• 文芸

争いが絶えない時代に小説が果たす使命とは(宮内悠介×小川哲)

世界の争いの中で文学にできること

――ロシアのウクライナ侵攻に限らず、今、世界で争いが絶えません。このような状況に対し、文学、特に小説には何ができるとお考えですか。


宮内 できることは何もない、と言ってしまえば楽です。でもそれだったら小説を書いていない、という思いもあります。


小川 よくわかります。


宮内 小説を読むことは、他者の視点に立つ感覚を育むとよく言われます。であれば、分断を乗り越える力を、小説が育むことだってできるはず。例えば、今ネットやSNSでは、あらゆる立場の主張が洪水のように押し寄せ、人を洗脳しようとしてきます。文学に親しんでいる人は、それに簡単に騙されないのではないか、と思いたい気持ちがあります。


小川 同時に文学好きな人が、必ずしも平和主義者なわけでもないですよね。


宮内 小説家が陰謀論に傾くこともあるし、露悪的な小説をそのまま受け取って悪に染まる読者もいるはずです。影響は人それぞれ。今回の作品でも私はあえてスティーブという、小説によって救われなかった人物を登場させています。私は常に、ものごとの両面性を書いてきました。それはつまり、他者の視点に立つということでもあって、この点に関しては強くこだわっています。


小川 世の中の争いにおいて、どちらかが100%正しく、どちらかが100%間違っているということはあまりない。二つの見方や考え方があり、それぞれが全く違う景色を見ている。だから議論も成り立たず、最後は暴力による解決にならざるを得ない。よって自分がこの人は愚かだ、間違っていると考えている人間の正しさについてこそ、考えてみることが重要です。もしかしたら小説は、そのようなことを促せるかもしれないとも思います。

小説の目的は楽しんでもらうこと

宮内 もう一つ、小説の良いところは個人の視点から書けることです。ロシアとウクライナの戦争も、報道では何人が亡くなった、ミサイルが何発飛んだという数字での説明になりがちです。小説は一人の人間がなぜそこにいて、どんな思いで生き、どのように亡くなっていったかを描くことができます。


小川 戦争の本当の悲劇や悲惨さは、そこからしか理解できません。個人を立ち上げることこそが、小説の力だと思います。いっぽうで、そのような小説の効能が、政治的に利用されることもある。そういった意味では、小説が持つ力は、薬にも毒にもなるのだと思います。


宮内 小説にできることはないというある種のリアリズムと、小説にできることがあるという信念の両方を持っていたいですね。


小川 小説にできることがあるということは、戦争で実際に戦っている人、大切な人を亡くした人にとっては、すごく傲慢な言葉になり得ます。小説って安全が保証された場所で書かれることが多いですからね。そんな傲慢さを自覚しつつも、何かできることがないか、探っていきたいと思っています。


宮内 小説法の話に戻しますと、私の場合、小説法の中の刑法に啓蒙罪という罪があり、啓蒙をすることは禁じられています。でも同時に、憲法には人々を啓蒙すべきであるとの条文がある。その両者に挟まれて小説を書いています。


小川 宮内さん個人が小説を書いているのは、広い意味での啓蒙をしたいから。でも小説家として、自分が啓蒙することを許せない。啓蒙せずに、啓蒙するような脱法の手法を常に探っている。その結果、『Z線上のピエタ』のような作品が出来上がるんだと思います。


宮内 そうかもしれません(笑)。シンプルに言うと、読者の自由は奪いたくないけど、世界には無視できない問題があるといった感じになるでしょうか。


小川 僕は世界の現状について何かをしようと思って小説を書くこと自体、小説に対して失礼なのではないかと思うところもあります。小説の本来の目的は、読んだ人に楽しんでもらうこと。その本を読んだ時間が良い時間だったと思ってもらえることが、小説の一番の役割です。それだけは絶対に手放してはいけないと思っています。


宮内 すべての作家の憲法第一条は、読者が面白いと思ってくれることだということですね。


小川 それに違反した小説は、他の法律は守っていても、憲法違反なので極刑に処すべきです。(笑)

  1. 1
  2. 2
  3. 3

この記事をシェアしませんか?

1か月から利用できる

雑誌の定期購読

毎号ご自宅に雑誌が届く、
便利な定期購読を
ご利用いただけます。