• 文芸

日本酪農の黎明期を切り拓いた カウガール一代記【高島礼子×河﨑秋子】

  • 対談

ますの生涯は波瀾万丈そのもの

高島 それにしても、保里ますという人の生涯は、すごく波瀾万丈ですね。


河﨑 そうなんですよ。私も彼女について調べれば調べるほど、「ここは絶対に小説で描きたい!」と思うエピソードがたくさんあって、すごい鉱脈を見つけたような気分になりました。


高島 たとえば、ますは明治39(1906)年のサンフランシスコ大地震に遭遇しています。その前年に日本に帰国していたのに、夫とともに種牛の買付けのために渡米していて、サンフランシスコのホテルに宿泊しているところ地震に遭ったのです。大地震とそれに伴う大火事でサンフランシスコが火の海になったのに、夫妻は九死に一生を得ました。


そして、その17年後に、こんどは東京で関東大震災(1923年)に遭っています。歴史的な大地震に二つも遭い、生き残った……そのこと自体、彼女の波瀾万丈な生涯を象徴していると思いました。


河﨑 そうですね。地震のみならず、彼女の生涯の中には、日清・日露戦争もあれば太平洋戦争もありました。


しかも、太平洋戦争に際しては、ますは開戦の直前(1941年)にアメリカに戻って、現地で開戦を迎えたのです。


高島 太平洋戦争中は、アメリカの日系人が収容所に強制収容されましたね。ますもそのような迫害を受けたのでしょうか?


河﨑 これから詳しく調べますが、その可能性はあります。ますはアメリカ人と結婚していたとはいえ、夫のデネレー氏は開戦前年に亡くなっていますから。


ます自身も、アメリカのセントルイス病院で心臓疾患のため病死しています。日本とアメリカを行き来する人生を送り、最後はアメリカの地で世を去ったのです。


高島 戦争や大地震といった災禍にくり返し遭った、激動の生涯だったわけですね。運命の波浪に負けない、強い女性だったという印象を受けます。


河﨑 調べてみて面白かったのは、ますの親戚の女性たちの中には3人くらい、渡米してアメリカ人と結婚した方がいるということです。きっと、ますの生き方がお手本になったのだろうと思います。


高島 ますは保里家の女性たちにとって「ファーストペンギン」(勇気を持って最初の一歩を踏み出す人)になったわけですね。


河﨑 ええ。ますだけではなく、保里家の人々はみな、時代の枠に囚われない先進的な視点を持った人たちで、いわば「一家全員がファーストペンギン」みたいなところがあったのでしょう。とくに、ますの父親はそんな感じです。


高島 なるほど。私が広岡浅子や保里ますのような人の生涯をみて思うのは、「日本の女性は近年になって強くなったわけではなく、昔から強かったんだ」ということです。女性が男性の陰に隠れがちな時代に生きたから、その強さが知られていなかっただけだ、と……。


河﨑さんがこれから連載される保里ますの物語が、そのことを浮き彫りにしてくださるのを楽しみにしています。


河﨑 ありがとうございます。全力で頑張ります。

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