俳優の岩田華怜さんは、AKB48時代に100回以上被災地へ足を運び、励ましを送ってきた。小学校6年生で被災し翌月にAKB48最終オーディションを突破して芸能界へ。「負げでたまっか!」の東北の心を胸に、俳優として、世界へ未来へ飛躍する。
(月刊『潮』2024年6月号より転載。本文中の表現はすべて雑誌掲載時のままとしています)
震災翌月に受けたオーディション
東日本大震災が起きた2011年3月11日――小学6年生だった私は体調を崩していたので、学校を休んで一人で仙台市の自宅マンションにいました。経験したことがない大きな揺れを受けて咄嗟に家の外に飛び出し、その後はただただ怖くて一人でマンション1階のエントランスにしゃがみ込んでいました。
しばらくすると父が帰宅したものの、母とは一向に連絡が取れません。その日は、父と二人で車の中で一夜を過ごすことになりました。母が帰宅したのは、震災の翌日でした。
マンションは立ち入り禁止となってしまい、私たち家族は高台にある祖父母の家に避難します。ところが、祖父母宅もライフラインが止まっていたため、新聞紙にくるまって暖を取り、冷凍食品は自然解凍して食べました。被災直後、私を含めた多くの人々に、先を見通す余裕なんてありませんでした。多くの悩みと葛藤のなか、私は震災の翌月に控えていたAKB48の最終オーディションを東京で受ける決断をしたのです。
私は幼い頃からブロードウェイ俳優になることが夢で、震災前にも舞台やミュージカルのオーディションに何度も挑戦していました。しかし、なかなか合格することができないなか、何気なく応募したAKB48が唯一、審査に残っていました。
ただし、避難生活を余儀なくされている身で、最終オーディションのためだけに東京に行ける状況ではありません。2時間並んだ公衆電話から担当の方にそう伝えると、泣きながらこう言ってくれました。「無事でよかった。どれだけ時間がかかってもいいから、オーディションに来てほしい」と。
こんなに大変なときに、自分だけが故郷を離れてしまってよいものか。そもそも私はアイドルになりたいわけではない……。思い悩む一方で、私がAKB48に入ることができれば人気メンバーを故郷に連れてきて、皆を喜ばせることができるかもしれないと思い、オーディションを受けることにしました。
被災地のために何ができるか
アイドルとして活動した5年間で、被災地には100回以上、足を運ぶことができました。しかし、私のなかには常に、まだ復興途上の東北の地を離れてしまったことへの罪悪感のようなものがありました。
また、私は地震や津波で家族や友人を失ったわけではありません。被災地には私よりも苦しい思いをしたり、そのなかで懸命に奮闘したりしている人たちがいる。それなのに、震災を経験したAKB48のメンバーということで"被災者の代表"のような見られ方をする場面がありました。そのたびに、私には被災地のため、被災者の皆さんのために、いったい何ができるのだろうと悩みました。
抱えていた戸惑いや悩みを払拭してくれたのは、応援してくださる被災地の方々でした。思い起こすのは、震災から1年が経ったころに宮城県名取市を訪れたときのことです。まだまだ物資が足りていないなかで、現地の人々は「華怜ちゃんお帰り」と書いた横断幕を作って待っていてくれたのです。
雨のなかで野外コンサートを開催した際には、最前列で傘もささずに目を輝かせて歌を聴いてくれた子どもたちもいました。
被災地からAKB48のメンバーが誕生したことを、こんなにも喜んでくれている人たちがいる。そのことを心から実感し、初めてアイドルになってよかったと思えました。
苦しむ人たちが一瞬だけでもつらい気持ちを忘れてくれるなら、私はステージに立ち続けようと決めたのです。
一人でも多くの人が生き延びられるよう
2024年の元日に起きた能登半島地震については、被災された方々が1日でも早く日常を取り戻されることを願っています。
能登半島地震の発災直後、私はすぐにSNSで避難や安全確保を呼びかけたり、「一人じゃない」「生きてください」といったメッセージを発信したりしました。その背景には私自身の東日本大震災の体験があります。私の場合、避難生活で最も苦しかったのは孤独を感じたことでした。13年前よりも普及しているSNSを通じて、同じ思いをしている能登の被災された方々に寄り添えるはずだ、と考えたのです。
また、私が東北の被災地で学んできたことは命の尊さでした。何があっても、とにかくまずは生き延びることを考えてもらいたい。一人でも多くの人が命を守る行動を取って、生き抜いてもらえるよう、SNSで呼びかけたのです。
命の尊さについては、俳優の仕事を通してもお伝えできればと思っています。その一つが、東日本大震災を題材にした映画「The Last Passenger~最後の乗客~」への出演でした。私にとって、東日本大震災は生涯をかけて向き合っていくものだと思っています。
今年の3月には、私が脚本・演出を担当した朗読劇「10年後の君へ」を東京と仙台で上演しました。生きたくても生きられなかった人たちの分まで精一杯生きる。その大切さを、震災を経験していない世代の方々へも伝えたいと思い、この朗読劇をつくりました。
演劇には人の心を動かす力があります。震災の記憶を作品に込めることで、被災地の人々の思いを少しでも広く、そして長く、伝えていけると信じています。
震災から時間が経つにつれて、記憶の風化は進んでいきます。しかし近年は、日本のみならず世界中で災害が頻発しています。東北の記憶を世界に発信し、一人でも多くの人々に命を守る、生き抜くための行動を取ってほしい――そう伝え続けることが私の使命だと強く感じています。
負げでたまっか! 東北の心を胸に
いただいた質問に「常に前を向き、挑戦を続ける華怜ちゃんの原動力は何ですか」とありました。
私は、困難にぶつかるたびに「絶対に負けてたまるか!」との気持ちをたぎらせて前に進んできたように思います。根っからの負けず嫌いということもあります。
壁にぶつかったときには「これだけ苦しい思いをしているんだから、ここで負けなければ、あとはもう幸せになるだけだ」と自分に言い聞かせます。そう思えるようになったのは、東日本大震災という未曾有の災害を経験してもなお、懸命に生き抜いてこられた被災地の方々の姿を間近に見られたこと、そして両親はもちろん、応援してくださる方々の支えがあったからこそだと思います。
さらなる復興のために必要な"東北のチカラ"――それは"何があっても前を向き続ける強さ"だと思います。私はその大切さを一人の小学生の女の子から教えられました。震災から3年後に行われた復興イベントに参加したときのことです。彼女は私に、震災時にレスキュー隊に助けられた経験を語ってくれました。そして「震災前は別の夢があったけれど、今は薬剤師になりたい。私も誰かの命を助けたいから」と言うのです。
東日本大震災は多くの人々の人生を変えました。夢を諦めざるを得なかった人もいます。それでも、東北の人々は自分や周囲の幸福のため、愛する故郷のために、必死に前を向いて生き抜いてきました。その強さが、今後も復興の力になっていくと信じています。
私も「負げでたまっか!」の東北の心を胸に抱き、これからさらに世界を舞台に、夢に向かって歩んでいきます。