60代からの精力的な挑戦
60歳になった欽ちゃんは「無謀なことをやるオッサン」を目指して挑戦を始める。事前に予想していたよりも、心身ともに元気で還暦を迎えられたからだ。精力的な軌跡をざっくり並べてみる。
64歳 社会人硬式野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」を創設し、監督に就任。
66歳 日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」60周年記念番組で70キロマラソンに挑戦。残り720メートルで番組の放送が終了。
73歳 明治座公演の終了をもって舞台から引退。
74歳 駒澤大学仏教学部に入学。
78歳 同大学に4年間通学したうえで卒業前に自主退学。
79歳 YouTubeチャンネル「欽ちゃん80歳の挑戦!」を開設。約1時間の動画を300本以上製作。
84歳 BS日テレで「9階のハギモトさん!」放送開始。
放送時間内に間に合わなかった66歳での70キロマラソンも、78歳での大学自主退学も予定調和を嫌がる、欽ちゃんらしい。
「でもね、70歳でも無謀なオッサンのままだと疲れるなと思って、ある舞台で『70歳や80歳になっても、明日会う人がいるのは幸せだ』って、アドリブで言ったら、お客さんも共感してくれたから、そっちに方針変更した。もし明日会う人がいなくなったら、自分から近くの八百屋にでも出かけて、『今日の大根はおいしそうだね』って、世間話をしてりゃあいいの。家でテレビばかり一人で見ていてボケてる人が多いからね」
嫌なことへの対処で人間の粋が出る
欽ちゃん式の運の引き寄せ方の一つに「粋な言葉」がある。
「人生を楽しくしたいなら、みんなもっと粋な言葉を勉強すればいいのに、と思う。粋な言葉の威力はすごいですよ。人間関係は広がるし、運も向いてくる。仕事だって成功する。(中略)辛かったら楽しい言葉を、悲しかったら嬉しい言葉を、悔しかったら幸せな言葉を言ってみる。それも笑顔でね。そしたらきっとその人とその言葉に惚れる人が現れて、物語が始まる。(中略)そこから人生が変わってきますよ」(萩本欽一著『ばんざい またね』ポプラ社刊より抜粋)
先の「運を貯める」より断然難しい。発端は欽ちゃんの若手時代の実体験にある。たとえば、最初の修行先だった浅草のストリップ劇場の支配人だ。先輩芸人たちはその幕間にコントなどを披露して腕を磨いていた。欽ちゃんは無給で働き始めたものの、先輩芸人から何の仕事も命じられないので、朝一番に劇場に来て舞台を掃除し始めた。約3カ月が過ぎた頃、支配人にこう言われた。
「お前か、誰も頼んでないのに朝早く来て、舞台を掃除してるってゆーじゃねぇーか、この野郎! すいませんじゃねぇよ、そーゆーのは偉いんだよぉ。来月から給料3000円だ、この野郎! この高給取りめ。入って3カ月で3000円なんてお前しかいないよぉ」
怒られているのに褒められている。欽ちゃんは怒られて幸せになることもあると学んだ。
「昔はそんな粋な言葉を持っている大人がたくさんいたんだよ。今はいないねぇ、みんな得とか損とか、そんな言葉しか使わないから」
日常で見聞きした粋な言葉は、今も書き留めているという欽ちゃんに最近見つけたものを聞くと、葛飾北斎の「70歳までに描いたものは取るに足りない。(中略)80歳でさらに向上して、90歳では奥義をきわめ……」を挙げた。
今の欽ちゃんにぴったりじゃないですか、と伝えるとこう続けた。
「私も今までのは笑いじゃないよ。これからの笑いはもっとヒドいね、だって体が動かないんだもん! ほら、持ち合わせの言葉がまだないからオチになっちゃったよ」
約90分の取材後、巻頭写真の撮影を終えてもまだ話し足りなそうな欽ちゃんは、ソファに再び腰を下ろした。グレーのスーツに白地に黒の縦ストライプのシャツ。色白な肌のつやは良く、少しかん高い声には往年の張りがあり、濃淡が少しまだらなワイン色の眼鏡姿は85歳にはまるで見えない。テーブルに置かれた優しい筆跡の取材用メモには「運がある 運にする 運が来る」「葛飾北斎」などと書かれていた。
彼が他界した後に放送される予定のテレビ番組企画はほぼ準備済みで、視聴者がその放送を見て笑っているときには、彼はこの世にいないという粋な去り方について、もっとくわしく聞きたくなった。
「それよりもう一つ違ったレベルに話は進んでいて、お寺に欽ちゃんの仏像『欽像』を作る。『ぶつぞー(叩くという意味の「ぶつ」の語調で言った)』って言って、頭を実際にぶつと『きーん』と音が鳴るやつ。それに願いごとをするといい運に巡り合える。要は私がいなくなっても、お寺にお参りに来た人の運を引っ張り上げるの。小さな木彫りでいいから頭の部分だけは『きーん』って鳴るように金メッキででも加工してほしい。安く作ってやるよっていう人がいたら今から飛んで行っちゃうよ」(文中敬称略)