広島で時間の限り対話を続ける
私は東京大学を卒業後、2024年4月に広島テレビ放送に入社しました。入社直後から早速取材であちこちを走り始め、現在は「記憶の解凍」のドキュメンタリー映画化にも挑戦中です。
4年間の大学生活を終えたあとは東京に残り、大学院へ進学して研究者の道を歩む選択肢もありましたが、研究者として書く論文は専門分野の研究者にしか読んでもらえないかもしれません。また広島と東京を行き来しながら戦争体験者への聞き取りを続けることは、時間に大きな制約が生まれることも大学4年間で痛感しました。
ならば故郷・広島に戻って働き、戦争体験者のすぐ近くで寄り添いながら、時間の限り対話を続けたいと思っています。
自分なりの方法で戦争体験を継承する
来年は原爆投下から80年となります。戦争体験者や被爆者から直接お話を伺うことは、これからますます難しくなるでしょう。
思い返せば、私は小学4年生の時、平和集会の最中に気分が悪くなり、高熱を出してしまったことがありました。そんなときに母は「大人でも恐ろしいと思うんだから、怖いと思うことは仕方がないよ。でも今、被爆された方のお話を聞かなかったら、世界で初めて原子爆弾が広島に落とされたという事実は忘れ去られてしまうよ。もし見るのが怖かったら、目を閉じてお話を聞くだけでもいいんだよ」と話してくれました。「直視しよう」とか「全部を受け止めよう」とするのではなく、「自分なりに受け止められる分だけを受け止めたらいいんだ」と意識が変わったのは私の大切な原点です。
戦争の記憶をこれから継承するとなったとき、戦争体験者や被爆者の想いと記憶をそっくりそのまま伝えていくのは非常に困難になってきます。書物や写真、インターネットやアプリなどを通じて間接的に戦争体験を学び、かつて戦争の惨禍に見舞われた現場を実際に歩き、想像してみる。教科書を読み知識として学ぶだけではなくて、自分が感じたことを、自分なりの自由な方法で周りに伝えていくことが新しい継承の形であると私は思っています。
まだ広島を訪れたことがない読者の皆さんは、ぜひ一度広島の地へいらしてください。実際にご自身の感性で体感する「記憶の解凍」が、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを未来へ繋ぐきっかけとなることを願っています。

1935年の春、桜の名所「長寿園」でのお花見。写真提供= 濵井德三氏、カラー化=庭田杏珠

1936年、現在の原爆供養塔の東隣にあった「高橋写真館」での1枚。写真提供=高橋久氏、カラー化=庭田杏珠

1936年5月2日、「 濵井理髪館」前で写真を撮る 濵井さんと母イトヨさん。写真提供= 濵井德三氏、カラー化=渡邉英徳、庭田杏珠