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「国民の総意」なき皇室典範改正の危うさ

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皇位継承をめぐり、皇室典範は大きな転換点を迎えました。

改正により、女性皇族は結婚後も皇族の身分を維持できる一方、旧皇族の男系男子を養子として皇室に迎えることが可能になります。

しかし、過去には「国民の理解と支持が得られない」と見送られた養子案を、十分な議論なしに進めてよいのでしょうか。

政治学者・原武史さんが、明治以降の天皇像や養子禁止の歴史、皇族が背負う負担をひもときながら、「国民統合の象徴」であり続けるために必要な議論を問いかけます。

(月刊『潮』2026年10月号より転載)

記事のポイント
旧皇族から皇室に養子を迎える案はこれまで何度か俎上に載せられたが「国民の理解と支持が得られない」等の理由で実現しなかった。
江戸時代までは前例のある天皇家の「養子」が明治の皇室典範で禁じられたのは、皇室の血統の秩序が乱れることを防ぐためだった。
今回の皇室典範の拙速な改正は、「国民の理解」を得たとは到底言いがたく、将来の日本に深刻な禍根を残す恐れがある。

これまでも浮上してきた「養子」案

7月17日、国会で改正皇室典範が成立した。改正のポイントは2点ある。 第1のポイントは、女性皇族の身分についてだ。これまでの皇室典範では、女性皇族が皇族以外の男性と結婚したとき、皇族の身分を失うと規定されていた。この規定を改め、女性皇族は結婚後も皇族の身分を保てるようになった。(ただし配偶者と子どもは皇族にはなれない) 第2のポイントは養子だ。戦前の旧皇室典範が1947(昭和22)年に改正されたとき、昭和天皇の実弟である直宮家じきみやけ(秩父宮ちちぶのみや・高松宮たかまつのみや・三笠宮みかさのみや)を除く11宮家51人は皇籍から離脱し、一般国民となった。 より重要なのは第2のポイントだ。この旧11宮家の男系男子が養子縁組で皇室に加われることになるからだ(ただし配偶者と子どもがおらず15歳以上が条件)。養子本人は皇位継承資格をもたないが、養子に男子が生まれた場合、その男子は皇位継承資格を有する。 これにより「皇位継承権は男系男子のみ」という原則が保持され、女系天皇・女性天皇は認めないということが明確にされた。 天皇家の「世継ぎ」をめぐる議論は、いま突然始まったわけではない。流産の苦境を経て雅子妃(現皇后)が愛子内親王ないしんのうを出産したのは2001年のことだった。1965年に文仁ふみひと親王(秋篠宮あきしののみや)が生まれてから、皇室に男子が生まれない状況自体は変わらなかった。 そこで2005年、小泉純一郎内閣は皇室典範に関する有識者会議を招集した。その際、旧皇族から養子を受け入れる案が出ると「国民の理解と支持が得られない」等の理由で一蹴されている。当時、天皇(現上皇)自身も養子案には前向きでなかったといわれている。 19年4月30日に天皇(現上皇)が生前退位すると、皇太子が新たな天皇に即位して5月1日から令和に改元された。まるでこのタイミングを待っていたかのように、菅義偉内閣は皇室典範に関する有識者会議を21年に招集する。ここで皇族数確保のためと称し、皇籍を離脱した旧宮家から養子を迎える案が再浮上した。 ただし、この時点でも養子受け入れについて国民の理解と支持が得られていたとは言えない。潮目が変わったのは、今年2月の衆議院議員総選挙だ。圧勝した高市早苗首相は、自民党の有力な支持母体である日本会議や神道政治連盟の思想を体現する人物である。高市首相は、保守政治家としての旗幟きしを鮮明にして一気に皇室典範を改正した。

明治天皇の肖像画が物語る「天皇の男性化」

「天皇は男系男子に限る」というルールは1889(明治22)年発布の旧皇室典範で定められた。歴代天皇のうち、女性天皇は8人(10代)存在する。典範制定に向けた議論の過程で「女性・女系天皇も認めるべき」との意見も出たが、起草者の井上毅こわしはこれをしりぞけて男系男子に限定した。

我々が教科書等で目にする明治天皇の肖像画は、エドアルド・キヨッソーネという宮廷画家が描いた細密画だ。この肖像画にはかなり意図的な脚色が加えられている。


京都御所で暮らした少年時代の明治天皇は、運動もほとんどしないため筋肉がついておらず、お歯黒を塗るなど中性的な格好をしていた。ところが天皇となり東京に移ると、急速に「男性化」していく。たくましい髭を生やし、軍服を着て馬や軍艦に乗る。近代国家に相応しい、いかめしい天皇像を意図的に作り上げ、国民にそのイメージを浸透させていったのだ。


旧皇室典範制定直後の日本は、日清戦争(1894〜95年)と日露戦争(1904〜05年)に連勝した。黒船から開国を迫られたときには極東のごく小さな島国に過ぎなかった日本は、文明開化と富国強兵によってわずか40年で対外戦争に連勝し、世界の一等国へとのし上がった。「それを成し遂げたリーダーこそ明治天皇だ」という栄光の成功譚を、人々は長く記憶にとどめていく。


病弱であった大正天皇が亡くなり、25歳という若さで昭和天皇が即位したときには「明治天皇の再来」と印象づけるキャンペーンが展開された。11月3日(明治天皇の誕生日)が「明治節」という名の祝日となり、「明治の聖蹟」キャンペーンも始まる。一連の流れは、昭和初期に日本が再び対外戦争に打って出る動きとオーバーラップする。


明治期につくられた男性優位の物語は、戦後の皇室典範にも踏襲された。女性天皇を認めるべきか否かが検討されながら男系男子による皇位継承が維持されたばかりか、旧皇室典範に規定された養子の禁止も維持されたのだ。このうち後者が今回改正され、皇室は大きな曲がり角に立たされている。

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