「偏差値」より大切なのは、人とは違う“自分らしさ”——鎌田實さんはそれを「変さ値」と名づけられています。各分野で活躍される人々の「変さ値」に、鎌田實さんが迫る人気企画「男の”変さ値”」。今回は、お笑い芸人にして芥川賞作家の又吉直樹さんがご登場。
(月刊『潮』2026年10月号より転載)
自分の当たり前を許してもらえない
今回は、お笑い芸人、そして作家として唯一無二の存在感を放つ又吉直樹さんにご登場いただく。子どもの頃から無類の本好きで、高校時代にはサッカー部のレギュラー選手として全国大会で活躍したことでも知られている。
マルチな才能を持つ彼だが、日頃の言動や作品からは、「変さ値」の高さが漂っている。新刊の長編小説『生きとるわ』には、普通に生きることができず、又吉さんの言葉によれば「勝手に人生の難易度を上げていく」男たちが登場するが、又吉さんからもそんな匂いを強く感じる。
「確かに僕自身、普通に生きることができず、自分で勝手に人生の難易度を上げていくタイプの人間かもしれません。お笑い芸人を目指した時点で、そうとう人生の難易度を上げていますからね(笑)」
自分は、周囲の人間とはちょっと違うかもしれない。又吉さんがそう意識し始めたのは、小学校に入った頃だったという。
「自分が当たり前と思っていることを、周りのみんなが許してくれなくて……。あれ、何かがおかしいぞ、と思っていました。たとえば学童保育で将棋をしていた時、僕は駒の動かし方を自分で考えて、オリジナルのルールで遊んでいました。すると上級生が、『その動かし方は間違っている』と言うんです。僕は、彼が何を言っているのか、よくわかりませんでした。自分で考えた遊び方なんやから、間違いも何もないやんって思ったんです。でも僕が駒を動かすと『そうじゃない』『それはあかん』と言われて、めっちゃストレ
スでした(笑)」
さすが又吉さん、小学生にしてかなりの「変さ値」である。
又吉さんは小学校からサッカーを始め、高校時代はサッカーの強豪校で活躍していた。しかしサッカーにおいても、普通に生きられない又吉さんの性分は、存分に発揮されていた。
まずは小学校時代の話から。当時、又吉少年はそれほどサッカーの練習に熱心ではなかったという。そのため、実力はぎりぎりレギュラーになれるかどうかといった程度だったそうだ。
ある時、コーチがメンバーに「お前ら、自分のプレーは上手いと思うか?」と質問をしたことがあった。子どもたちはみんな揃えたように、「下手だと思います」と答えた。ところが、最後に聞かれた又吉少年は、「下手だとは思いません!」とはっきり答えたという。
「僕は実力的には、11番目の選手です。だからここで『下手だと思います』なんて言ったら、自分に可能性がないことを確定させてしまう気がしたんです。だから僕は『まだまだできます!』という意味も込めて、そう答えたんです。そう言えば、コーチが『又吉よく言った。そういう強い気持ちを持っていれば、お前は絶対伸びるぞ!』と言ってくれることを期待していたんです」
ところが、その期待は見事に裏切られた。コーチは「今、自分のことを下手だと言った奴は伸びるぞ!」と言ったのだ。又吉少年は「お前は伸びない」と言われたようなものである。又吉さんはそのことがとても恥ずかしく、悔しかったという。
ただ又吉少年が偉かったのは、その悔しさをバネにしたことだ。それから猛烈に、長時間練習するようになった。みるみる上達し、高校時代には、サッカー名門校でレギュラーとして活躍するようになった。
「僕はその頃から、みんなと同じことはやらないという気持ちを強く持っていました。コーチに『下手だとは思いません!』と言ったのも、心のどこかでみんなとの違いを示したかったからです。コーチには期待と真逆のことを言われたんですけど、あの言葉のおかげで、僕の行動はその後、変わりました。それまでは、努力をしているのに下手だと恥ずかしいので、あえて熱心に練習していないところがありました。でもコーチの言葉によって思い切り恥をかいたので、もはや失うものはない(笑)。ひたすら努力するのみだったんです」
人と違うことをしたり、言ったりすることには勇気が必要だ。その結果、ものごとのハードルを上げることになる場合もある。それを逆手にとり、成長の糧にしてしまうところが、又吉さんのすごいところだ。
既成概念に囚われずやりたいことをやる
もう一つ、サッカーにまつわる又吉さんらしいエピソードがある。又吉さんは本来、利き足が右だった。ところがある時、アルゼンチンの伝説的なサッカー選手、マラドーナのプレーに感動した。マラドーナの利き足は左だった。又吉さんは「左足だけでボールを蹴るのも面白そう」と考え、ある日を境に突然、利き足を左に変えてしまったのだ。
「マラドーナを見た次の日から、僕は左足でしかボールは蹴らないと決めました。チームメートからは『又吉、何ふざけてんねん、ちゃんと右で蹴れや!』と怒られました。でもそんな声は無視して、僕は左足で蹴り続けました。その結果、左足でも自由に蹴れるようになったんです(笑)」
既成概念や一般常識より、自分のイメージや、やりたいことを重視する。高校時代の又吉さんにも、そんな「変さ値」の高さが見て取れる。それは10年以上に及んだ芸人としての下積み時代も変わらなかったようだ。
「多くの芸人が、こうなりたいと思う芸人像があるとしたら、僕が目指すものはそれとはちょっと違っていたと思います。お笑いやネタに関しても、周りに理解されないこだわりがありました。若手の頃は、『そのこだわりに何の意味があんねん?』なんてよく言われたんです。でも子どもの頃から自分は変わり者なんや、それでいいんやって自覚があったから、あまり気にせず、自分のやりたい芸を貫きました」
又吉さんは、どうせ芸人をやるのなら、誰かに教わったメソッドではなく、自分にしかできないお笑いを追求しようと思った。デビュー後は、フルパワーで自分の個性を出すようにした。ところが先輩からは、「奇をてらうな」と怒られてしまった。「芸人の世界ですら『普通』が求められるんか。個性を出したらあかんのか」と、愕然としたという。
又吉さんは無類の本好きとして知られる。高校時代のサッカーの合宿でも、空き時間には一人でよく本を読んでいた。読書体験は、又吉さんの生き方にどのような影響を与えたのだろうか。
自分の悩みを大切にしていい
「僕が好きで読んできた近代文学の主人公や語り手は、僕と同じように変な奴が多かったんです。普通の人ならどうでもいいと一蹴するようなことを、真剣に悩み抜いていたりします。僕も人が気にしないことをウジウジと悩むタイプで、友達からよく馬鹿にされていました。でも文学作品を読んで、自分の悩みを大切にしていいんやって思えた。自分に自信を持つことができたんです」
自分と同じような面倒な人間が、他にもいる。自分がそれまで上手く言葉にできなかった感覚を、文学は言葉にしてくれる。そんな思いから、又吉さんは小説にハマっていった。とくに夢中になったのが、太宰治である。
僕も太宰治は大好きで、所有する本にはたくさんの赤字が書き込まれている。又吉さんの小説『生きとるわ』を読んだ時は、まさに太宰の小説を読んでいるような感触を抱いた。ただ又吉さんは、必ずしも小説家として、太宰治に影響を受けたわけではないという。
「太宰に関しては、影響を受けたというより、自分と物事の捉え方が近いなという感覚がありました。だから僕の感性で書いた文章は、自然と太宰っぽい雰囲気になる部分があるのかもしれません」
『人間失格』を読んだ時、道化を演じる主人公の葉蔵はまさに自分だ、と又吉さんは思ったという。末っ子として生まれた又吉さんは、幼い頃から親の顔色をうかがい、機嫌をとるような子どもだったそうだ。 「僕には姉が二人いるんですが、自由奔放な父親と姉が喧嘩して険悪な雰囲気になることがよくありました。そんな時、僕は末っ子であることを利用して、あえてひょうきんに振る舞うんです。おどけて見せつつも心の中は深刻で、そうやって家族の緊張感を和らげる役回りをいつも演じていました」
衝撃を受けた鉄棒のシーン
『人間失格』には、又吉さんが周囲に隠していた、自分の「世界との向き合い方」が書かれていたという。最初は、そんな自分の暗部を暴くようなことはやめてほしいと感じたそうだ。でもそんな太宰の文章に、なぜかどんどん引き込まれていく。とくに衝撃を受けたのが、葉蔵が受け狙いでわざと鉄棒の逆上がりに失敗し、尻餅をつく場面だ。
「クラスのみんなは、そんな葉蔵を見て笑います。でも、子どもの頃から葉蔵と同じようなことをしてきた僕は、『こんなあからさまなやり方で笑いを取ろうとするなんてわざとらしい。下手くそやな』と思いました。ところがその後、クラスメートの竹一が『お前、わざとだろ』と見抜く場面が出てくる。その一文を読んだ瞬間、鳥肌が立ちました。太宰は葉蔵の行動の痛々しさまでしっかり描いていて、『この人は信用できる』と思いました。そこから太宰作品にのめり込んでいったんです」
ちなみに、又吉さんが18歳で上京し、最初に住んだアパートは、奇しくも三鷹にある太宰治が暮らした自宅の跡地だった。
「本当に偶然でした。最初はそんなことは知らずに住んでいたんです。でもある時、太宰の本を読んでいて、吉祥寺までの行き方や、森鷗外のお墓がある禅林寺までの行き方が僕と一緒だと気づいたんです。そこで三鷹の図書館で調べたら、太宰の自宅の住所が、自分の家とほぼ一緒だったので驚きました」
太宰の手書きの地図も残っており、そこには隣の家の人の名前が書かれていた。又吉さんがアパートに帰って隣の家の表札を見ると、何と同じだったという。
「そこで隣の家の人に太宰のことを聞いたら、『あの人はうちの防空壕に一緒に入っていた』『うちのおじいちゃんは赤ん坊の時、太宰にだっこしてもらった』なんて言われたんです」
このように太宰治と何かと縁があった又吉さん。これまでメディアなどでも、太宰のことはよく語ってきた。しかしある時、小学校のクラスメートだった女性から連絡があった。又吉さんが大人になってからも信頼し、何かと相談をしている友人である。その友人は、「又吉、もうテレビで太宰治が好きって言わんとき」と言った。
「『なんで?』と聞くと、『あんたは小学校の頃、太宰なんて読んでなかったやろ。でもあんたの作文は、小学校の頃からめちゃくちゃ面白かった。あんたの作文にみんなが腹を抱えて笑ってた。それやのにあんたが太宰を読んでいたと言うと、あんたの功績がすべて『太宰のおかげ』ということに回収されてまうやん』。そう言われて、なるほどな〜と思いました(笑)」
とても鋭い友人である。そのような指摘を受けた又吉さんは、改めて自分の小学生時代の作文を思い出した。当時、友達に一番受けたのが、遠足の時のことを綴った作文である。当時の遠足は、男女一列ずつになって手をつないで歩いていた。集団行動ができない又吉少年は、それが苦手だった。そこでその時の遠足では、列の最後尾から離れ、教頭先生と一緒に歩いていた。
しかしやがて二人は、列から大きく離されてしまう。そこで又吉少年の提案により、道のない木が生い茂った部分を、まっすぐ下りて列に追いつくことにした。その時、又吉少年が少し足を滑らせ、木の枝を折お ってしまう。教頭先生は「植物も生きてるから、枝は折ったらあかんよ」と又吉少年を注意した。しかし今度は、教頭先生が足を滑らせ、バキバキバキバキッと思いっ切り枝を折りながら、滑り落ちていったのだ。
「その時、教頭先生から『このことは誰にも言うなよ』と言われたんです。でも僕はそう言われたことも含めて、すべて作文に書きました(笑)。それがむちゃくちゃ友達に受けたんです。確かにこの頃はまだ、僕は太宰の小説を読んでいない。ただただ自分が面白いと思ったことを、作文に書いただけなんです」
太宰の短編にもユーモラスなものが少なくない。太宰と又吉さんのものごとの見方には、本質的に通じるものがあるのだろう。同級生の友人が指摘し、本人も認めるように、又吉さんは太宰に影響を受けたというより、もともと太宰と同質の感性を持っているのだ。
いずれにせよ、どの世界であれ成功する人は、自分だけのこだわりや独自の世界、そして言葉を持っている。自分だけの言葉を持つ人は、人とは違うものの見方をしているものだ。又吉さんや太宰も、間違いなくその一人であり、まさに「変さ値」が高いと言える。
変さ値が高い人は、それだけ人生の難易度が上がり、背負わなくていい苦難を背負うこともあるだろう。後編では、又吉さんの小説家としての「変さ値」をさらに掘り下げたい。
| カマタの想い |
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| 「周りと違うことは生きる武器になる」と、僕は思ってきた。偏差値よりも"変さ値"の方が、これからの時代を生き抜く力を生み出していくのではないか。又吉直樹は、子どもの頃からずっと"変"だったという。「成功する人には言葉がある」と言われるが、お笑いや小説の世界であれ、ラーメン屋や寿司屋であれ、やはり最後は「言葉の力」なのだ。言葉を研ぎ澄ます時期が、誰にでも必要なのだろう。彼は原稿料の貰えないエッセイや漫才のネタを書き続けながら、ひたむきに自分の言葉を磨いてきたのだ。 そんな彼の高校時代はいたって普通の生徒だったという。その時の表現が実に又吉さんらしい。「普通の高校生のコスプレをして、普通を演じていた」というのだ。「周りに同調してしまう」「個性をなかなか出せない」と自己否定しそうな人は、彼のこの捉え方を学んでみてはどうだろう。「今は普通を装っているだけ。本当はとんがっているし、人とは違う変な部分やこだわりがある。いつかこれが爆発して、自分の力を存分に発揮できる時がやってくる」--そう思うことで、新たな生きる武器を手に入れられるのではないか。 また、彼はサッカーで左サイドバックを守っていたという。このポジションは極めて複雑だ。基本は守備に徹して失点を防ぎつつ、機を見て前線へ駆け上がり攻撃の起点となる。ピッチ全体を客観的に把握するこの経験を通して、彼は状況を俯瞰する能力を養っていったのだろう。サッカーとお笑い、そして執筆活動を通し、これからさらに面白い「又吉直樹の世界」が生み出されていくのが楽しみでならない。 |


