約5年後に気づいた警句の真意
「お前は一本立ちできないな」
萩本欽一から小堺がそう言われたのは、テレビの大ヒット番組「欽ちゃんのどこまでやるの!(通称「欽どこ」)」にレギュラー出演するようになって約1年後だった。萩本は「お前はなんでも自分一人でやっちゃうから、相手がなんにもできないじゃないか」と説いたという。だが、当時の小堺は萩本の真意を理解できていなかった。
後にお昼の人気長寿番組となる「いただきます」の司会に小堺が抜擢されたのは、その直後のことだった。小堺は周到に準備を重ねて番組を始めたものの、当初の視聴率は予想外の低迷を続けた。
当時、別番組で堺正章と共演していた関根勤経由で、堺からの「あんなに面白い素材(ゲストの意味)がいるのに、なぜ自分一人で全部しゃべってしまうのか」という伝言を、小堺は耳にした。
「そのとき、『あっ、大将(小堺は萩本を敬意を込めてそう呼ぶ)と同じことを言われた!』と気づいたんです。それからは肩の力を抜いて、僕がしゃべる量を3分の1減らしてみたら、ゲストの人たちから面白い話がどんどん出てくるようになりました。最初に大将の言葉を聞いてから5年ぐらい後ですかねぇ。もう、たまらない快感でしたよ。まるで百科事典全巻がいっぺんに、自分に全部降りてきたような感覚でしたから。でも、あの番組の司会をやれていなかったら、僕はいまだにわかっていなかったかもしれないですね」
最後は人柄が窺える小堺の独白となった。萩本の警句は、勝の「現場の空気感を大切にしろ」という戒めにもつながる。「勝さん、堺さん、大将とそれぞれ表現は違うんですけど、同じことを僕に言ってくださっていましたよね」(小堺)
彼らが小堺に授けた言葉は、一定の歳月をへてはじめて本人が腑に落ちて体現できるものだった。
「コスパ」や「タイパ」などの目先の、独りよがりな損得勘定とは正反対。
「そんなかっこいい言葉を持っている大人たちが昔はいましたね。本当は僕らが先輩にしてもらったことを、後輩にしてあげないといけないんですけど、できていません。テレビの作り方も変わってしまって、現場に昔みたいな余裕がありませんから」(小堺)
世間と番組を俯瞰する萩本の眼
勝とはタイプが異なる俯瞰する眼を、萩本も持っている。小堺は先の「欽どこ」時代に、テレビの視聴率を体感する方法を萩本から教わっていた。
「大将がね、視聴率10%の番組は、こっちが街を歩いていると、子供や女の子が『あっ!』って気づいてくれる。20%の番組はそこにおばさんが加わる。おじさんたちが気づくのはその後だと話されていました。実際に『欽どこ』の視聴率が30%を超えたら、ぼくも街中で背広姿のおじさんたちから『あっ!』って、気づかれるようになりましたから」
一方で番組の視聴率が下がると、萩本は冷徹な決断を下すこともあった。彼には持論がある。テレビ番組は制作スタッフが乗ってくると視聴率10%は取れる。そこに出演するタレントが乗ってくると20%になり、全員が楽しくなると30%はいくという。
先の「欽どこ」の視聴率が落ちてきたとき、萩本はスタッフと出演者全員を招集した。
「大将は『誰かが何かを我慢していたり、嫌だなぁと思っていたりする人がいる。今日は何か思うことがあれば言いなさい』と話されました。結果、不満を口にした人を番組から降ろしてしまった。でも、番組の全責任を背負われているんですから、その判断は正しいと思います」(小堺)
萩本にはジンクスもある。番組がヒットするとスタッフや出演者の誰かに不幸なことが起きるというものだ。だから「欽ちゃんファミリー」の身代わりに自宅で100匹の金魚を飼い始めた。それだけの金魚が同じ水槽にいれば何匹かは常に死ぬ。それを身代わりに見立てて「家族」を守ろうとした。
芸能史に残る大ヒット番組をいくつも生み出してきた人なのに、運には限りがあり、「仕事も家庭も全部うまくいくわけがない」という諦念ゆえだ。多くの人もうっすらと気づいてはいながら、実人生をそこまで冷徹に割り切れない。
だが、勝や萩本のレベルは無理でも、俯瞰する眼を意識できれば、目先の損得や喜怒哀楽に引っ張られそうになっても、自分を多少は抑えられるかもしれない。
小堺は勝や萩本を高級クルーザーに、自身を彼らの風を受けて走る運のいい帆船にたとえる。
「欲張りな自分はエンジンもないくせに、いつも帆をたたまないでいるんですよ。すると幸いにも勝さんや大将のような方々と出会えて、それぞれの強い風を受けて、その都度どこかに運んでもらってきました。進んだ先で景色を楽しんだりしていると、また違う風が吹いてくる。その繰り返しですね」
そのトーク同様に軽妙な締めくくり方だった。(文中敬称略)