tbc東北放送のアナウンサー・佐藤朱さん。中学の音楽室で一夜を明かした震災の記憶が、「誰かを元気づけたい」という原点になりました。AKB48での被災地慰問を経て、2021年にtbc東北放送へ。いまはアナウンサーとして「ウォッチン!みやぎ」などでお茶の間に人の温かさを発信し続けています。
(月刊『潮』2025年7月号より転載。本文中の表現はすべて雑誌掲載時のままとしています)
中学校の音楽室で明かした震災の夜
東日本大震災の発生から14年が経ちました。当時の私は、宮城県の沿岸部にある中学校に通う2年生でした。その日は学校の図書室で、翌日に行われる先輩たちの卒業式の準備をしていました。
大きな揺れによって本が音を立てて床に落ち、やがて本棚そのものも倒れてしまいました。そうした図書室のなかの光景はいまも脳裏に焼き付いています。
揺れが収まってしばらくすると、津波が来るとの情報が入ってきたので、友だちと一緒に校舎の上階に避難しました。窓の外には遠くで火災が起きている様子が見えました。しかし、まだそのときには被害の大きさを知る術がなく、家族とも連絡が取れない状況でした。
3月の東北はまだ寒く、被災地では雪が降った地域もあります。ライフラインが断たれ、暖房が使えない校舎では、体の芯まで冷え切りました。不安に押しつぶされそうになりながら、友だちと音楽室の分厚いカーテンにくるまって一晩を明かしました。長い長い夜でした。
家族に会えたのは翌日の夕方です。ひとまず安心しましたが、自宅は津波で浸水してしまったので、そこから約1カ月を避難所で過ごすことになります。
避難生活で実感したことがあります。それは"つながり"の大切さです。大変ななかで、お互いに声を掛け合ったり、助け合ったり……。被災しなかった同級生の家でお風呂をお借りしたこともありました。本当に多くの人々の真心に励まされた期間でした。
特に鮮明に覚えているのは、自衛隊の炊き出しでいただいたお味噌汁です。ずっと非常食で過ごしていたので、震災後に初めて食べた温かいものが、そのお味噌汁だったのです。心がホッとして、自然と涙が溢れるくらいに美味しかったです。
人が人として生きていくためには、体や心を温かくしてくれるものが欠かせない。応援してくださる方々の優しさに触れて、そのことに気がつきました。
今度は私が誰かを元気づけたい
私がAKB48のメンバーとしてデビューしたのは2014年。実は、アイドルを目指したきっかけは、AKB48のメンバーによる被災地ボランティアに触れたことでした。
AKB48は、東日本大震災の発生を受けて「『誰かのために』プロジェクト」を立ち上げ、東北各地で被災地支援の慰問ライブを行っていました。まだまだ復興の途上で、余震の恐れや不便が多々ある被災地に、人気絶頂のアイドルが来てくれた。その光景を目の当たりにして、本当に嬉しく思いました。
私の自宅の近くで慰問ライブが行われたのは、震災から2年が経ったころでした。当時の私は、まだふさぎ込んでいました。瓦礫の撤去や道路の整備など、街の復興は着実に進んでいたものの、脳裏には震災の辛い記憶がこびりついていたのです。
そんな私の気持ちを晴らしてくれたのは、初めて見たAKB48のライブでした。メンバーのキラキラと輝く笑顔や、圧倒的なパワーに触れたことで辛い記憶が一瞬で吹き飛ぶような思いがしたのです。灰色だった景色が鮮やかな色を取り戻していくような感覚で、あのときのステージが私の人生を変えてくれました。
しばらくして宮城でもAKB48のオーディションが行われることになりました。今度は私が誰かを元気づけたい――。そういう思いで受験することに決めたのです。
AKB48のメンバーになってからは、私自身も東北各地の被災地を訪問しました。そのたびに忘れられない出会いがありましたが、特に思い出深いのは宮城・気仙沼市の大島に行ったときのことです。訪問したのは2015年8月。コンサートが終盤に差し掛かったころに、一人の小さな女の子がステージに寄ってきて、私に花束を手渡してくれたのです。摘んだ野花をビニールで包んだ、かわいいプレゼントでした。郷土である東北の皆さんに恩返しをするつもりでステージに立っていたのですが、その女の子が真心で応えてくれたような気がして、かえって私のほうが元気づけられました。
宮城の魅力を知ってもらいたい
2021年3月にアイドルを卒業して、同年4月にtbc東北放送に入社しました。初めは営業職の仕事に就いたのですが、目標はアナウンサーになることでした。
地元を離れて7年間、東京の地でアイドルとして活動しました。コンサートやイベントで各地を回るなかで、段々と「宮城の魅力をもっと多くの人々に知ってもらいたい!」との気持ちが強くなっていきました。県外に出たことで、宮城の素晴らしさを再発見できたのだと思います。
決断の背景には、アナウンサーの方と一緒にお仕事をする機会が多かったこともあります。アイドルとは別の立場で宮城の魅力を発信するためには、「この仕事だ!」と思い至ったのです。ありがたいことに、入社から1年半後にアナウンス部へ異動となり、現在は宮城の最新情報をお伝えする番組「ウォッチン! みやぎ」「ひるまでウォッチン!」に出演したり、ラジオ番組のパーソナリティーを務めたりしています。
いまはとにかく、大好きな地元・宮城でお仕事をさせてもらえること自体に感謝の思いでいっぱいです。私が発信することを受け止めてくださる方々がいる。それが私の何よりの原動力です。
6県それぞれに特有の魅力がある
思い出すのは、番組で県北東部の南三陸町を訪ねたときのことです。"復興のシンボル"として知られる「南三陸さんさん商店街」を訪れると、「お帰りなさい」と迎えてくれた方がいたのです。じつは南三陸町にはアイドル時代にも訪問したことがあり、そのことを覚えていてくださったのです。本当に嬉しかったです。
気仙沼市の大島での小さな女の子との花束の話もそうでしたが、思いを受け取ってくださる方々がいるからこそ、私は私らしく仕事ができるのだと思います。人々の優しさや包容力こそ、宮城をはじめとした東北の魅力なのだろうと感じています。
番組で各地を取材するなかで感じるのは、あらゆる立場や世代の人々が持っている知恵や力を結集することの大切さです。あるときに宮城・塩竈市の桂島を取材した際には、震災による津波の被害やコロナ禍によって賑わいを失ってしまった海水浴場に、海の家を復活させようと奮闘する大学生がいました。
思い出が詰まっているこの地に活気を取り戻したい、との一心で地元の住民の方々と協議を重ね、クラウドファンディングを実施していました。その挑戦が実現するまでの過程を拝見し、こうした取り組みが増えることが大切だと感じました。同時に、地域の発展に尽くす人々の熱意や真心をもっと発信したいとも思いました。
東北には、震災によって過疎化や人口減少に拍車がかかっている地域が少なくありません。愛する地元の魅力を発信していくためには、問題意識を持った人々の声や思いを共有する場がこれまで以上に必要になると思います。
6県それぞれに特有の魅力がある。それが東北の素晴らしいところです。その魅力を、これまで以上に多くの人々に向けて発信し、地元をさらに盛り上げていきたい。そんな思いを持って、今後も明るく元気に一つ一つのお仕事に挑戦していきます。