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UNIを食べて UMIを守ろう!

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北三陸・洋野町で、実入りの薄い"劣等生"ウニを2カ月で"優等生"に再生——100年の家業を継いだ起業家が、北大と開発した再生養殖「ウニバース」で磯焼けを抑え、ブルーカーボンにも貢献。廃棄物だったウニを価値に変え、地域の雇用と海の多様性を守りながら、オーストラリアにも進出し"ローカルから世界へ"挑む物語。

(月刊『潮』2024年11月号より転載。本文中の表現はすべて雑誌掲載時のままとしています)

100年続く家業を途絶えさせたくない


私は、曽祖父の代から水産加工会社を営む一家の長男として、常に海を身近に感じて育ちました。私が小学生のころは海の資源が豊富で、船を出せばいつも大漁でした。週末には父のヨットで友だちと船上バーベキューを楽しむなど、とても豊かな生活を送っていました。小学生がヨットでバーベキューなんて、なかなか経験できないはずです。


ところが、私が中学生になったころから不漁が続くようになり、たちまち家業は傾いてしまいます。父はそれまで高級車に乗っていたのが、車を買い替え、錆びついた軽自動車に乗るようになりました。もう水産業では食べていけない。子どもながらにそう思ったことを鮮明に覚えています。


それでも私が海の仕事に戻った理由―─。それは、曽祖父の代からの家業を絶やしたくないと考えたからです。


若いころの私に、家業を継ぐ気はありませんでしたので、大学卒業後は自動車ディーラーの会社に就職し、営業をしていました。営業の仕事が向いていたのか、ディーラーとして日本一の成績を収めることができ、業界紙で紹介されたこともあります。その記事がきっかけで保険会社からヘッドハンティングされ、今度は生命保険の営業を始めました。収入は決して悪くはありませんでした。しかし、しだいに人生の意味や本当の豊かさについて考えるようになります。


ちょうどそのころ、父親にがんが見つかり、細々と続けていた海藻事業をやめざるをえない状況に追い込まれます。100年続く家業を途絶えさせたくない――。私は意を決して営業の仕事を辞め、Uターンすることにしました。そして、父親の会社を縮小・整理し、海産物の加工や商品開発を手掛ける「ひろの屋」を2010年に創業したのです。

本州一の水揚げを誇る洋野町のウニ


東日本大震災が起きたのは、会社を創業した翌年のことでした。海辺にあった事務所と工場は津波に飲み込まれてしまいました。すべてが流されてしまった地元や、悲嘆に暮れる人々を目の当たりにしたことが、その後の事業の原動力になっています。何としてもこの事業をやり遂げなければならない、という強い思いを抱きました。


具体的には、本州一の水揚げを誇る洋野町の「ウニ」に活路を見いだしました。もともと洋野町の海は遠浅で、干潮時にはウニの餌である海藻が干上がってしまうために、ウニ漁には不利でした。ところが、半世紀前に地元の漁協が、178本の増殖溝を掘削します。1本の溝が約100mあり、総延長はなんと約18kmにも及ぶ大工事でした。この溝に海水が残り、海藻が育つことで安定してウニを生産できるようになったのです。これは世界で唯一の漁法で、「うに牧場」という名称で商標登録しています。

近年の課題は、ウニの実入りが減っていることです。今年は、過去最低の実入りと言われています。原因は増えすぎたウニによって藻場もばが食い荒らされる「磯焼け」という現象です。

ウニは水温が上がる夏に活発に活動します。近年は地球温暖化によって、ウニが活発化する時期が早まり"海のゆりかご"と言われる海藻が、新芽さえも食べ尽くされてしまっているのです。この「磯焼け」は、海の多様な生態系を崩す原因にもなっています。


ウニは、海藻類を食べて成長しますが、雑食性なのでプラスチックやタイヤなど、なんでも食べてしまいます。したがって、英語では「sea urchin=海のいたずらっ子」との異名を持ちます。実入りの少ないウニには商品価値がないだけでなく、産業廃棄物として処分しなければならないので、むしろ出費が増えてしまいます。そこが大変なところです。

これからは再生の時代

藻場を守るためには、ウニを野放しにはせず、適切に管理しなければなりません。そこで私どもは、北海道大学と協働し、海藻に代わるウニのエサや、専用の生けを開発するために2016年から研究を重ねてきました。その結果、約2カ月間の給餌で、どんなに実入りの悪い"劣等生"のウニも、実入りがよく天然物と遜色のない"優等生"に生まれ変わらせることに成功しました。私たちはこのシステムを「ウニバース」との名称で商標登録しました。

実は、私たちの研究を応援してくれたのが横山信一参議院議員をはじめとする公明党の皆さんでした。私は国会議員唯一の水産学博士である横山議員のことを、心から信頼しており、同時に期待もしています。


「ウニバース」という名称には「ウニをもう一度蘇らせる」とのメッセージを込めました。沖で採った実入りの悪いウニを捨ててしまうのではなく、確実に実入りがよいものに生まれ変わらせ、安定して出荷することができれば、まずは何よりも地元産業の収益拡大になります。


加えて、磯焼けを防いだり、海藻がもとに戻ったりすることで、二酸化炭素の吸収が増え、いわゆる「ブルーカーボン」にもつながります。洋野町がブルーカーボンの日本一の造成地になったのは、「うに牧場」ができたからです。


収益拡大と環境保全の両立による持続可能な水産業は必ず実現できる。海の未来は必ず変えられる。私はそう信じています。


これからは、資源を生み出して循環させる「リストレーション(再生)の時代」と言われています。価値を創造することに真剣に向き合っていかなければ存続はできませんし、次の世代に何も残せなくなってしまいます。

東京を経由せずに世界に打って出る


2023年4月、私どもはオーストラリア・メルボルンに現地法人を設立しました。あるときにオーストラリアでも同じ磯焼けが問題になっていることを知り、日本で開発した「ウニバース」の技術を駆使して、現地の産業と資源再生に貢献できるのではないかと思ったからです。


洋野町や岩手県という地方から、東京を経由せずに世界に出ることができれば、ローカルの産業は変わっていくでしょう。産業さえあれば、雇用が促進され、人は育ちます。地域の宝は人です。人を育むためにも、確かなローカルの産業を築きたいと思っています。


そのためには、まずは私自身の自覚が大切だと感じています。自分だけがよければそれでよいという考え方ではなく、他者のために喜んで自身の人生を費やしていく。そうした生き方こそが、巡り巡って自身の幸せになる。そう考えられるリーダーであり続けたいと思います。

先日、創価学会の青年部の方とお話をする機会がありました。その時教えてもらった創価学会が信奉する日蓮の「人のためにをともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである」との言葉に、心から共感を覚えます。 利他の精神には、時を超える可能性があります。今ここにおける挑戦が、すぐに結果に結びつかないこともある。ただし、その挑戦は時を超えて実を結ぶかもしれません。私自身の今の挑戦が、生産者や培ってきた技術を守り、洋野町の未来の人々の生業なりわいを生み出すことになれば、それ以上の幸せはありません。

これからの時代は利他の精神を持ち、感謝の気持ちを忘れず、誠実に生きる人が必要とされるはずです。率先垂範して、地方を、日本を、さらには世界を牽引していきたいと思っています。

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