100人いれば100通りの介護のカタチがある
本当に"介護は、ある日、突然やってくる"のです。その意味では、もしだれかが介護が必要になったときのためにどうすればいいか、ある程度事前に想定しておくことも必要だろうと思います。
自分ががんばらなければとか、面倒を見なければと思う、その気持ちはとても大切だと思います。私のように一人っ子の場合は、特にそうです。しかし、介護は終わりが見えません。がんばりすぎると、途中で息切れしてしまいます。そのとき、自分を責めてしまわれる人が多いようです。
昨年11月に出版した本は、私自身の遠距離介護の経験と3人の専門家の方たちとの対話からできています。私も、いろいろ学びがありました。その中で、まず私が納得したのが「介護はプロに任せる」ということでした。
介護には"こうしなければならない"という手本はありません。100人いれば100通りの介護のカタチがあるんです。試行錯誤しながら、自分にあったカタチを見つけていけばいいということもよくわかりました。
そのとき忘れてはならないことは「介護の主人公はあくまで介護される本人」だということです。介護する側の家族が、自分の考える理想の生活態度を本人に押しつけることも多いのです。
私も、当初は家に帰るたびに、母の部屋を片づけていました。母の周りには、ハサミ、ボールペン、セロハンテープ、ティッシュなどいろいろなモノが乱雑に置いてあるんです。それを片づけていたんですが、母にとってはそれらのモノが自分の手の届くところにあることが生活するうえで便利なことだったのです。
それがわかってからは片づけるのをやめ、台所や玄関など、あらゆる場所にハサミやボールペンなどを置くようにしました。
母は「洗濯物は自分で干す」と言って聞きませんでした。「転んでけがしても知らないよ」と言うと、母は「それでもいい」と言うのです。多少危険はあっても、本人がやりたいと言うことを認めるというのも、子どもの覚悟だなと思いました。母は、そういう仕事を、あえて自分に課そうとしていたのかもしれません。
何より母を見ていて感じたのは「希望」や「目的」をもつことの大切さです。それがあれば人はがんばれるんだ、と教わりました。
最初の入院のとき、「正月には家に帰りたい?」と聞きました。母は「帰りたい。酒、飲みたい」と言うのです。そして、正月に帰ることを目指してリハビリに励み、本当に2か月で退院したのです。要介護認定も、1になりました。
私は、本人に希望をもたせることを「ニンジン作戦」と呼んでいます。
介護の基本はだれも犠牲にならないこと
母は、厳格な人です。自分の仕事に誇りをもち、いつも自分を律していました。子どもの私にも厳しい母でした。
そういう母が、それまでできていたことがだんだんできなくなっていく。正直、そんな母の姿を見るのが嫌でした。だから、母に「ちゃんとしてよ」とキツく言ったこともありました。
あるとき、"あっ、これは私のわがままだ"と気づいたのです。たとえば母が洗った茶碗。「もっときれいに洗ってよ」と言いながら私が洗い直していたんです。でも、それからは"これでいいんだ"と黙って洗い直すようになりました。
親のためを思って子どもががんばりすぎて、お互いにイライラが募り親子関係がおかしくなることを「親孝行の罠」と言うのだそうです。
親孝行の罠に陥らないためにも、一人の人を大事にしていくということが大切なのだと思います。その一人の人は、介護が必要な親だし、家族の一人ひとりだし、もちろん自分もその"一人"なんだということを忘れてはいけないのです。
介護の基本は"だれも犠牲にならないこと"なんだと思います。
自分ががんばりすぎないためにもプロに任せることが必要だし、近所の人たちとのいい関係を築くことも大切なのです。必要な行政サービスはどんどん活用すればいいんです。介護でだれも犠牲にならないように、いろいろ知恵を働かせて工夫することが大事なのに違いありません。
