知ることで、強くなる
――SNSなどの短いコンテンツが求められる現代。月に一冊も本を読まない人が6割を超えたという文化庁の調査も出ております(2024年度「国語に関する世論調査」)。こうした時代に小説を読む意味や魅力についてお話しいただけますでしょうか。
江國 20年ぐらい前、今まで小説を読んできたのは、死ぬ練習だったんだって思ったことがあるんです。今生きている人は当然、死んだことがないし、死がどういうものなのかだれもわからない。私も死は怖いし、たぶん、だれだって怖いと思うんです。でも、小説の中で、死ぬ人、看取る人、生まれる人、いろんなものを読む。時間の流れの大きさとか、人はいつか死ぬってこととか、人ひとりの一生なんて一瞬だなってこととか、いろんなことを知る。そうすると、丈夫になっていく。強くなっていく。小説の中では、ある登場人物にとって、失恋が大事件だったり、結婚が大事件だったりする。でも、それは百年以上前からずっと繰り返されてきたことだし、アメリカでも中国でも起きていること。いずれみんな死んじゃうんだなっていう諦念。小説を読むことで、それを悲観するんじゃなく、なんとなく面白がれるようになるんじゃないかなって。
井上 そう、知れるよね。よく役者さんが演じる楽しさについて、「いくつもの人生を生きられる」って言うじゃないですか。読書ってそれとけっこう似たような体験ができると思うんですよね。本を読んでる間は本当にその世界に行けるし、自分の知らないことを知ることができる。だから、私は「共感しました」って感想を聞くと残念な気持ちになるんです。 共感したってことは、その人が知ってることしか自分が書かなかったっていうことだから。やっぱり本って、日常のことを書いていても、「あ、こんな状況でこんなふうなことを思う人がいるんだ」とか、新鮮な発見がある。それがやっぱり小説だと思うんですよね。自分の知ってることしか知ろうとしないのはもったいない。SNSで自分と同じ意見ばっかり読んでいないで、もっと挑戦してみてもいいと思いますね。本を手に取れば、別に旅費もかからずにその世界に行けるんだから。
正解はなく、グレーゾーンを広げる
江國 私は小説って、正解がないってことがわかるものだと思うんですよ。すべてグレーゾーンなんだって。それがSNSなどの短い書き込みで、「そうだよね」「いや、間違ってる」ってやりとりしていると、どっちかが正しい、どっちかが間違ってるみたいな発想になるのは恐ろしいことだなって。
井上 そうだね。 グレーゾーンに気づけるって、生きるうえで大きいと思う。
江國 疑うってことだよね。疑いからしか小説は書けない。恋愛ってそんなにいい? 子どもそんなかわいい? って疑う。いやもちろん、かわいいですけどね(笑)。でも、必ずしも全員にとって子どもがかわいいかどうかわからない。小説はその疑うことから始まるので。今のSNSのやりとりは、疑いを削ぐものになってしまっているように思います。
――最後に井上先生から『1+1』の単行本を手にする読者の方へメッセージをお願いできますでしょうか。
井上 美味しい食べ物も出てくる小説ですけど、いわゆるグルメ小説にはしたくなかった。味がわかる人が善で、わからない人が悪みたいな話は書きたくなかった。『1+1』では、今、江國さんも言っていたようなことが書けたように思っているんです。つまり、すべてはグレーゾーンだということが。出汁巻き玉子を食べて、「なんかこれべしゃべしゃしてね」とか言うような男の子が、後の話では、ちっちゃい頃にホットケーキと味噌汁を食べた思い出があることがわかって、ちょっといいやつじゃんってなる。連作にしたことで、どの人にもその人生があるんだなって思ってもらえるんじゃないかな、と。正解なんてなくて、それぞれにそれぞれの言い分がある。いろんな人がいるんだな、というのを面白がってもらえたらうれしいですね。難しい料理も出てこないので、気になるペアリングを試してみたり、楽しみながら読んでいただければと思います。
| ※サイン本プレゼント! 新刊『1+1』の発売を記念して、3名の方にサイン入り単行本『1+1』をプレゼントいたします。応募は下のボタンから! 応募締め切り:2026年4月20日(月)。 |
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※『1+1』の発売を記念して、本書に収録されている3話(「鱚のフライと白ビール」、「出汁巻き玉子と、おりがらみの酒」、「味噌汁とホットケーキ」)を潮プラスで特別公開します。ぜひお読みください。
