
『財政と民主主義』(神野直彦、岩波書店、2024年)の図版を編集部で調整
上図はスウェーデンにおける財政の給付と負担を世代別に図示したものです。ここで負担は現役期に大きく偏っており、その分、子ども時代の負担はほとんどなく、高齢者の負担も税に限られています。能力に応じた負担を徹底するならば、このくらい偏るのは当然のことなのです。
公共サービスは育児や介護などの現物(サービス)給付と、生活保護や年金などの現金給付とから成り立っています。スウェーデンのような福祉国家では、現役世代の分厚い租税と社会保険料の公的負担によって十分な現物(サービス)給付と現金給付が提供されます。財政によって子どもと高齢者、働く能力を失った人などを社会全体で支える仕組みになっているのです。

『財政と民主主義』(神野直彦、岩波書店、2024年)の図版を編集部で調整
同じ趣旨で日本のケースを示したのが上の図です。確かに現役世代は負担していますが、高齢者には保険料負担や自己負担があり、子どもの自己負担(=家族負担)も多いです。これは現役世代の「公的負担」が軽すぎて、子どもや高齢者の扶養のために「私的負担」せざるを得なくなっているということです。
正確に言えば「租税負担」が少なすぎる。租税の場合、社会全体で負担し、扶養に必要な医療・介護のサービスは公共サービスとして無償で提供されます。しかし、日本の医療・介護サービスは社会保険の方式のため、利用者には自己負担が生じます。だから、子どもや高齢者の扶養をする現役世代の私的負担が大きくなり、生活が苦しくなってしまうのです。
財政の使命とは、人間の生活を支える社会の共同事業を行うことです。租税負担の重い国では、生活が苦しくなると共同事業の領域を増やしていこうと考えます。租税を通して皆で支え合い、公共サービスを充実させていく。一方、日本では生活が苦しくなると税金を下げようと考える。共同事業の領域を縮小し、個人の購買力に依存する「私的」領域を広げようとするのです。ここを手掛かりに、日本の現在地を考えていきたいと思います。