炎上する世界貿易センター、粉塵に覆われた街、そして機能を止めた金融市場。テロによって深い傷を負ったニューヨークで、市場を動かし続けることに挑んだ金融マンたち。その経験は、後に公明党から政治の道へ進む岡本三成に何をもたらしたのか。
(書籍『逆転の創造力』岡本三成・著 より転載。撮影=雨宮薫)
一瞬で変わり果てたマンハッタン
ニューヨーク時代は、とにかく多忙な日々を送っていました。充実もしていました。
そんな最中に起きたのが、本書の冒頭でも述べた、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロだったのです。
その日の私は、いつも通りに朝からマンハッタンのオフィスで働いていました。遠くの方で爆発音が聞こえたかと思うと、同僚たちが何かを言いながら、窓の外を指差しています。私は北向きの窓際に向かいました。
世界貿易センター(WTC)は、私のオフィスから北に1kmほど離れたところに位置していました。そのWTCの北棟から、黒煙と炎が上がっているのです。多くの同僚は絶句して、その様子をただ眺めていました。
もはや仕事どころではありません。そうこうしているうちに、窓の外を呆然と眺める私の目に、信じがたい光景が飛び込んできました。視界の左側から侵入してきた旅客機が、そのままWTCの南棟に突っ込み、炎上したのです。その後、WTCは2棟とも崩壊。数多くの尊い命が犠牲となりました。
実際に、この目で見たWTC南棟への2機目の衝突。そして、マンハッタンのランドマークだった両棟の崩壊。とても、現実に起きていることだとは思えませんでした。
2機目の旅客機が南棟に突っ込んだ後、それがテロリストによる犯行だったことがテレビ報道で明らかになりました。そしてまもなく、3機目の旅客機が、アメリカ国防総省本庁舎(バージニア州/通称「ペンタゴン」)に激突し、ここでも多くの犠牲者を出しました。
テロリストによってハイジャックされた旅客機は、全部で4機だったのですが、その時点では、さらに多くが乗っ取られた可能性がある、との報道がありました。しかも、攻撃されているのは、WTCとペンタゴン。アメリカを象徴する建物ばかりです。実際に、ハイジャックされた4機目は、乗客の抵抗などもあって、ペンシルベニア州ピッツバーグの郊外に墜落したものの、その標的は、ホワイトハウスか国会議事堂だった、と推測されています。
私が働いていたオフィスでは、「仮に4機以外にハイジャックされていたとしたら、それこそニューヨーク証券取引所も、標的になり得るのではないか」と言われていました。ニューヨーク証券取引所は、ゴールドマン・サックス本社のすぐ北側にあります。仮に、そこに旅客機が突っ込んだとしたら、私のオフィスも間違いなく被害を受けていたでしょう。
そうした可能性が十分に考えられたため、南棟が崩壊する前には、全社員を地下の食堂に誘導する全館放送が流れました。仮に何らかの被害が出たとしても、地下であれば安全性が高まると判断されたのです。
地上110階建てのビル2棟が、わずか30分間のあいだに崩壊すると、その周辺では、火災による黒煙に加え、瓦礫が飛散し、灰と粉塵が舞い上がり、まるで夜が訪れたかのように真っ暗になるのです。そして、じきにマンハッタンに架かる橋は、陸路でのテロリストの侵入を防ぐためにすべて封鎖され、地下鉄やバスといった公共交通機関も、すべて運行を取りやめました。
あれは、正午を過ぎた頃だったと思います。再び全館放送が流れ、「帰宅できる人は帰宅してください。できない人は、ここに留まってください」とアナウンスされました。先に述べた通り、私は会社の近くに住んでいたので、歩いて帰宅することにしました。
地下にある食堂を後にして本社の外に出ると、まだ粉塵が舞っていたため、あたりは薄暗く、独持の焦げ臭さが立ち込めていました。そのなかを、私は一人、歩いて帰路につきました。出勤した時には、普段通りだったマンハッタンの街並みは、文字通り一変していました。自宅までは、通常であれば地下鉄で15分ほどの距離です。しかし、その日は帰宅するまでに、4時間もかかりました。
テロとの戦い
同時多発テロ以降、マンハッタンは街としての機能が停止し、街中には次のテロ攻撃に備えて、長らく軍隊が出動していました。私自身も含め、すべてのニューヨーク市民が、被害者だったと言っても、決して過言ではないと思います。
ニューヨーク証券取引所は、テロ当日を含めた4日間の取引停止。その間に、世界の他の金融市場では株価が大暴落しました。テロが起きた9月11日は火曜日。マーケットでの取り引きが再開した翌週の月曜日のことは、今でもはっきりと覚えています。
テロの後、WTCがあったマンハッタンの南側では、しばらくのあいだ地下鉄が閉鎖されていました。そのため、私を含めたウォール街で働く人々は、少し北側のチャイナタウンで地下鉄を降り、そこから徒歩で通勤しました。なかには、「Peace(平和)」などと書かれたプラカードや、星条旗を掲げながら出勤している人も散見されました。これから出勤するのは、国際金融の中心地であるウォール街です。自分たちの持ち場である金融の世界でテロと戦う。きっと皆がそんな思いだったはずです。
オフィスに着き、市場が開く直前に全館放送が流れました。声の主は、サマージョブの面接をしてくれたヘンリー・ポールソンです。私が初めて会った頃の彼は、シカゴオフィスの責任者でしたが、その後はゴールドマン・サックスの社長兼COO(最高執行責任者)などを歴任。そして、2001年当時は、会長兼CEO(最高経営責任者)となっていました。そんなヘンリー・ポールソンからの全館放送は、次のような主旨でした。
「我々は、テロとの戦いを始める。それはどんな戦いか。こんなことくらいでは、アメリカの金融市場はビクともしないし、しっかりと機能するということを見せつける戦いだ」
実は、同時多発テロの直後から、メディアではしきりにある一つの疑惑が報じられていました。それは、9.11の前にテロ組織が株式の空売りを行った形跡があり、それによって新たな資金を手に入れようとしている、あるいはすでにしているのではないかというものです。
市場が「しっかりと機能する」とは、市場の流動性を確保することです。つまり、テロという恐怖におびえることなく、普段通りに買う人がいれば、売る人もいるということです。その環境を作り出すことが、ゴールドマン・サックスのテロとの戦いだったのです。
ヘンリー・ポールソンの言葉を受けて、私はこんな仕事をしました。インターナショナル・ファイナンス部門だった私は、女性の上司とチームを組んで、誰もが知るウォルト・ディズニー・カンパニーを担当していました。CEOからの全館放送の後、我々はウォルト・ディズニーに電話をかけ、次のように提案しました。
「今日、10億ドルの債券発行をして資金調達をしてもらえませんか? テロとの戦いとして、市場がいつも通り機能していることを示したいんです。もし投資家が集まらなければ、ゴールドマン・サックスが全額投資します」と。
10億ドルを日本円にすると、およそ1100億円。ウォルト・ディズニーは、すでに投資の計画を立てていたわけでもなければ、資金繰りに困っていたわけでもありません。しかし私たちは、そんなことを承知の上で、「テロとの戦い」のために、それほどの大金を調達してくれないか、と頼んだのです。
普通であれば、そんな資金調達をする人はいません。仮に高い金利での資金調達となれば責任者の立場がなくなってしまうからです。しかし、ウォルト・ディズニーはやはり違いました。
「わかりました。今日、これから10億ドル調達をしましょう。まだ使い道は決めていませんがテロとの戦いです」
担当者はそう言って、9.11の後、資本市場の最初の取り引きとして、世界中から10億ドルの資金調達をしたのです。
市場での取り引きが無事に済むと、ウォルト・ディズニーはそれを祝う会食を催し、私たちを招待してくれました。会場はウォルト・ディズニーの本社があるロサンゼルスのイタリアンレストラン。その席で、私はこんな話をしました。
「テロの最も深いところにある原因は貧困です。その貧困をなくすためには、雇用を作らなければなりません。雇用を作るためには、モノやサービスが売れないといけない。モノやサービスが売れるためには、お金が流動していないといけません。
そう考えると、お金を借りたい人と、貸したい人をマッチングするという金融機関の仕事は、それ自体が平和の礎になると私は考えています。これからも、私たちは、私たちのテロとの戦いに勝利していきます」と。
ゴールドマン・サックス時代の私にとっての幸せは、素晴らしい同僚はもちろん、心から尊敬できる顧客と、ともに仕事ができたことでした。そのなかでも、9.11の後にウォルト・ディズニーと成し遂げた一連の取り引きは、思い出すたびに胸が熱くなる経験でした。
その後、私はゴールドマン・サックスの日本のオフィスで働き始めました。帰国の理由は、日本でも本格的にガバメント・ビジネス(公的機関を顧客にした事業)を展開するため。私がそのチームの責任者に抜擢されたのです。
日本では、例えば、現在の住宅金融支援機構が提供している、住宅ローン「フラット35」の創設に携わらせていただきました。住宅金融支援機構の前身である住宅金融公庫や国土交通省の担当者らとともに、アメリカのファニー・メイ(連邦住宅抵当公庫)などの視察に行き、ともに「フラット35」の仕組みづくりを行ったのです。多くの方にとって、家は人生最大の買い物であり、夢です。この「フラット35」によって、多くの人が夢を実現しやすくなりました。
「インターナショナル・ファイナンス」や「ガバメント・ビジネス」と聞くと、どこか遠くの話に感じてしまうかもしれません。しかし、つまるところ、金融の最大の目的は、人々の生活を豊かにすることだと私は考えています。これは政治における経済政策でも同じです。