真に持続可能な日本社会を築くには、対立や分断ではなく連帯と包摂の方向へ進むしかない。財政学者で東京大学名誉教授の神野直彦さん、慶應義塾大学教授の井手英策さんは、連帯の結び目となるのが「財政」だと語ります。財政によってどのように連帯していくのか、そのビジョンを考える師弟対談です。
(潮2025年11月号より転載)

神野直彦教授(右)と井手英策教授(左)
金銭的な刺激は本来の動機を損なう
井手 前回は公的負担に対する反発の声を踏まえて話を進めてきました。そこで私が気になったのが「財政教育」についてです。日本は租税負担が少なく、自己負担の領域が大きい国です。それでも小中学校の教育は公共サービスとして提供されています。学費はタダで、教科書も無償で配られています。児童手当をはじめ、子どもに対する現金給付も行われているし、医療費も無償化が進んでいる。しかし、「自分は子どもの頃に社会保障の受益者だった」という事実を教わっている人はほとんどいません。そのため、働き始めたときに負担だけが突然やってきたという印象をもってしまいがちです。
神野 その通りだと思います。しかし、いま学校では財政ではなく、金融教育が進められています。子どもに金融取引や資産形成を教えるわけですが、それは「お金儲けは大事だ」「お金があれば何でもできる」ということから出発するわけです。このさまざまなものをお金で買う、お金で測るという考え方には気をつけておかなければなりません。
モラル・エコノミーという分野には、「金銭的な刺激を与えると、人間は本来の動機を締め出してしまう」という知見があります。すなわち、金銭とは関係のない本来的な動機で行おうとしていたことも、金銭的な尺度で測られるうちに、費用対効果のような金銭的な動機で考えるようになってしまうということです。
教育から少し離れますが、少子化対策が例に挙げられます。いま少子化対策は、子育てには「お金」がかかって大変だから、現役世代に「お金」を配って負担を減らそうとしています。しかし、日本の婚姻率は低下しつづけており、それだけでなく子どもをもたない夫婦の割合も上昇している。この現象は、先ほどのモラル・エコノミーの知見で考えると理解できます。
つまり、結婚するのも、子どもを生み育てるのも、金銭的な刺激とは無関係な、人間本来の動機に基づいているはずです。すなわち、愛情です。万葉集に「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」と詠まれたように、子どもは何ものも及ばない宝だと考えられてきました。しかし、「お金をこれだけ支援しますから結婚してください/子どもを生み育ててください」という政策がとられると、費用対便益を分析して損得で考えるようになってしまう。
価値あるものはお金に交換できない
井手 私の生き方の根底には、「価値あるものはお金に換えられない」という、神野先生からのご指導があります。子どもの命であれ、親の命であれ、私の人生であれ、それが金銭的な何かに交換できると思うほうがおかしい。子どもには本来的な価値があり、子育てにも本来的な価値があると考える。だから、税によって社会全体でお金を出し合い、その価値あるものを育み、よりよい社会を形づくろうとする。その手段が財政なのだと私たちは考えます。
ところが、主流の経済学や公共経済学では、すべてが計量可能で、量的に多いものに価値があると考える人が多い。子どもをもつときに給付されるお金と子育てにかかる費用とを比べて、費用が上回れば子どもはいらないと考える。お金持ちには価値があり、お金を稼げない人には価値がない、前者は努力家であり、後者は怠け者だと決めつける。このように考える多くの研究者と、神野先生や私とは、人間観、社会観が根本的に異なっているように感じます。
神野 社会科学者はどうしてもある一定の人間観、社会観を理論の前提に置かざるを得ません。逆に言えば、明示するかは別にしても、どのような人間観、社会観をもって研究に当たるのか。そこにおいて研究者は歴史的な責任を負っているのです。そして、私も井手先生も、人間社会の価値序列の中で、最上位に置いているのが「人間の命」です。私たちはそこを価値観の出発点として、望ましい社会や公共サービスについて考えるわけです。
井手 経済に命を合わせず、命に経済を合わせるということです。
