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遠距離介護を経験して、母への思いを素直に言えるようになりました(柴田理恵さん)

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富山に住む母の遠距離介護をしていることでも知られている俳優の柴田理恵さん。2023年秋には、その経験を踏まえ『遠距離介護の幸せなカタチ』(祥伝社刊)という著書も出版した。柴田さんは、母の介護を通して、母子の関係も、自分自身の母への思いもよりよく変わったと話す。

 (『パンプキン』2024年4月号から転載。撮影=雨宮 薫 取材・文=鳥飼新市 スタイリング=高橋めぐみ ヘア&メイク=松本吉枝)

富山の実家でひとり暮らしをしていた母・須美子の遠距離介護を始めて、もう7年。きっかけは、母が突然の病で入院したことでした。


今年95歳になる母は、とても気丈でエネルギッシュです。入院するたびに驚異の回復力をみせ、退院して実家に戻り、ひとり暮らしを重ねてきました。しかし、ここにきて体調を崩し、しばらくは病院暮らしを続けています。


最近は本人も少し弱気になり、自分はもうひとりでは住めないかもしれない、と口にするようになっています。「人の手を借りることが多くなって……もう無理かもしれんね」と。


ただ、ずっと小学校の先生をしてきただけあって若い人たちが大好き。かつての教え子のような、まるで孫みたいな看護師さんたちに囲まれて賑やかに過ごしています。


いまは個室に入っていますが、本人は「個室はイヤだ。大部屋に移りたい」と言うのです。自由に話ができる相手が欲しいんでしょう。人好きなところも変わっていません。


コロナのときはリモートでしたが、昨年「三密」の行動規制が解けてからは2週間に1回くらいは訪ねていました。


でも、5月に海外ロケや、地方公演が始まり、なかなか会いに行けなくなりました。公演先からリモートで「お母さん、ごめんね。舞台で行けなくて」なんて言うと、母は相変わらず「いいよ、いいよ。仕事が大事だ」と言ってくれるのです。本当にありがたいなと思います。


母がひとり暮らしをしているときに、こんなことがありました。夏の暑い時期に冷房もつけずに母が家にいたんです。熱中症一歩手前です。


たまたま遊びにきた近所の人が母が「しんどい」ってグッタリしていたのを見つけてくれたんです。慌てて冷房をつけ、「大丈夫?」と冷蔵庫から氷を出して体を冷やしてくれました。まさに危機一髪です。

周りの人たちに助けられ 遠距離介護は始まった

事の始まりは"いとこの息子"からの電話でした。 「理恵さん大変だ! おばちゃんが入院することになった!」 2017年10月半ばのことです。東京から飛んで帰ると、腎盂炎じんうえんという診断。敗血症も起こし、意識がもうろうとしている重篤な症状です。医師からは、万が一、心停止した場合の処置をどうするかについても確認されました。 幸いなことに、母はもち直してくれたのですが、要介護4という認定を受けたのです。もう独りにはしておけないと思いました。 実は、父が亡くなったとき、母に「東京で一緒に暮らさない?」と聞いたことがありました。母は「絶対に嫌だ」と言下に断るのです。 ここには友人がたくさんいるし、やりたいこともある。だから自分は絶対に離れない。そして私に、仕事を減らしてこっちで暮らすなんてことは考えてくれるな、と念を押し、「何より大事なのは仕事だ。あんたはあんたの人生を生きなさい」 そう、強く言ったのでした。 そんな母の気持ちを尊重し、ここで暮らしたいという願いを叶えるためには、東京で仕事を続けながら「遠距離介護」をするしかないと覚悟を決めたのです。

私が恵まれていたのは、実家の近くに住む"いとこの息子"が「いいよ。おばちゃんの面倒は見るよ」と言ってくれたことでした。それと母がこれまで築いてきた、ご近所の方たちとの深い人間関係があったことです。母が退院してからも、皆さんは何かにつけて母のことを気にかけてくださいました。


母の人徳でしょうか。いわば"チーム須美子"というべき人たちに囲まれて、私の遠距離介護は始まったのです。


毎日のように母に電話をし、時間を見つけてはできる限り帰りました。


普段からケアマネジャーさんやヘルパーさんたちと密に連携をとり、実家に戻るとご近所の人たちとも自分から積極的にあいさつをするなどコミュニケーションを重ねて、私自身も人間関係をつくっていきました。

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