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「三成」の名前に込められた、父の願い――岡本三成を育てた家族の絆

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名前に込められた「恩に報いる人生」と、働く理由を迷わず「家族を養うため」と語った父。他者を思う心を厳しく教えた母――公明党代表・岡本三成の人生の礎となったご家族のエピソードを紹介します。

(書籍『逆転の創造力』岡本三成・著 より転載。撮影=雨宮薫)

岡本家の「三成」

私の郷里、佐賀県鳥栖とす市は、県東部に位置し、福岡県久留米市などに隣接しています。今でこそ人口は7万人を超えていますが、私が子どもの頃は、5万人もいませんでした。 現在の鳥栖市のあたりは、江戸時代には製薬・売薬業が盛んで、「越中富山えっちゅうとやまの薬売り」に匹敵するほどだったそうです。「サロンパス」で有名な久光製薬は、鳥栖市で創業され、私が子どもの頃は、地元でただひとつ、全国的にその名が知られた会社でした。

小学生の時、学校の先生から、鳥栖市が誇る二つのシンボルを教えてもらいました。一つ目は、九州・長崎・大分自動車道を、四つ葉のクローバーの形でつなぐ鳥栖ジャンクション。そしてもう一つは、JR九州の長崎本線と、鹿児島本線の分岐点である鳥栖駅でした。この地は、交通の要衝なのです。


1965年5月5日、そんな鳥栖市の原町という小さな町に、私は4人兄弟の末っ子として生まれました。一番上は姉、その下に長兄と次兄、そして末っ子の私です。奇しくも「こどもの日」に生まれた末っ子の体重は、平均よりも少し軽い2779グラム。産声を上げたのは、午前6時半頃でした。この赤ん坊は、50歳を過ぎた今も、自己紹介をする場面で、頻繁に同じ質問を受けることになります。


「やっぱり戦国武将の石田三成が名前の由来なの?」と。


石田三成といえば、今でこそ、名将として語られることが増えてきたものの、私が子どもの頃は「無能」「野心家」など、悪いイメージが強かったように思います。ある時、どうしてそんな武将の名前を子どもにつけたのかを、命名した張本人である父・久雄に聞いたことがあります。父は、次のように説明してくれました。


「人として大切なことがある。それは恩に報いることだ。石田三成は、最後まで報恩の人生を歩んだ。それこそが、正しい生き方だと思う。だから、お前の名前は、石田三成から取ったんだ」と。


ご存知の通り、石田三成は15歳の時に、主君・豊臣秀吉に見出され、後に側近に抜擢されます。そして、その後は生涯を通して、豊臣家に仕えます。


秀吉の死後、三成は徳川家康に、関ヶ原の戦いを仕掛けます。三成が挙兵した理由には、諸説ありますが、秀吉の跡を継いだ幼君・秀頼を、家康から守るため、すなわち、主君への恩義からだったという説が、もっとも有名です。他にも、石田三成の人物像を伝える史実や、伝承はたくさんあるものの、父は、石田三成の"報恩"に着目したようです。

自分の口しかわからんとね!?

父は建設業を営んでいました。当時は会社の経営が、うまくいっていなかったこともあったのでしょう。私が小学生の頃は、両親の喧嘩が絶えることがありませんでした。しかし、母はどんなことがあっても、決してめげません。気丈に振る舞い、笑顔を絶やしませんでした。それでも、私は両親が喧嘩する姿を見るのが本当に嫌でした。いつも子ども心に、「なんとか母ちゃんに心から喜んでもらいたい」と思っていたのです。


母は、私が勉強をすると喜んでくれたので、私はとにかく一生懸命に勉強しました。その甲斐もあって、小中学生時代の成績は、ほとんどが一番。高校生になってからも、常にトップクラスでした。


私は、小学生の頃から新聞を熟読するのが大好きでした。特に、熱心に目を通したのは国際面と経済面です。なかでも国際面は大好きで、新聞を読みながら、いつも世界に思いを馳せていました。


小学校の卒業記念文集のことを、今もよく覚えています。担任の先生から与えられたテーマは「将来の夢」。仲の良かった友人たちが、「プロ野球選手になりたい」「新幹線の運転手になる」と書くなか、私は「世界を股にかける男になりたい」と書いたのです。


子どもの頃に母から叱られたなかで、今も忘れられないことがあります。


末っ子の私は、姉や二人の兄とは年が離れています。姉とは10歳差で、長兄とは八歳、次兄とは六歳違ったのです。そのため、高校生になってアルバイトをしていた姉や兄から、時々お小遣いをもらっていました。姉には、外食にも連れていってもらったり、兄からは、洋服のお下がりをもらったりもしました。


子どもの頃こそ、喧嘩もしましたが、とても仲の良い兄弟だったと思います。母はよく「兄弟仲が良いことが、私は一番嬉しい」と言っていました。ただし、どれだけ仲が良くとも、四人兄弟ともなると、ある問題が生じます。それは、おやつの分配方法です。


例えば、一袋のスナック菓子があるとします。これを4人で分ける場合、一人分はほんの少しになってしまいます。しかし、食べたいものは食べたい……。ある時、私は我慢できずに一袋すべてを自分一人で食べてしまいました。それでも、姉や二人の兄から怒られた記憶はありません。みんな年の離れた末っ子には優しいのです。ところが、母は違いました。


「自分の口しかわからんとね!?」


九州の方言で「自分の口しかわからないの!?」という意味です。母は「自分だけ良ければそれでいいのか!?」「他の兄弟のことも考えなさい!」と、私に教え諭したのです。今振り返ってみると、幼い頃から、他者に対する思いやりを、教わっていたような気がします。

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