• 社会

ヒグマのプロが語る クマ対策の誤解と課題

人の手が入らない鳥獣保護区の課題


警察内に即応部隊をつくることとともに提案したいのが、人里に出てきたクマを駆除するだけでなく、そもそも山林に人の手を入れつづけることだ。


かつて北海道では「春熊駆除」などヒグマの捕獲を奨励する政策がとられていた。ほかにもヒグマ捕獲の経済的なメリットは大きかった。はく製やクマ肉、「熊の胆」と呼ばれる胆嚢などが高く売れて、1頭捕ると100万円単位の収入になった。だから、危険を冒して山林までクマを捕獲しにいくハンターも多かった。


それが1990年、北海道が駆除から保護へと政策を転換し、春熊駆除は廃止された。加えて、92年にはワシントン条約の項目にクマが追加され、ヒグマの毛皮や熊の胆は輸出できなくなった(国内での売買に制限はない)。するとクマ撃ちで生計を立てるのが難しくなり、山林まで入っていくハンターは少なくなっていった。


そして現在、クマに関する世論の高まりから、行政は再び政策の転換を進めている。「増えてきたのでやっぱり捕ってください」というわけだ。だが、生息数の推計や世論に左右されて現場を振り回すのはもうやめるべきだろう。


問題は、人間が山に入らずして野生動物を管理するのは不可能だということだ。北海道のクマのハンティングシーズンは10月1日から翌年1月31日までの4カ月間に限られている(他地域は11月15日から翌年2月15日まで)。この間なら「可猟区」と定められた地域内で狩猟のためにクマを捕って構わない。それ以外の期間は、人里に出没した個体などを「有害鳥獣駆除」として捕獲することが認められている。


そのうえで、環境省と都道府県が指定する「鳥獣保護区」での狩猟は一切許されていない。このエリアは長期間にわたって人間がほとんど足を踏み入れないまま閉ざされている。


するとどうなったか。人間の手が入らないところで、野生動物がたくさん繁殖していったのだ。推計値と実態がずれていく理由がここにある。農業の耕作放棄地がすぐに荒れ果て管理不能になっていくように、人間の手が入らずして野生動物の個体数の管理ができるはずがない。鳥獣保護区が野生動物の繁殖の温床になって、エサにあぶれたクマが人里まで下りてくるのは当然のことだろう。

クマとの共生はあくまで人間優先


だから、一貫して人間が自然の側に入っていき、関与しつづける必要がある。たとえば、鳥獣保護区を固定せず、年度ごとに可猟区を柔軟に変更、拡大することが考えられる。都道府県指定の保護区は、各首長の判断で見直すことができる。「今年はこのエリアでクマを捕ってよい」「来年は別のエリアだ」と調整していけば、長期的に見てまんべんなく人間の手が入る。閉ざされた区域で爆発的な増加を防ぐことができる。


ほかにも、期間を制限するのではなく、年間の捕獲数に上限を設ける方針も考えられる。繁殖の管理はどうやってもできない以上、捕獲数で調整するのだ。「去年は人里で1500件の目撃があったから、今年は300頭を上限にしよう」といった、一定の理論に基づいて上限を柔軟に調整していく。上限が明確であれば、ハンターもしっかりと対応してくれる。自然に任せればいいわけではなく、とにかくクマを捕ればいいという問題でもない。塩梅は難しいが人の手が入ることが重要だ。


最後に明言しておきたいのが、「『クマとの共生』は人間優先でしかありえない」ということだ。対等に共生することは不可能である。25年秋にはクマの出没情報を受けて多数の学校が臨時休校になった。中止になったイベントや行事も多く、日々の生活にも支障がでている。クマがのそのそ歩いている街の中で、通勤通学、買い物や散歩にでかけるわけにはいかない。つまり、クマが人間の領域に入ってきたとき、人間は不自由になるのだ。それは全く「共生」ではない。批判の声も時折耳にするが、人間が暮らしていくためには「クマが可哀そう」はいったん横に置いて、人間の生命と安心・安全が最優先されるべきだ。そのことを、身近にクマがいない地域の人にも理解してほしい。

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