月刊『潮』8月号の「人間探訪」では、萩本欽一さんにご登場いただきました。
「欽ドン!」「欽ちゃんのどこまでやるの!」など、数々の人気番組でテレビの一時代を築いた欽ちゃん。今回の取材では、番組づくりの原点から、85歳の今も挑戦を続ける理由まで、たっぷりと語ってくださいました!
なかでも印象的だったのが、「運の総量は決まっている」という欽ちゃん流の人生哲学。失敗や挫折が多いということは、まだ運を使っていないということ。だから、これから使える運がたまっている――。
読む人の背中をそっと押してくれる、明るく深い言葉に満ちた記事です。
(月刊『潮』2026年8月号より転載。撮影=黒坂明美 取材・文=荒川龍)
予定調和を嫌う人の新たな挑戦
「当ビルの住人は各階名を数字ではなく動物名で呼んでいます」
都内のあるビル1階からエレベーターに乗り込むと、立って右足を蹴りあげる黒い人影がドア左上に描かれ、そこに冒頭の説明が濃い灰色で上書きされていた。確かに頭上には九つの動物の名前と絵柄が並んでいた。左端の1階はゾウ、2階はカンガルー、3階はチーター、4階はオランウータン、5階はインパラ、6階はペンギン、7階はコアラ、8階はレッサーパンダ、最上階はラッコ。いったい何の順番なのか?
「建設会社の人に頼んで、私が好きな動物を(1階から)大きい順に並べてもらったの」
その「9階の住人」萩本欽一(85)は少し口角を上げて話した。何事にも予定調和を嫌う彼らしい。2026年5月下旬だった。
取材も通常の媒体説明を省き、いきなりなれなれしく「欽ちゃん、よろしくお願いします」と始めた。担当マネージャーには事前に承諾を得たうえで、だ。
欽ちゃんは2025年10月から、BS日テレでわずか3分間の「9階のハギモトさん!」を始めていた。しかもスポンサーも彼のギャラもなし。その短さゆえにテレビ欄に番組名も載らないという、ないない尽くしだ。1975年に「欽ちゃんのドンとやってみよう!」で、日本で初めてコメディアンの個人名を冠したテレビ番組を始め、70年代から80年代までに視聴率30%超の冠番組を三つも担当し、「視聴率100%男」の異名をとった人が、だ。
新番組についての記事を読むと、欽ちゃんの「新しい番組ではなく、新しいテレビをつくりたい」という言葉が目にとまった。
「通常、テレビ局は企画書を作って、それでスポンサーを探して番組づくりが始まる。でも、それだとスポンサーの意向が最優先で内容が予定調和なものになりやすい。結果、どの番組も似たような内容が多いし、最近のテレビはあまり勝負していない。だから今回は企画書もなしで、その逆をやってみただけ。面白いと思ったらスポンサーになって応援してくださいね、という順番にしたかった」
欽ちゃんはこともなげにそう話したが、一定の視聴率を残せないと晩節を汚しかねない。幸い、26年4月からはスポンサーがついて月1回放送の30分番組に昇格。それでもテレビ界で功成り名を遂げた85歳の挑戦が、いかに型破りなものだったかがわかる。
テレビはお米と同じ いきなり生まれない
新番組は、当日の取材場所である彼の9階事務所をスタジオとして使い、背景セットなどを女子大生らが手作りしたり、人形製作会社が持ち込んできた「欽ちゃんのダメよキューピー人形」のアイデア出しや、彼がその会社を突然訪問したりする様子も放送した。
「本来、テレビはお米と一緒。お米もいきなり田んぼからは生まれない。田植えの時点でお客さんからお金もとらないでしょう? テレビも育てて生まれるもの。だから我々も最初は七転八倒するわけです。この試行錯誤している段階で、テレビはスポンサーからお金を平気でとってきた。結果、自分たちが本当に作りたいものじゃなくて、お金をもらったから作ります、になっちゃった」
新番組はスポンサー決定後にテレビCMを勝手に作る過程を公開収録にした。テレビCMは基本30秒だが、制作過程を番組にすれば30分にできる。スポンサー離れが続く業界では新たな試みだ。謎解きクリエイターの松丸亮吾(30)と欽ちゃんの初対談は、担当ディレクターが松丸に出演交渉をする経過も放送するなど、「作りながら成長するテレビ」を実験中。
面白かったのは松丸が「欽ちゃんの言葉を僕が"翻訳"して若い世代に伝えたい」と言い、二人だから作れる番組像を生成AIに尋ねたら、かなり具体的かつユニークなアイデアをいくつも提案してきて、松丸が「僕、AIに勝ちたい」と悔しがった場面。欽ちゃんの持論「笑わせるのではなく、思わず笑ってしまう」ドキュメント・バラエティーだった。正解のない「新しいテレビづくり」は今後も続く。
