自分を見つめ吐露する手紙
上田 そもそも脚本家や小説家を目指していた中江さんが、俳優になられたのは、何故なんですか。
中江 たまたまスカウトされたからなんです。ただもともと創作をしたいという夢があったので、東京の事務所から誘われて、今いる場所から抜け出して夢を追いかけるチャンスだと思いました。俳優をしていれば、いつか自分の脚本を書ける機会もあるかもしれないとの思いもありました。むしろその夢が、俳優業を続けるモチベーションでした。
ただ脚本を書くようになると、俳優業を長年やってきたことは強みになりました。台本のセリフをどう受け止めるかなど、演じ手の気持ちがよくわかるからです。
上田 なるほど。ところで中江さんの文庫の新作『水の月』は、幼くして離ればなれになった姉妹の手紙とメールのやり取りだけで構成される小説です。ぼくはこの作品を読んで、人はなぜメールや手紙、小説といった文章をわざわざ書くのだろう、といったことを考え、解説にもそのような内容のことを書かせていただきました。
中江 私は宮本輝さんの『錦繡』や三浦しをんさんの『ののはな通信』など、手紙をモチーフにしたり、書簡形式で物語が進んだりする小説が好きでした。そこで今回、この作品で挑戦してみたんです。実際に書いてみて、手紙やメールというものは、相手のために書いているようで、結局は自分の内面を見つめ、吐露しているものであることに気づきました。そのことを指摘している上田さんの解説を読んで、見透かされているなと思いました。(笑)
上田 そこが書簡体小説の面白さですからね。手紙やメールなどの文章は、面と向かっては言えないこと、聞けないことも伝えることができます。よってメールや手紙のほうが実際に会って話すより、深い対話ができることもあります。
不在感こそが創作を誘う
中江 とくにこの作品の姉妹は家族でありながら、親の離婚によって長い間、離れて暮らしています。家族としての時間を過ごしておらず、相手のことをよく知らない。相手のことを知りたいからこそ、自分のことも語らなくてはならない。自分で言うのもなんですが、自分のことを吐露しやすい設定だと思いました。(笑)
上田 この小説は不在と存在という表裏一体のものがテーマになっています。この姉妹は街中で家族連れを見かける度に、本当だったら隣にいたかもしれない姉妹の存在を意識したはずです。二人はそれぞれ不在としてあり続けていたからこそ、何十年ぶりにつながった後、何度もメールのやり取りをすることになる。不在だった相手に出会ってしまった以上、不在の答えあわせをしなくてはならないのです。そこがこの作品を駆動させていくエンジンになっています。
中江 私は上田さんが解説で書かれていた「不在だった存在が自分の一部にすらなっている」との言葉にドキッとしました。私も両親が離婚していて、実の父とは長年、会っていません。でも不在だけど、自分の一部として存在しているという感覚は、ずっと持っていました。
上田 不在の存在を思うことは、自分のなかの大事な部分を引き出すきっかけになるのではないかと思います。本来ならあったはずのもの、求めていたものがない。そのような不在感は、ぼくにもあります。むしろそれこそが、ぼくを創作に向かわせている気がします。