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「民衆こそ王者」〈識者の声〉篇 西園寺一晃氏

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一対一の友好は国の行方をも変える

私たち家族はよく周総理の自宅に招かれ、食事をともにしました。その住まいはとても質素で、応接間には豪華な家具や装飾品などは一切ありませんでした。建物が古く、雨漏りもする。でも彼は「タライを置いて雨を受ければいい」と、公費での修理をさせなかったといいます。民衆が貧しく苦しんでいるのに、自分だけ豊かな生活を送ることなどしない、という信念があったのです。

 

初めに招待されたとき、周総理から言われたことをいまでも覚えています。一つは「きみは、これから中国でたくさんの友達をつくりなさい。そのことが、将来必ず大きな財産になる」との言葉。もう一つは「中国にはいいところと悪いところ、進んでいるところと遅れているところがある。悪いもの、遅れているものを見たときは勇気を出して友達や先生、校長先生に言いなさい。それで改善されなければ、私に電話をしなさい」「私たちは、そのように友好的に批判してくれる友を望んでいるのだ」。そのような話を、中学3年生の私にしたのです。子どもながらに、本当に偉大な人は謙虚に誰からでも学び、目の前の一人を大切にするんだと思いました。

 

目の前の一人を大切にすることは、当たり前のころのようでいて、実は相手にとって忘れがたい思い出になるものです。周総理にもそのような経験があったそうです。

 

周総理は19歳のとき、どうしたら中国を近代国家にできるのかを日本から学ぼうと来日します。当時、アジアでいち早く近代化した日本は、自分たちも列強の一員として植民地争奪戦に加わる道を歩んでいました。富国強兵と軍国主義へ向かい、アジア諸国との関係は悪化していきます。

 

そうした時代背景もあって、日本には中国に差別感情を持つ人が少なくありませんでした。中国人が集まる会合は禁止されるような状況で、周総理も日本でそうとう嫌な思いをしたはずです。

 

「本当は日本のことが嫌いなんじゃないですか」と尋ねたことがあります。すると周総理は笑って「私は日本が好きだよ。日本人は親切だし、自分の国の古い文化を大切に守っている」と答え、さらに付け加えます。「日本で学生だったとき、お金がなくてご飯も食べられないときがあった。そんなとき下宿のおばさんが私を家に招き、ご飯を食べさせてくれた。あのときの豆腐は本当に美味しかった」と嬉しそうに話すんです。

 

もし下宿のおばさんにまで酷い対応をされていたら日本が憎くなり、恨むようになってしまっても無理なきことです。周総理は外交に私情を挟むような政治家では決してありませんが、それでも人間です。日本に非常に悪い印象を持っていた場合、ボタンの掛け違いによって日中国交正常化はもっと遅れていたかもしれません。

 

そう考えると、実は名もない一人の女性が日中友好の影の立役者だったと言えるのです。だから、私はよく、日本人のみなさんに、中国から来た留学生には親切にしてあげてくださいと言っています。彼らが困っているときに助けてあげれば、絶対に日本を好きになってくれます。それは巡り巡って、この国のためになるのですから。

 

そのようなことを長年、実践されてこられたのが池田先生です。国交正常化の後、日中で交換留学の計画が持ち上がります。しかし、日本側の受け入れ体制に問題があり、中国人留学生は行き場がなくなってしまいました。難儀した中国が池田先生に相談したところ、先生は自ら身元引受人となり創価大学での受け入れを決めたのです。

 

『潮』2019年10月号の「民衆こそ王者」には、やってきた留学生たちを先生が陰に陽に気遣い、励ましていたことが詳述されています。創価大学で学んだ最初の留学生たちは、後に駐日大使や政府要職につき、日中関係において重要な役割を果たしています。

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