• 文芸

争いが絶えない時代に小説が果たす使命とは(宮内悠介×小川哲)

問いを一つの言葉で固定したくない

宮内 最近、SNSで「実体験は書くな」という創作論を目にしました。実体験を書くと、小説としては不自然になるからだ、との理由です。その通りだと思う半面、そのような不自然さこそが、生々しい感覚やリアリティーを生むのではないかとの思いもあります。実際、今回の小説でも、キーウの東のハルキウに向かう流れの中で、唐突にブチャの体験談が登場します。そうなったのは、単純に私がブチャの話を現地で聞いてしまったからです。その実体験がなければ、あの展開はなかったでしょう。


小川 この小説は宮内さんがウクライナで取材した経験の上に、ロードノベルを書くというコンセプトです。そのため、あまり構築的な作品ではありません。例えば、途中で出てくるドーナツのエピソード。普通の作家だったら、あのエピソードは後で小説的にうまく回収します。でもこの作品では、それが行われていない。ブチャの話もそうだけど、出来事や事物、風景が特別な意味を持たず、淡々と窓の外を流れ去っていくように小説が進んでいく。旅行記やロードノベルのように、エピソード自体の集積として全体がつくられています。


宮内 テーマがヘビーなだけに、物語としてはロードノベルにしたかったところはあります。


小川 この作品では、ウクライナとロシアの戦争についてよく語られる言説や証言とともに、それを相対化する表現や場面、人物が出てきます。戦争とは何か。国とは何か。現地で戦っている人は、どういう思いなのか。そのような問いを、一つの言葉や表現に固定させない強い意志が感じられます。このことは、宮内さんがデビュー以来、書かれてきた小説すべてに当てはまります。


宮内 「相対化病」に罹っているようなところがあります。何もかも相対化せずにはいられない。何かを言うたび、必ずそれと逆の視点も提示したくなる。読者からすれば、「お前は一体何が言いたいんだ?」となるかもしれません。でもこれはもはや病気なので、変えようがありません。(笑)

70代女性二人の友情物語

小川 『Z線上のピエタ』は、恭子とミラという70代女性のシスターフッド(女性同士の連帯や支え合い)を軸に展開します。フィクション性を強調するためのキャラ設定だと思いますが、かなりチャレンジングなことをされています。


宮内 今回は戦争という重いテーマを扱うだけに、大枠は母二人の友情物語にしたかったんです。それを通じて、人を勇気づけられる話にしたいと思いました。さらに言えば、高齢者とそれ以外の人の分断、男女の分断を壊したい気持ちもあります。そういうこともあって、二人の女性に対して、いかにも高齢者という感じの描写は避けています。


小川 主人公の恭子は、少しひねくれた小説家寄りの人物です。いっぽう相棒のミラは、世間一般的な感覚の持ち主です。


宮内 普通は逆かもしれませんね。例えばコナン・ドイルは、小説的な人物であるホームズではなく、一般的な視点を持つワトソンを語り手にしたわけで。


小川 宮内さんは本質的な問いに対して、一般論や直感的な答えを与えることを、いつも強く警戒しています。だから主人公が偏りを持った変人で、それを際立たせるために、常識的な考えの人を相棒に据えたのだと思います。


宮内 今回のようなテーマ重視の小説を書く場合は、私はこういう書き方をすることが多いです。ミステリを書くときは逆ですが。

小説法という概念

――小川さんは自著『言語化するための小説思考』の中で、宮内さんに言及されていますね。


小川 本書の中では小説法という概念を提唱しています。小説を書く人それぞれが採用している、独自のルールや価値観のことです。自分が知っている作家の中で、一番厳しい小説法を順守していると感じるのが宮内さんです。私の場合は、仕事を引き受けすぎて、違法行為を行わないと仕事が回らない時期があったため、今はかなり無法地帯になっています(笑)。でも面白いのが、そうなってからむしろ読者が増え、本が売れるようになったことです。


宮内 わかる気がします。


小川 小説法って、結局は作家自身の自己満足的なこだわりにすぎない面があるんです。読者や作品のためには必ずしも必要ない。そういった意味で、宮内さんは小説法に厳しい分、損している部分がある。ただその厳しさこそが、同業者がリスペクトしている理由だし、宮内ファンが好きな部分でもあると思います。


宮内 自分の小説の小説法には厳しいと思います。ただそれを、他の人の小説に当てはめたいとは思っていません。それをやると、他の人の小説が楽しめなくなりますから(笑)。自分の小説法も、年齢的な影響もあるのか、年々、ゆるくなっています。今回の作品では、これまで抑えていた食事の描写、女性に「だわよ」を言わせること、猫を出さない、といったルールを破っています。


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