• 文芸

争いが絶えない時代に小説が果たす使命とは(宮内悠介×小川哲)

義勇兵としてウクライナに行った息子を持つ母親の物語を描いた『Z線上のピエタ』(宮内悠介著・潮出版社刊)では、著者自らが戦渦を訪れた。ロシア・ウクライナに加え、中東でも戦火が広がる現下の国際情勢。争いが絶えない時代に小説が果たす役割とは何なのか。作家の宮内悠介氏と小川哲氏が語り合う。(月刊『潮』2026年9月号より転載)

面倒くさい部分が似ている

――(編集部) 小川さんと宮内さんは、仲の良いご友人だそうですね。


小川 私はもともと宮内さんの読者でファンでした。お互いSF界隈からデビューし、今では麻雀をしたり、ご飯を食べたりする仲です。


宮内 シンプルに友人と呼ぶのがしっくりきます。以前から互いに読者で、相手の作品に自分との共通点を見出していた気がします。小川さんの初エッセイ集『斜め45度の処世術』もとても面白くて、書かれていることのほとんどに同意できます。例えば、店員にすすめられたものは買いたくない、という感覚は私にも強い。私の場合、面倒くさいやつと思われるのが怖くて、そんな自分を隠してきましたが、小川さんは積極的に開示していますよね。


小川 小説家になってからは、自分の面倒くさい部分を武器だと自覚し、積極的に出すようにしています。でも宮内さんも、だんだんそうなりつつある気がしますよ(笑)。お互い面倒くさい部分が似ているため、作品を読んでいても、物語が意味している以上のことを読み取ってしまうところがあります。例えば宮内さんは『Z線上のピエタ』(潮出版社刊)を、義勇兵としてウクライナに行った息子を持つ母親の視点で書きました。そこに至る思いや理由も、私には何となくわかります。


宮内 小説家がウクライナに行き、ウクライナの小説を書くのは、ある意味では自然です。でも今、人が戦って亡くなっている地に行くことも、それについて書くことも、私にはどこか暴力性がある気がしてしまうんです。もっと言えば、悪ですらあると思う。


小川 現実に起きている戦争をテーマにフィクションを書くということは、それを素材にし、利用するということですからね。


宮内 なので、本作をどのような視点で描くかは悩みました。


小川 でもそこに踏み込まないと、小説を書く意味もない。私はこの作品で、恭子とミラが検問を突破するシーンがすごく印象的でした。あそこで宮内さんが、「ここから先は想像力で戦っていくぞ」と、小説家としてのアクセルを強く踏み込んだ気がしたからです。


宮内 さすがですね(笑)。だからこそ、あの検問のシーンが話のちょうど真ん中にあるんです。

現地取材に行くか行かないか

――宮内さんはこの小説を書くにあたり、現地へ取材に行かれましたね。


小川 戦争中のウクライナに行くことは、国や様々な人に迷惑をかける可能性があります。行くからには、何かしらの成果が期待されます。小説家としてプレッシャーもあったでしょう。普通は現地に行って、初めて作品を書けるかどうかが決まるはずですが、ウクライナの場合はそれが許されない。宮内さんは、あえて自分にそんな重荷を課された。旅好きな人として、ウクライナに行きたいとの気持ちが強かったのかもしれませんが……。


宮内 自分の中の興味や好奇心は否定できません。同時に、何かで深緑野分(ふかみどり・のわき)さんもこういうことを言っていらしたのですが、もし行って何も感じなかったらどうしよう、という気持ちもありました。


小川 想像通りなら、この作品の書き方も違っていたかもしれませんね。ただそこはどんなかたちであれ、宮内さんの中に小説にできるだろうとの感覚があったのでしょう。


宮内 現地に行ったことで、想像や描写の精度が上がったところはあります。


小川 取材のために現地に行くことって、小説家にとってはいい面、悪い面がありますよね。よくあるのが、作家が現地の人の代弁者になってしまうこと。当事者の声はフィクションよりはるかに重いので、その言葉をどうにかして伝えなくてはならないと作家が思ってしまう。その結果、小説が現地の生の言葉を載せる媒体になってしまう。それが小説にとって、必ずしも悪いことだとも言い切れませんが……。


宮内 一般的に取材をすると情報が増え、書けることは増えると思われがちです。でも小説家が取材をするとそれが枷となり、書けることの選択肢は、むしろ減る。現地を知ってしまったがゆえに、自由に書けなくなるんですね。私は現地取材に行く理由を問われると、いつも「視野を狭めるため」と答えています。今回、現地で市井の人の話をたくさん聞きましたが、聞いてしまった以上、それについて否定できない何かが生まれる。自分が書かなければ、この人の物語は語られないままになりかねない、といった気持ちが生じます。


小川 その結果、小説の幅が狭まるわけですね。


宮内 そう。でもそれが悪いとも言い切れない。私は、そうやって視野が狭まった状態、偏った状態にこそ、小説を書く意味が宿ると思っているところもあります。


小川 宮内さんがそう強く言い切れるのは、現地で知ってしまう知識の偏りより、自分自身の偏りの方を信用しているからではないでしょうか。宮内さんの強烈なフィルターによって、自分が代弁者になることが担保されている。だから、取材した人たちの代弁者になってしまう心配がない、視野を狭めることに恐怖心がないのではないか。むしろ、書けないことが明確になった方が、小説として書きやすいのだと思います。


宮内 そうかもしれませんね。

  1. 1
  2. 2
  3. 3

この記事をシェアしませんか?

1か月から利用できる

雑誌の定期購読

毎号ご自宅に雑誌が届く、
便利な定期購読を
ご利用いただけます。