学時代は対局の遠征先で課題のレポートや試験勉強に取り組まざるを得ないことが多々ありましたし、現在も対局と同時並行で原稿の締め切りに追われる日々です。
それでも、そうした苦労を厭わないことで得られたものはとても大きかったと思います。大学時代には、囲碁界にいるだけでは出会えなかった同世代の人たちと交流ができました。
現在は、囲碁を知らない人たちに、どうすればその魅力が伝わる記事が書けるかと考えるなかで、囲碁の世界の奥深さを改めて感じることがあります。そして何より、学業や仕事との両立という挑戦を通して、目標を決めて成し遂げる力を培うことができたと自負しています。
囲碁で活躍して希望を届けたい
東日本大震災が起きたとき、13歳だった私はプロ棋士を目指すため、故郷の仙台を離れて東京に移り住んでいました。
2011年3月11日、発災のまさにそのときには千代田区の日本棋院会館にいました。
テレビで見た被災地の映像は言葉にできないほどショックでしたし、1カ月後に仙台に帰省した際に目の当たりにした震災の爪痕が残る光景はいまも忘れることができません。
その後もタイトル戦で岩手県大船渡市を訪れたり、プライベートで三陸地方に行ったりする機会が幾度かありました。この9月で発災から12年半が経ち、この間に少しずつではありますが着実に街は復興しているように見えます。
その一方で、現地の人々と接していると、一人ひとりの心のなかにはまだまだ震災の影響が残っているようにも感じます。
言うまでもなく、私の故郷は宮城県であり、東北です。今では東京での暮らしのほうが長くなりましたが、どれだけ時間が経とうとも故郷への思いは変わりません。むしろ、故郷を離れて時間が経てば経つほど、その思いは強まっているのかもしれません。
私はあくまで棋士であり、新聞記者ですので、直接的な復興支援に携わることはできないかもしれません。それでも、野球の大谷翔平さんやフィギュアスケートの羽生結弦さん、卓球の張本智和さんをはじめとする東北出身のアスリートのように、私自身も囲碁の世界で活躍する姿をもって、震災に遭われた方々に希望を届けていきたいと思っています。
9月に行われた囲碁のアジア大会には日本の主将として出場しました。東北はもちろん、日本の皆さんに喜んでもらうためにベストを尽くす。そんな思いで大会に臨みました。
"つながる力"が東北の大きな魅力
日本社会はいま、人口減少という未曽有の難題に直面しています。それは東北も例外ではありません。そんな時代において、どのように東北の未来を拓いていけばよいのか。とても難しい問いですが、私は"つながる力"が重要だと考えています。
東北の人々は古来、厳しい冬を越すために一致団結しなければなりませんでした。そうした環境が人との触れ合いを大切にする東北の良さを育んできたのだと思います。今はSNSの発達によって不特定多数の人々と気軽につながれるようになった反面、直接的な結びつきは弱くなりつつあると感じます。そうした時代だからこそ、人の温もりを感じられるつながりこそが未来を拓く"東北のチカラ"になる気がします。
東北の"つながる力"は大きな魅力です。幼少時代に教わった囲碁教室の先生や地元の方々は、今も温かく応援してくれています。一昨年と今年に仙台で行われたタイトル戦の折には、地元の碁会所でお世話になった方が、私に花束を贈呈するために駆けつけてくださいました。そうしたつながりは、間違いなく私の原動力になっています。私はこれまで人の縁に恵まれてきました。
今思えば、それは決して偶然ではなく、温かな東北の地域性があってのことなのだと思います。今後も囲碁の世界でさらなる挑戦を続けて、故郷の東北に恩返ししていきます。