問題だらけの「お尋ね」文書から、わずか2週間足らず――宗門は池田の法華講総講頭を罷免した。さらに「御本尊の下付の停止」「破門通告書」などの暴挙が続く。単行本『民衆こそ王者』第22巻でも触れた「C作戦」――「第二次宗門事件」の始まりだった。
その社会的意義について、池田は語っている。
「……学会の活動に対して、もっとも無理解であり、批判的だったのが、現在の宗門だった。それのみか、私どもの実践が世界的に認められたことを嫉妬したのである」(1992年1月のスピーチ、『池田大作全集』第80巻)
池田がモスクワのクレムリンでゴルバチョフ(当時、ソ連大統領)と会い、「来春に日本を訪問したい」という発言を引き出し、マスメディアで一斉に報じられたのも、南アフリカの人権の闘士ネルソン・マンデラを聖教新聞社に迎えたのも、「第二次宗門事件」が勃発した1990年(平成2年)のことだった。
「(宗門は)民衆のために未来を開くどころではなく、民衆をみずからの権威に隷属させようと策謀して、ついに学会を破門するという暴挙に出た。
こうした宗門の愚挙を、アメリカの宗教学者ハワード・ハンター教授(タフツ大学宗教学部長)は、厳しくこう批判されている。『現実に、一千余万の人々が宗祖の精神をたたえながら何不足なく、健全な信仰活動を行っている。その"実証"をまったく無視して、自らの意思にそぐわぬからといって、破門を宣告するのであれば、皆さま方は我が道を行くしかありません。教義を社会化、現実化しようと日夜、献身する人々の"心"がわからなくなってしまったら、その宗団は現代の"化石"の道をたどるしかないのです』(「聖教新聞」1991年12月26日付)と」(前掲全集)
「……今の宗門はもちろん、今の日本も、多くの指導者が真摯な自己教育を忘れ去ってしまった。放置しておけば、問答無用の抑圧的社会となり、衰亡していくことを憂うるのは私一人ではないと思う。
乱世である。乱世になればなるほど、原理原則が大切になる。右を見たり、左を見たりせず、不変の大道を歩むことが要求される。
牧口先生は『行き詰まったら原点に返れ』と言われた。
不安に振りまわされたら、社会は自滅する。先が見えない時代だからこそ『不変の信念』を貫く人が信用されるのである。とくに外国から見れば、はっきりわかる。不変の路線を行く創価学会の信用もそこにある。私どもは、仏法を根底に、厳然と文化・教育の道を進んでいる。『変わらない』強さが力なのである」(1995年6月のスピーチ、全集第86巻)