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国際刑事裁判所所長が若者と女性に伝えたいこと(赤根智子)

中核犯罪に対応できない日本

ところで現在の日本の法制度にはジェノサイド、人道に対する犯罪、重要な戦争犯罪等に対する処罰規定がありません。これらの犯罪も、基本的には日本国内の刑法で裁けるとの考えからでしょう。


ところが現実には、日本の現行法ではカバーできない中核犯罪は存在します。例えばA国とB国が戦争状態となり、B国の人を殺したA国の人が何らかの理由で日本に入国した場合、その人物を日本の司法は裁くことができません。


そもそも戦争犯罪を、通常の殺人と同じように考え、処理することには無理があります。戦争犯罪は、戦時下の社会全体を視野に入れて考えなくてはなりません。刑法では適切に対処できず、捜査や訴追ができない可能性も大きいのです。


このような状況では今後、近隣諸国で中核犯罪が起きたり、その犯人が日本に逃げ込んできたりしても、日本の国内法では適切な対応ができません。そのような状況は、日本の安全保障上の大きな問題になり得ます。


国際的に重要な犯罪に適切に対応できないことは、日本が国際社会での責任をきちんと果たせないことを意味し、日本の国際的な地位の低下にもつながります。


そういった意味で、この問題は深刻であり、一刻も早く改善すべきです。私は日本が世界規模の中核犯罪の処罰に積極的に協力できるよう、国内の法制度をすみやかに改革すべきだと考えています。


少なくとも加盟国にジェノサイドの防止と処罰を義務付けた、ジェノサイド条約には一刻も早く加盟すべきです。

自由と責任の関係を学んだ高校時代

私は名古屋市で生まれ育ち、県立旭丘高校で学びました。この学校は先進的な考えで運営されており、とても自由な校風でした。制服はありましたが、好きな服装で通うことが許されていました。


生徒を校則で縛らないのは、自由には責任が伴うとの考えからです。生徒は自由を与えられている分、何事も自分たちで考え、自分の行動に責任をもたなくてはなりませんでした。私はそのような学校で、民主主義や法による支配につながる感性を培ったように思います。


実は高校時代、文系科目より、化学や生物などの理系科目が好きでした。そこで大学は、理系への進学を考えていた時期もあります。でも当時は、今より女性が大学に進むことが珍しかった時代です。女性が理科系分野に進むことなど、一般的ではありませんでした。


両親からも「女性が理系の大学に進んでも、仕事への道は開かれていないよ。それより法曹資格を取ったほうがいいんじゃないか」と言われました。そんな親の助言もあり、東大の法学部に進学しました。


法律をもとに社会正義を実現する法曹の仕事に魅力を感じ、大学3年生くらいから司法試験の勉強を始め、在学中に合格することができました。

法曹の仕事の責任と限界を知る

そして大学卒業後の1982年に、検事に任官しました。それから長年検察庁で働き、印象深い多くの事件に携わらせていただきました。法律の実務家の仕事は、相手やその関係者の人生を大きく左右します。その責任の重さをひしひしと感じるとともに、法曹界の人間ができることの限界も、まざまざと痛感させられる日々でした。


そんな私のキャリアで大きな転機となったのが、検事7年目に入った32歳のとき。休職してアメリカに2年間、自費留学をさせていただいたのです。前例のない挑戦を受け入れ、さまざまな調整をしてくださった当時の上司には、今でも心から感謝しています。


アメリカ留学をしようと決意した背景には、さまざまな形でサポートしてくださっていた検察事務官の方の言葉があります。


「これからの時代を開くには、女性検察官に頑張ってもらわないと困る。そのためには他の人にはできないことをやらなくてはならない。何か得意なことをつくったほうがよい」


この言葉が後押しとなり、アメリカへの留学を決意したのです。


その後、日本で検事に復帰し、東京や札幌、名古屋の検察庁で働きました。名古屋大学法科大学院法学研究科や中京大学法科大学院での教授職も務めさせていただきました。


さらに2009年1月からは、法務省法務総合研究所の国際協力部長として、アジアでの法整備支援に携わらせていただきました。日本はベトナムやカンボジア、ラオス、ミャンマー、インドネシアなど、アジアの国々の法律を整備する支援プロジェクトに長年、力を入れてきたのです。


ここでの仕事を通し、民主主義や法の支配が確立され、法曹の質も高い日本が、司法や法律の分野でアジアの国々に貢献できることは大きいと強く感じました。

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