社会保険国家から社会サービス国家へ
井手 先生のお話に補足しますと、現役世代の負担感の背景には「受益」の少なさがあります。国際的に見て、日本は現役世代向けの社会保障サービスが貧弱です。さきほどの図のとおりスウェーデンでは現役世代の負担が重い一方、その受益も少なからずあります。日本では負担は軽いものの、給付ははるかに少ない。結果、相対的に負担に対する痛みを感じやすくなっています。
平成の30年間に日本経済は衰退し、所得が減少しました。私たちが考えるべきなのは、この社会を、将来に備えて自己責任で貯蓄する「私的負担」の設計にするのか、税金でセーフティネットをつくる「公的負担」の設計にするのかです。
高度経済成長期のように賃金が伸びつづけた時代は自己責任でも良かったかもしれません。ですが、賃金が伸びない時代に自己責任をつづけるとどうなるでしょうか。
まず、将来の負担に備えるために過剰貯蓄になります。人は自分が何歳で亡くなるのか知ることはできませんし、病気になるのかどうかもわかりません。子どもの進路も、大学に行くのか、国立か私立かもわからない。
したがって、何が起きても大丈夫なように自己責任で備えるから、間違いなく過剰貯蓄になります。過剰貯蓄は、裏返せば過少消費です。将来不安のためにお金をつかわなくなる。こうして内需は縮小し、経済はますます停滞していくのです。
一方、租税によってセーフティネットをつくる社会では、過剰に貯蓄をする必要がありません。自分や親の介護や医療、子どもの教育や医療を私的に負担する必要がないからです。すると、手元に残ったお金は好きなように消費していいわけですから、経済成長にも好影響をもたらします。北欧諸国を見ると、日本より公的負担が明らかに大きいにもかかわらず、日本より小さな格差で経済も成長する好循環が生まれています。
神野 給付の観点で付け加えたいのが、日本は公的サービスが脆弱である点です。私の父は104歳まで生き、母も今年、100歳の誕生日を迎えます。日本で高齢者向けの給付は年金という「現金給付」が主です。ただ、実体験から考えれば、高齢者の生活はお金よりも医療・介護サービスがないことには成り立ちません。
しかし、租税負担の少ない日本では医療・介護は公共サービスとして提供されていないため、私的に負担しなければなりません。つまり、市場で提供されるサービスを購入するか、家族が担い手として面倒をみるしかない。民間のサービスが不足していたり、親世代だけでは面倒をみられなかったりする場合には、子どもや孫世代が動員されます。いわゆるヤングケアラー問題はここに浮上します。
医療、福祉、教育という対人社会サービスは租税を中心にしなければ、公的サービスとして提供することができません。社会保険の場合は、利用する側には自己負担が発生し、提供する側は事業を市場経済に基づいて経営する必要がある。
しかし、対人社会サービスは本質的に市場原理と相性が悪く、自治体が運営する公立病院の約9割が赤字に陥り、介護事業所や保育園の倒産・廃業が増加しています。日本はいま、社会保険国家から租税負担に基づく社会サービス国家へ転換する岐路に立っているのです。

神野直彦教授(右)と井手英策教授(左)